人と竜と鬼と3

                       聖歴2026年7月30日(木)


「竜海の森を守る竜よ……」

 地下迷宮の中、〈光球〉に照らされた巫女装束の少女の声が朗々と奏でられる。


 祝詞はあたりに響き渡り、彼女の足元に描かれている複雑な魔法陣へと吸い込まれていく。そのたびに巫女から魔法陣へと魔力が注がれ、その中心に置かれている白い玉の輝きが少しずつ増していく。


 それは、巨大モンスター――〈守護聖獣〉――の体内にあったいわば〈守護聖獣〉のコア。これを中心に新しい結界が形作られると巽は説明した。


 少女の額からつつ、と汗が流れる。

 破壊された魔術的な回路を生かして修復する。その作業はいちから結界を作るよりもはるかに簡単とはいえ、まだ高校生に過ぎない彼女にはかなりの重荷だ。


 〈竜海の森〉を取り囲む十二のほこらの再建作業はかなりの重労働だ。魔術的な結界となっているそこを修復するには、大量の体力、魔力が必要となる。


 しかも、この作業を行えるのは結界を作った大昔の武者の子孫だけなのだ。外部と隔離されている――閉じ込められた生徒達は“封印”と呼んでいる――今の北高では高橋結希奈の一人しか該当者はいない。

 誰にも頼ることはできないのだ。


「ふう、これでよし」

 結希奈が立ち上がって汗を拭いた。すかさず、側にいたこよりが結希奈に冷えたおしぼりを渡してくれた。


「ありがとう、こよりちゃん」

 結希奈は笑顔でそれを受け取るが、その表情から疲労の色は隠せない。


「できたっすよー」

 その時、迷宮の奥から複数の人影が現れた。


 男子生徒が三人と、その後ろに彼らの膝くらいの大きさの直立する青い体毛の犬が数体――数人。

 青い犬――コボルト達は小さな小屋のようなものをまるで神輿のように担いで運んできた。コボルト村のゴンたちである。


「よう、そっちはどうだ?」

「ちょうど今終わった所よ。それが新しいほこらだね。お疲れさま、みんな」

 こよりのねぎらいの声に斉彬だけでなく、コボルト達も嬉しそうに沸き返る。


「こんな感じでいいのかな? 一応、写真の通りに作ってみたんだけど」

 慎一郎が不安げな様子で結希奈に訊いた。


「大丈夫大丈夫。こういうのって、それっぽ……ちゃんとしたほこらが建ってるっていうのが重要なんだから」

「今、『それっぽい』って言おうとしなかった?」

 結希奈の言葉にすかさず徹がツッコミを入れた。

「う、うるさい! いいのよ、仮のほこらなんだし」

 結希奈達が修復しているのはあくまでも仮の作業だ。




 この〈竜海の森〉には、その外周を囲うように結界が敷いてある。今から四百年ほど昔にこの地で暴れた“鬼”を封じ込めた結界だ。


 結界には〈守護聖獣〉と呼ばれる存在がこれを守っていたが、この〈守護聖獣〉は何らかの原因によりその多くが変異を来たし、狂った。

 数少ない変異を来していない“辰”の〈守護聖獣〉である巽によると、破壊された結界を張り直し、ほこらを修復すればある程度は結界が維持できるということだ。その間に次代の〈守護聖獣〉を育てるのだ。


 なので、慎一郎達はこうして狂った〈守護聖獣〉たちのほこらを修復して回っている。


 倒した〈守護聖獣〉は“子”、“丑”、“寅”、“卯”、“戌”、“亥”の六体。今日ここまでに“子”、“丑”と今ここの“亥”の修復が終わったところだ。


 “子”のほこらは最初に慎一郎達が地下迷宮への入り口を見つけた壊れた小屋だった。

 “亥”のほこらは慎一郎達が最初に巨大イノシシと遭遇した長い下り坂の下、イノシシが壁を崩して温泉が露出した、まさにその場所にあった。崩れた岩の下にかつての“亥”のほこらが潰れされているのが見つかった。

 慎一郎達は今まさにそこにいる。


「オーライ、オーライ、オーライ。ストップっす!」

 ゴンの号令でコボルト達の制作によるほこらの設置が終わった。


「こんなもんでどうっすか、結希奈の姐さん?」

 ゴン達コボルトは結希奈やこよりのことを“姐さん”と呼ぶ。彼女達は嫌がっているが、かつて村を襲った巨大イノシシ――その正体は“亥”の〈守護聖獣〉だった――から村を救ったことで彼ら〈竜王部〉は守護者と崇め奉られているので、いくら言っても聞こうとしない。


