とりたてて特筆べきこともないごく普通の北高での一日4

「ふう、いい湯だった」

 日もとっぷり暮れた午後八時過ぎ。夕食――ちなみに夕食はメリュジーヌのリクエストで肉野菜炒め定食だった――を済ませ、その足でシャワーを浴びてきた。


 こよりなどの女子生徒たちは結希奈の家で毎日湯船につかっているらしいが、男子生徒はそうもいかない。大きな運動部ならともかく、〈竜王部〉のような弱小部は封印騒ぎに巻き込まれなかった野球部やサッカー部などの部室のシャワールームを使わせてもらっている。

 正直、不便ではあるがないよりはずっとマシだ。


 体操着姿で片手にお風呂セットが入った洗面器を、肩から〈副脳〉ケースをぶら下げて部室棟から〈竜王部〉部室のある旧校舎までを歩く慎一郎。

 あたりは真っ暗で、数少ない備え付けの照明が青々と生い茂る園芸部の作物を照らす。


 時折吹く風が体温を下げてくれて気持ちがいい。我知らず鼻歌など歌い出していた。

「~~~~♪」


 新校舎の昇降口で靴を履き替え渡り投下を通って旧校舎へ向かう途中で、中庭にうずくまって何かをしている二人組が見えた。

 暗くてよく見えなかったが、近づいてよく見てみると、それは徹と姫子だった。しゃがんで何事かしている彼らの中心には直径五センチ、高さ三十センチくらいの金属製の筒が立っている。


「徹? それに外崎さんも。こんな時間に何してるんだ?」

 慎一郎が声をかけると二人は慎一郎を見上げた。手を上げる徹と微妙に視線を逸らす姫子。


「よう、慎一郎じゃないか。風呂の帰りか?」

「ああ。お前はいつ帰ってきたんだ? 剣術部はどうだった?」

 その問いに徹は首を振った。


「進展なしだ。さすがにあの時みたいにいきなり剣で襲いかかってくるなんてことはないけど、『認めない』の一点張り。雅治さん、あんなに頑固だったかなぁ?」

 幼なじみの態度に徹は首をひねる。


『それでトオルよ、お主は今何をしておるのじゃ?』

「これ? 気になる? ふふふ。花火の準備さ」

『花火……?』


 徹と姫子が弄っていた金属の筒はどうやら花火の発射筒らしい。よく見ると、筒の下にはノートくらいの大きさの紙が置いてあり、そこには魔法陣が描かれている。

 魔法陣は一部が欠けており、ここを繋ぐことで花火の魔法が完成するというのが基本的な花火の仕組みだ。


「剣術部の話と花火がどう関係するんだ?」

「ちょっと下がっててくれ」


 言われるままに後ろに下がると、徹は魔力を込めた指先を魔法陣の欠損部分にあてた。完成した魔法陣に魔力が満たされ、それが意味のあるものへと変化していく。

 できあがった魔法は金属の筒を伝って空へと打ち上がる。


 ヒュー……ドーン。


 地上から夜空へ、おなじみの花火の音が鳴り響く。しかし、夜空に開いた魔法の花はこれまで花火大会やテレビで見たような華やかなものではなく、ただ火花が飛び散っただけの貧相……簡素なものだった。


「筒はこれでいいみたいだな。けど、魔法陣にはまだまだ改良が必要そうだ。外崎ちゃん、このサイズで筒をあと九本作ってくれないかな?」


「じ、じつはもう……ある。こんなこともあろうかと……」

「マジ!? さすが姫子ちゃん!」


 徹が姫子に抱きついた。姫子はあからさまに嫌な顔をしている。なんとか逃れようともがいているが、その努力は全く報われていない。

 徹は姫子から離れてまた下を向き、魔法陣を見た。姫子は逃げるようにそこから立ち去っていった。


「俺が思うにさ」

 ノートの切れ端に鉛筆で書かれたらしい魔法陣を消しゴムで消し、新しい線を書き、調整していく。


剣術部あいつらには余裕が足りないと思うんだ」

 何を言い始めたかと思ったが、剣術部と花火の関係の話だ。


「ほら、俺たちって肉パーティとかアイスとかプール開きとか、こう見えて結構息抜きしてるじゃんか。でもあいつらってこういうの全然参加してないんだよな」


『うむ。心の余裕は必要じゃ。気が張り詰めたままの軍隊など、実力の十分の一も出せん。わしもよく巨人族との戦いでその手を使ったものじゃ』

 竜と巨人が戦ったのは紀元前の話だなどとぼんやりと考えている間にも、徹の話は続く。


「それで花火大会を開催しようと思ってさ。これならほら、遠くから見ても楽しめるしさ。例えば……部室棟の近くからでも」

 部室棟の近くには地下迷宮内にある剣術部部室から最も近い迷宮への入り口――剣術部から見ると地上への出口――がある。


「結構考えてるんだな、徹」

「あったり前だろ。俺ほど思慮深いヤツもそういないぜ。……っと。これでどうだ」


 徹が修正した魔法陣を再度有効化する。打ち上げられた花火は夜空へと舞い、先ほどよりも綺麗な花を咲かせた。


『ほほう。やるもんじゃの』

 メリュジーヌが歓声を上げた。


「メリュジーヌも花火、知ってるんだな」

『うむ。わしがおった時代にも花火はあった。じゃが、こういった皆を楽しませるものではなく、もっぱら通信手段に使われておったな。〈念話〉などという便利な魔法はなかったからの』


「こんなもんだな。あとは少しずつ調整していけば……」

 徹がそう言って立ち上がった時、渡り廊下から誰かがやってきた。


 小柄なそのシルエットは何やら多くのものを抱えてふらふらとこちらへやってくる。

「外崎ちゃん!」

 ふらふらとやってくるその人物は先ほど徹から逃げていったと思われた外崎姫子だった。


 姫子は慎一郎達の所までやってくると、手に持っていたものをがらがらと地面に落とした。


「パイプ……とってきた。ふひひ……!」

 姫子が持ってきたのは今まで徹が花火の実験に使っていた筒と同じものだった。その数およそ十本。それを鍛冶部の部室まで取りに行っていたらしい。


「おおっ、すげー! さすがは外崎ちゃん!」

 徹が再び姫子を抱き締めた。


「ふひ……ひ……」

 姫子はもう諦めたのか、なすがままにされている。表情からも諦めが漂って、ぐったりしている。


「そうだ!」

 徹が叫ぶと同時に姫子の戒めが解かれた。同時に姫子はへなへなとへたり込んだ。


「今からプレ花火大会を開催しようぜ!」

『ほう……プレ花火大会とな!?』

 徹の提案に目を輝かせたのはやはりメリュジーヌだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る