とりたてて特筆べきこともないごく普通の北高での一日5

「ねえちょっと。大丈夫なの? こんな時間に……」

 不安そうに訴えるのは結希奈。解散後に呼び出されたからか、ラフな部屋着にパーカーを羽織っただけの格好が新鮮だ。


「大丈夫大丈夫。こんな時間にこんな所に来る奴、いないって!」

 陽気に答えたのは徹だ。彼はプールサイドの端でせっせと姫子が持ってきた筒を並べている。


 ここはプールサイド。プールの開放は昼間限定で、この時間は当然閉まっているが、徹は部員達を集めて夜のプールへと忍び込んだ。

 もちろん、目的はプレ花火大会だ。ちなみに、姫子は「眠い」と帰ってしまった。


「ねぇ、やっぱりやめておかない? もし見つかったら……」

 結希奈はいつもの彼女らしくなく、おろおろしている。なんだかんだで真面目な性格なのだ。


「こよりちゃんからも言って……って、えぇ!?」

 結希奈はちょうどやって来たこよりの方を振り向き、その姿を見たとき、目を見開いて驚愕した。


「な、何でこよりちゃんまで水着着てるのよ!」

 そこに立っていたのは、以前プール開きの時に着ていた水着の上にパーカーを羽織っているこよりだった。


「え? だって、ナイトプールだって聞いたから……」

 何か間違ったのだろうとあたりを見るこより。しかし徹も斉彬も、慎一郎でさえ海パン姿だ。メリュジーヌもプール開きの時と同じスクール水着を着ている。

 こよりの水着姿を見た斉彬が親指を立てて満面の笑みを浮かべるが、こよりは曖昧に笑って誤魔化した。どうやら今回は気絶しなかったらしい。


「ふふっ、でもわたし、こういう風にみんなで夜のプールに忍び込むとか、やってみたかったんだ。青春って感じよねぇ~」

 ウキウキのこより。確かに月明かりに照らされたプールサイドの石畳と、微かに揺れる水がえもいわれぬ幻想的な雰囲気を醸し出しており、心躍る気持ちはわからないでもない。


「おーい、こっちは準備いいぞー!」

 プールサイドの端で準備していた徹がこちらに手を振った。


「それじゃ、いくぞ! 5、4、3、2、1……」

 徹のカウントダウンにあわせて皆が夜空を見上げる。


「ゼロ!」

 その声とともに筒の下に置いてある魔法陣を有効化する。意味を持った図形は魔法陣の一点で炎の塊となって結実し、筒に沿って上へと打ち上がっていく。


 ひゅー……ぱぁん……!

 真っ暗な夜空に赤い花が咲いた。


「わぁ……!」

 不安げに夜空を眺めていた結希奈の顔に笑顔が戻った。ふたつの瞳にふたつの花火が映される。


 続けて花火が打ち上げられた。


「たーまやー!」

 こよりが言った。それを契機にみなも口々「たまやー」と叫んだ。メリュジーヌは訳もわからぬまま『タマヤ! タマヤ!』とはしゃいでいる。


 全部で十発の色とりどりの花火が漆黒の夜空を彩り、そして数瞬ののちに消えた。真っ暗な空と控えめに鳴く虫の声がプールサイドを支配した。


 しかし、プチ花火大会はそれで終わりではなかった。むしろ、これからが本番だ。


「これを見ろ!」

 徹が手に持っているのは紙の束だ。それは昔の書物のように折りたたまれていたが、徹の手によって開かれる。


 ばさり。


 縦に長く展開された紙――徹の身長ほどもある――には、先ほどのものとよく似た形の魔法陣がいくつも連なって描かれている。


 徹は十束用意したそれらを次々と筒の下にセットしていく。

 しかし、何も起こらない。


 準備を終えた徹が観客達の所へやってきても何も起こらない。


『何も起こらんではないか!』

 しまいにはメリュジーヌが怒りだした。彼女のアバターはと徹を蹴るしぐさをしている。もっとも、それはただの映像で、見ることはできても触れることはできないものであったが。


