黒猫のアラシと二度の嵐4
聖歴2026年8月13日(木)
「うっひゃー、降ってきた! 碧、急いで急いで!」
「んもー、だから傘持っていった方がいいって言ったのに!」
昼下がりの高橋家。外から女子生徒の元気のいい声が聞こえてきた。それとともにぱたぱたという足音がしてきて、二人の女子生徒、
「ふいー、ただいま! ああ、タオルタオル!」
「シャワー浴びた方がいいかも」
「あ、それナイスアイデア!」
顔つきのよく似た二人が玄関から奥に入っていくと、そこには家主である結希奈とこよりがいた。
「やっほー、結希奈にこより! シャワー借り……」
こよりが唇に人差し指を当てていたので、碧は言いかけの言葉を飲み込んだ。こよりは隣に立つ結希奈を指さした。
結希奈はこめかみに指を当てて何か話している。〈念話〉の魔法で誰かと繋がっているようだ。
「え? うん、あ、そう……。わかった。うん。それじゃ。そっちも気をつけてね。うん、ありがと」
〈念話〉が切れた。結希奈の目の前にはこよりが立っている。
「どうだった?」
こめかみに当てていた指を下ろした結希奈にこよりが尋ねた。
「うん、今日は中止だって。全校的に今日の部活動は極力避けて屋内に待機って決まったらしいよ」
八月十八日。この日は朝から風が強く、また黒い雲がものすごい速さで流れていた。天気予報はないが、このあと台風が来るのは間違いなさそうだ。
生徒会は朝から部長会を開き、天候回復までの部活動の自粛と屋内待機を決定した。
それを受けて〈竜王部〉部長の慎一郎も本日の探索を中止して、その旨結希奈に連絡してきたのだった。
「そっか。いきなり休みになっちゃったね。あんまり休み慣れてないから、変な気分」
こよりが笑った。
北高が封印されてからというもの、斉彬が風邪で寝込んだり、肉祭りのあとで休んだり、帰りが夜中近くになってしまったり、その他何日かの休日があったものの、土日も祝日も結希奈達は構わず迷宮探索を続けていた。
それも一刻も早くここから脱出するためであったので、結希奈達は苦とも思っていなかったが、休みとなればそれはそれで嬉しいものだ。
「そういうワケなんで、今日は一日お休みなのだ!」
いつの間にかそこにいた碧が頭と制服を濡らしてそこに仁王立ちしていた。隣で姉の翠が申し訳なさそうな顔をしている。
山川姉妹は早朝からの台風対策を終え、部員達を先に高橋家に戻した後、部長会に参加してここに戻ってきたところだった。当然事情は把握している。
「結希奈、こより! 今日は一日、あたしに付き合ってもらうぞー!」
そう宣言する翠の隣では、碧が頭を押さえていた。嫌な予感しかしない……。
「だからって、これは何なのよー!」
台風に備えて巽やこより、他の何人かの女子生徒達と手分けして高橋家の雨戸を閉めて戻ってきた結希奈がこよりとともに連れてこられた部屋の様子を見て彼女は叫んだ。
そこは神社を訪れた人が集まったりする部屋で、二十畳くらいとかなり広い部屋だ。そこに十数人ほどの女子生徒達が集まっている。そこには言い出しっぺの翠はもちろん、姉の碧も含まれている。
雨戸がきっちり閉められた部屋はさらに遮光カーテンが閉められていてうす暗く、部屋の周りには無数のロウソクで埋め尽くされている。外から雨戸をたたきつける強くなってきた風雨が不気味さをより強調している。
というか、こんなにたくさんのロウソク、どこから用意してきたんだろう……?
「さあさあ結希奈ちゃん。ここに座って」
そう翠が指さしたのは部屋の中にある大きなテーブルの一席、いわゆる“お誕生日席”だ。
言われるがまま座って不安そうにあたりを見渡す。薄暗い部屋の中、ろうそくの明かりにぼうっと照らし出された女子生徒達の顔が不気味だ。
「な、なんですか? みんなでこんな……」
不安そうに結希奈が言う。それを見た翠は満足そうに、
「さあ碧、剥がしてちょうだい!」
そう言われた碧は困った表情のまま立ち上がり、彼女の後ろに貼ってあった横長の紙をペリペリと剥がす。
「…………?」
そこには、お世辞にも上手とは言えない文字で、『チキチキ! 第1回女子だけの百物語大会』と書かれていた。
「百物語?」
なるほどそう言われて納得した。このぶきみな空間は翠が彼女なりに演出した百物語のセットなのだ。
「あれ? 結希奈、百物語知らないの? 百物語ってのはみんなで怖い話をしあう会のことさ!」
「いや、それは知ってますけど……」
「あれ~? もしかして結希奈怖い話苦手だった?」
嫌がっているのが表情に出たのだろうか、翠が結希奈の顔色をうかがうように聞いてきた。いや、これは面白がっているのでは?
「苦手ですよ。怖い話って……なんというか、怖いじゃないですか」
「なによそれ! 怖いから怖い話じゃない!」
翠はけたけたと笑った。
「いや、違くて……。違わないですけど、そうじゃなくて、台風に備えた準備とかしなくていいのかなぁって……」
正直言って気が進まなかった。いろいろ言い訳を並べ立ててみるが、結局の所、結希奈は怖い話が嫌いなのだ。
しかし、結希奈の些細な抵抗は見事に打ち砕かれた。しかもノリノリの翠ではなく、終始その隣で困った表情をしている姉の碧にである。
「あのぉ、結希奈ちゃん?」
碧がおずおずと手を挙げた。
「多分、今日のご飯のことを言ってると思うんだけどね、実は……」
碧がチラリと見た部屋の隅にはふきんが掛けられたお盆がたくさん置いてある。
「明日の朝ご飯の分まで用意しちゃったの。翠ちゃんが……」
さすが家庭科部の部長である。そういえば午前のうちに校舎や部室棟で待機する生徒達のために食事を作ってきたと言っていた。高橋家で寝泊まりする女子生徒の分も作ることは手間も大して変わらないのだろう。
「はぁ……わかりました」
外堀を全て埋められたと観念した結希奈は白旗を上げた。重いため息が出るが翠にその程度の抗議は通用しない。
「家主様の了解が得られたよ! さあ、女子だけの百物語会、スタート!」
部屋が女子生徒達の黄色い声に包まれる。
(みんなやる気満々だったのね……。こよりちゃんまで……)
笑顔で拍手するこよりを見て再び結希奈からため息が漏れた。
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