黒猫のアラシと二度の嵐5

「その女の子が部屋の扉を開けると……部屋の中は血まみれだったの。それでも意を決して部屋の中に入ってみると、中の壁には血文字で『呪ってやる』って……。そうしているうちに扉が勝手にガタンっ!」


「ひゃぁぁぁっ!」


 いつの間にかこよりの隣に移動していた結希奈が思わずこよりに抱きついた。こよりは困ったような表情で結希奈を抱き締めて、「よしよし」と頭を撫でている。


 すでに日も落ち、風雨は昼よりもさらに激しくなっている。昼過ぎから始まった百物語も盛り上がりを見せ、すでに何本かのロウソクは消えている状態だ。


 最初は普通に行われていた百物語も、過剰に怖がる結希奈のリアクションが皆面白いのか、今ではいかに結希奈を怖がらせるかに主眼が置かれていた。

 今話している手芸部の女子生徒の話は特に怖く、こよりに何度抱きついたことか。そのたびにこよりは嫌な顔一つなく結希奈を抱きしめてくれた。


「これは友達の友達が聞いた話なんだけどね、バイトの帰りに夜道を歩いてると……」

 いつの間にかさっきの手芸部の女の子の話は終わっており、次の女子生徒の番になっていた。あれは確か、園芸部の女子――山川碧の後輩だ。


(早く終わらないかなぁ……)


 結希奈はこよりの腕の中で祈るような気持ちでその話を聞いていた。何か用事を思い出せればここを抜け出せるのに、日が暮れて夜になっても何も思い出せなかった。山川姉妹の事前の根回し、恐るべしである。


「その子の後ろをひた、ひたと歩く音が消えてきたの。誰か後ろをつけている? って振り返っても誰もいない。怖くなって走って逃げたらしいわ。その子は陸上部だったから走るのは速かったの。でも、どんなに逃げても足音は彼女の後ろから離れようとしない」


 そんなことをしている間にも園芸部の子の話は続いていく。外の風雨は収まる気配はなく雨戸をひっきりなしに叩き続けている。消えているロウソクはまだ半分ほど。

 長い夜になりそうだ……。


 そう、結希奈が覚悟したときだった。こよりが天井の方を見ながらつぶやいた。

「ねえ、何か聞こえない? こう……足音みたいなの」


 それは、他の女子達と同じく、自分をからかっているんだと結希奈は思った。

「こ、こよりちゃんまで……。やめてよ、からかってるんでしょ?」


 しかし、こよりは首を横に振った。

「ううん、聞こえない? ほら……?」


 いつしか、園芸部女子の話も止まっていた。皆が静まりかえっている。聞こえてくるのは雨戸を揺らす風の音と、時々強く屋根を打ちつける雨の音だけだ。


「何も……聞こえないよ……?」

 そう言ったときだった。上の方から雨の音とも風の音とも違う音が聞こえた。


「ひっ……!」

 結希奈はこよりに抱きついた。必死に気のせいだと言い聞かせようとしたが、その音は徐々に大きくなってくる。


 トントントントントントントントントントントントン……。

 聞きようによっては足音にも聞こえない音。


 そう、さっき園芸部の女子が話していた。逃げても逃げても追いかけてくる、見えない誰かの足音。


 トントントントントントントントントントントントン……。

 トントントントントントントントントントントントン……。

 トントントントントントントントントントントントン……。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

 結希奈が記憶しているのはそこまでだった。


「結希奈ちゃん、結希奈ちゃん……!」

 こよりが結希奈の身体を揺すって呼びかけるが、結希奈は気を失ったまま目を覚まさない。


 そうしている間にも音は聞こえる。


 トントントントントントントントントントントントン……。

 トントントントントントントントントントントントン……。

 トントントントントントントントントントントントン……。


 最初は結希奈をからかって面白がっていた女子生徒達にも不安が広がっていく。

 そう、これは結希奈を怖がらせようとして誰かが仕込んだネタではないのだ。


 トントントントントントントントントントントントン……。

 トントントントントントントントントントントントン……。


「ひっ……!」

 女子生徒の誰かが息をのんだ。足音は部屋の上をぐるぐる回るように動いている。

 そう、まるでこの部屋の女子生徒をターゲットとしているかのように……。


「もう、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」

 最初に叫び声を上げたのは誰だっただろうか。それも今となってはどうでもいい。恐怖は伝播していき、部屋の中の女子全てが混乱に陥っていた。


「だ、大丈夫! いざとなったらウサギさん達を呼ぶから! ああっ、ウサギさん達は学校の飼育小屋に入れたままだ! ここからじゃ呼べない!」

 皆の混乱を押さえようとした碧だったが、それは逆効果だった。女子達の恐慌はさらに広がっていく。


 よく考えれば部屋から逃げ出せばいいのだが、部屋の周りをぐるぐる回るような音と、たたきつける風雨の音が彼女たちにその選択肢を無意識下で消去させていた。

 部屋の真ん中に置かれている机の上で翠を中心にひとかたまりになって抱き合い、震える女子生徒達。このまま恐怖の中死んで行くのか、そんなことを考えた女子もいた。


 だが、その恐怖の終わりは突然訪れた。

 前触れもなく音が静まったのだ。


「音、しなくなった……?」

 翠が天井を見上げながら言った。そこは一カ所だけ天井の板がずらされていて、屋根裏をのぞき込むことができる場所だった。


「…………?」

 一瞬、屋根裏の闇がこぼれ落ちたかのように見えた。


 しかしその部屋の明かりであるろうそくは半分が消えていて薄暗く、それがなんであるかはよくわからなかった。

 女子達からそれは、黒い闇の塊の中央に妖しい光が二つ輝いていたように見えただろう。

 それは音もなく近寄ってくる。


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!」

 理性の堤防が崩壊するのは一瞬だった。

 最初の一人が恐慌を来すと、それは瞬く間に全員に伝播する。


「いや、いや! やめてぇぇぇぇぇぇ!」

「うえぇぇぇぇぇん!」

「たすたすけてぇぇぇぇぇ!」

「おかあさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 ある者は涙と鼻水を垂らしてうずくまり、また別のものはその場で意識を失った。半狂乱のまま台風の中家の外に出て翌日高熱で倒れた女子もいた。暗い部屋の中でつまずいて転び、膝をすりむいた女子もいた。

 そのまま、狂乱のうちに女子だけの百物語会は終了した。


 もし、その場に冷静な者がいたならば、最初の悲鳴が起こったときに部屋から大慌てで出て行った小さな黒い影を見ただろう。

 そう。天井の足音も、黒い影もその正体は屋根裏で大運動会を繰り広げていたアラシだったのだ。

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