「うーん、いいんじゃないかな。見た目もそれっぽいし、魔力の流れも順調そう。どうかな、ジーヌ?」

 結希奈は傍らで結界を見るそぶりをしている銀髪の幼女――メリュジーヌが普段使っている〈念話〉のアバターだ――に確認する。


『うむ、問題ないじゃろう』

 銀髪の幼女が大きく頷くと、結希奈も笑顔になる。


「何か来るぞ」

 斉彬の警告に、皆に緊張が走る。斉彬は素早く自分の剣を抜いて一同の前へ出た。慎一郎は今自分の剣がなく、借り物の予備の剣なので一歩下がっている。前の剣は少し前の戦いでなくしてしまったのだ。


 徹とこよりは呪文を唱え始めた。


 やがて暗がりから小さな影が現れた。非常に小さい。両手で抱えられるほどの大きさの四足歩行の生物で、“子”のほこら付近に出没するネズミのモンスターにシルエットはよく似ている。が――


「待って!」

 先制攻撃のための呪文を唱えている徹を結希奈が制した。


「どうしたんだよ、結希奈。モンスターだぞ」

 怪訝な顔をする徹を横目に、結希奈は自らの〈光球〉を前方に飛ばした。


 光に照らされ、茶色い体毛の背中部分にいくつかの縞模様が身体に沿って生えている姿が見えてきた。イノシシの子供――ウリ坊だ。


「かわいい!」

 思わず声を上げてしまったこよりが恥ずかしげに身を縮ませる。


 そうしている間にもウリ坊は身構える慎一郎達など眼中にないかのようにてくてくと短い足を必死に動かしながらこちらに歩いてくる。

 目の前にいる自分よりもはるかに大きな人間達とコボルト達に目もくれず、ウリ坊は歩く。慎一郎達も道を空けてウリ坊が進んで行くのを見守っている。

 ウリ坊はそのまま進む。たった今修復して、新しくしたばかりのほこらへ。


 そして、まだ新しい木の香りがする小屋へぴょんと飛び乗って、その中で身を伏せて目を閉じてしまった。リラックスしている様はまるで、自分の犬小屋に戻ってきた飼い犬のようだった。


「きっと、この子が次の〈守護聖獣〉になるのよ」

 結希奈が言った。“辰”の〈守護聖獣〉である巽は、やがて次代の〈守護聖獣〉が生まれてくると言っていたが、こういうことなのだろう。


「ゴンちゃん、この子のこと、見守ってあげてね」

 結希奈がにっこりと微笑むと、ゴンは直立不動の姿勢を取った。


「お任せくださいっす、姐さん!」

 ビシィ! という音が聞こえてきそうなほどの敬礼に一同は笑い、その場の雰囲気が和らぐ。


「それじゃ、次行きましょ……っとと」

 立ち上がった拍子にふらつく結希奈。それを咄嗟に慎一郎が支えた。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫よ、大丈夫! ちょっと立ちくらみしただけだから。さ、次行きましょ」


『いや、今日はここまでじゃな』

「うん、おれもそう思う」

 メリュジーヌの判断に慎一郎も同意した。


「え、なんで!? あたし、まだできるよ!」

 結希奈がムキになって反論するが、誰が見てもその顔には疲労の色が色濃く出ていた。


『まあ、そう急ぐこともなかろう。“鬼”とやらの結界は今日明日にでも破れるわけではないようじゃし、しばらくはわが眷属に任せても問題あるまい』


 『わが眷属』とは、“辰”の〈守護聖獣〉こと、巽のことである。竜人である彼女は四百年前に“鬼”をこの地に封じ、それ以来、この地に留まって鬼の結界を見守っていた。


『少しはわしら竜人族にも見せ場を作れ』

 そう笑って言われれば、結希奈も押し通すわけにも行かない。結希奈は「ふぅ」とため息をつくと、笑顔になった。


「わかったわ。ジーヌがそこまで言うのなら、ここはゆずってあげる」

『なんじゃと! それではまるでわしがわがままを言っているようではないか!』

 むきー! と怒り出すメリュジーヌに人間もコボルトも皆笑う。


 ほこらの再建作業は順調に進むと思われていた。

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