「まあ、いいから待てよ」

 にやりと笑う。その瞬間、彼の後ろで花火が打ち上がった。


『わひゃぁ!』

 メリュジーヌが花火に驚き、ひっくり返った。皆が笑う。


「まだまだ。これで終わりじゃないぜ。そら!」

 徹が花火の筒を指さしたまさにそのタイミングで次々と花火が打ち上がっていく。一度打ち上がった筒からも時間をおいて再び花火が打ち上がる。


「時間をおいてランダムで打ち上がるようにしたんだ」

「おぉ……すごいもんだな……」


 慎一郎が感嘆の声を上げる。慎一郎も授業で習った程度の魔法は理解できるが、これは明らかに徹のオリジナルだ。その探究心に我がごとのように誇らしくなる。


 次々夜空を染めていく花火に目を奪われていると、突然、どぼんという音がプールの方から聞こえてきた。


 見ると、徹が真っ暗なプールの中に飛び込んでいた。


「ここからが本番だって、言っただろ!」

「うわっ!」

 徹がプールの水をプールサイドにいる部員達にかけてきた。


「栗山! こいつ、やりやがったな!」

 斉彬が負けじとプールに飛び込んで水しぶきがプールサイドに跳ねる。


「わたしも! えい!」

 続いてこよりがプールに飛び込み二人の水かけ合戦に参加する。


「えい、えい!」

「やったな、負けないぞ!」

「こよりさんは俺が守る!」

 三人が水を掛け合う頭上を色とりどりの魔法のの花が咲き誇り、水しぶきを七色に染めていく。


『ふはははは! わしの新技を見よ!』

 プール開きの時、プールの中の水を半分以上溢れさせたメリュジーヌだったが、学習したらしく、今度は幾分控えめになっている。彼女のアバターの手の先から水芸よろしく水が飛び出しているが、その水は途切れることなく、また避けても自動で追いかける優れものだ。


「ちょ、やめ! メリュジーヌ、汚いぞ!」

 こよりを庇っている形の斉彬は防戦一方だ。顔を狙われないように必死で防御しているが、メリュジーヌの水はそれをかいくぐるべく蛇のようにうねうねと動いて確実に斉彬にヒットしている。


「なら、これならどう? えい!」

 こよりが何やらつぶやいたかと思うと、ぱんと水面を叩いた。するとプールの水が大きくうねり、そのうねりはひとかたまりとなってメリュジーヌに襲いかかる。


『なんと!』


 水のゴーレムだ。こよりはプールの水を利用してゴーレムを創りだした。ゴーレムはメリュジーヌの水鉄砲を吸収してどんどん大きくなる。メリュジーヌになすすべもない。


 そんな部員達の様子を見ていた結希奈は先ほどまでの不安そうな表情はどこにもなく、むしろ、「あたしも水着、着てくればよかった」などとつぶやいている。


「取ってきたら、水着?」

 隣には慎一郎がいつの間にか立っていた。慎一郎はプールの中ではしゃいでいる仲間達を楽しそうに見つめている。


「うーん、どうしようかな……」

 楽しそうな仲間達をうらやましく思う気持ちと、校則は破れないという自分の性格の間で結希奈が揺れているとき、まるで頭を冷やせと言わんばかりに水がかけられた。


「ひゃっ!」

 思わず変な声が出た。


 プールの中を見ると、してやったりという表情で徹がこちらを見ている。水をかけたのは徹で間違いない。


「く~り~や~ま~!」

 頭から水を被った結希奈は怒り心頭といった様子で一旦更衣室に下がると、すぐに戻ってきた。


 水着に着替えたわけではない。服装は先ほどまでと同じ部屋着にパーカーを羽織ったもの――ただし、水に濡れてところどころ見えてはいけない部分が見えそうになってる――だが、手には長い水色のホース。手元で水圧を調節できるタイプのものだ。


「これでも、くらえ~!」

 そして、結希奈は手元のレバーをひねってホースの水圧を全開にした。その威力は先ほどのメリュジーヌの水鉄砲に勝るとも劣らない。


「うわっ、ちょ、待て!」

 徹が手を前に出して自ら自分を守ろうとするが、復讐に燃える結希奈は容赦しない。


「慎一郎、これ持って」

「え、おれ!?」

 結希奈は慎一郎にホースを渡すと、自分が部屋着だったことも忘れてプールへと飛び込んだ。そして徹の背後へと回り、彼を羽交い締めにする。


「ま、待て! 慎一郎! やめ……! ぶばばばば……!」

 無防備となった徹の顔面にホースの水が直撃する。


『ふははははは! トオルよ、なんだそのザマは! いいぞシンイチロウ! もっとやれ!』

 メリュジーヌが腹を抱えて大爆笑しているそこに、水のゴーレムが覆い被さってきた。


『ぶはあ!』

「ジーヌちゃんの相手はわたしだからね!」

こよりの攻撃とタイミングを合わせるかのように、プールサイドに上がった斉彬がメリュジーヌの近くに飛び込み、盛大に水しぶきが上がる。

 生徒達の楽しそうな声は夜空に染み込み、その空を色とりどりの花火が染め上げる。




 しかし、楽しい時間は長くは続かない。


「貴様ら! ここで何をしている!」

「やべっ、風紀委員長だ! みんな、逃げるぞ!!」


 慌てて逃げ出すが後の祭り。部員達全員あっという間に捕まってしまい、こっぴどく怒られた。


『むにゃむにゃ……おかわりを要求するのじゃ……』

 風紀委員に捕まったときにはすでに夢の中だったメリュジーヌの寝言が、説教中にはひどく恨めしいものに感じたのであった。

『もう一杯!』

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