人と竜と鬼と2
対立する巨人族を駆逐し、旧大陸の――それはその時点では世界のすべてに等しかった――覇者となった
創世の時代より争っていたライバルを駆逐し、もはやこの世界にドラゴンに比肩しうる存在はない。メリュジーヌの治世には何の憂いもなかった。――はずであった。
ドラゴンという種族全体を蝕む病。それは、皮肉にも巨人を駆逐してドラゴンがこの世の支配者となったから現れたと言っても過言ではない。
戦う必要はない。命を脅かす者はいない。命短き者たちと異なり、死ぬまでに成し遂げたいこともない。それはドラゴンたちに無気力という形となって広がっていった。
ドラゴンたちに蔓延する無気力という病。永遠にも等しい時間を生きるドラゴンにとって、それは死に至る病であった。それだけに留まらず、無気力という病は新しく生まれるドラゴンの数を極端に減らしていった。少子化である。
それは種族全体にとっても死に至る病であった。
賢明なる竜王は少子化の原因をドラゴンという種族全体に広がる無気力のためであると看破していたが、竜王やその側近達をもってしてもドラゴンという種族全体に“生きる”という目的を与えることは極めて困難だった。
あの日、〈勇者〉を名乗る“人”から招待を受けるまでは――
人――
それは、ドラゴンと比較して弱く、愚かで、すぐ死ぬ、取るに足らない存在。
竜と巨人が戦っていたとき、その脆弱さからどちらの陣営にも顧みられることなく、ただ踏み潰されるだけだったその存在は、竜が世界を支配する時代になって少しずつ、だが確実に勢力を伸ばしていった。
広大なユーラシア大陸を支配するドラゴンが大きな岩のようなものだとしたら、人はその隙間に入った砂のようなものといえるだろう。ドラゴンが衰退して徐々にその数を減らしていくのと入れ替わるようにして人の勢力は広がっていった。
そして、ついに竜王が恐れていたことが現実の物になった。
人による“竜殺し”。史上初のドラゴンスレイヤーの誕生である。
倒されたのは竜族の中でも低位のものだった。しかし『竜が人に殺された』という事実は竜族を震撼させた。
このときメリュジーヌは竜族の総力を挙げて人を滅ぼすこともできた。そうしていれば歴史は確実に変わっていただろう。
しかし彼女はそうはしなかった。
理由はわからない。もしかしると、この時点でこの世界の中心が竜から人へ移り変わっていくという未来を竜王は見たのかもしれない。
時代は流れた。人は増え、竜は人に倒され、残った竜は僻地へ追いやられた。
それでも世界はまだ竜のものだった。
しかし、確実にその時代の終わりは近づいてきている。
そして、あの青年が現れた。
「竜族、そして人類の友好のために、陛下と、竜族の皆様方を我らの都、世界一美しい芸術と文化の都、パリへとご招待差し上げたく、ここまで参上つかまつりました!」
それ以降、竜族は劇的に変化した。
メリュジーヌを筆頭に、ドラゴンたちは次々とその本性を石に封じ込め、“竜人”に――ヒトになった。エルフやドワーフなどと同じ、“人類”に。
竜人達は人里へ降り、人と共に暮らすようになり、そこでそれぞれの人生の目的と喜びを見いだした。
“無気力”はものの数十年の間に消え失せた。千年を生きるドラゴンたちにとって、それは一瞬と言ってもいいほどの時間だ。
徐々にではあるが、新しく竜人の子も生まれてくるようになった。
人を滅ぼさないこと、人と共に生きること。メリュジーヌのふたつの決断は竜族を救った。
そかし、それを良しとしなかったドラゴンもいた。
“彼”は、はるか南方に居を構える竜だった。
竜族最高峰の地位である〈十剣〉の筆頭にも名を連ねた実力者である彼は、その黒い鱗により、“暗黒竜”と呼ばれ、地域の人々に恐れ、畏れられていた。
そこには、彼の“帝国”があった。
竜族がが次々と竜人となり、里に下って人と共に暮らすようになっても、彼は竜であることをやめなかった。彼に恭順する者には慈悲を、敵対する者には速やかなる死を与えた。
あるいは、彼は彼に恭順するものから見ればよい支配者だったのかもしれない。
そんな彼に竜王メリュジーヌは時代遅れである、と断罪した。そして、使者を送り、支配者ごっこをやめよと命じた。
しかし、使者は帰ってこなかった。続いて送った使者も帰ってこなかった。
竜王は激怒し、三人目の使者には暗黒竜に対する召喚命令を携えて向かわせた。
三人目の使者も帰ってこなかった。
メリュジーヌは人を愛していたが、それ以上に竜を愛していた。そして、愛する竜と人がどちらも生きながらえるには共存しかないと信じていた。もはや支配者と被支配者の関係は成り立たないと。
だから、彼を討つことにした。
相手は〈十剣〉の筆頭である。竜王ほどではないが強大な力を持つドラゴンだ。生半な戦力では太刀打ちできない。
彼女は己の責任であると、周囲の静止も聞かず自ら彼の討伐に向かった。
満月の夜、竜王は単独で彼に戦いを挑み、暗黒竜を討伐した。
『思えば、わしが自ら同胞を手にかけたのは、あの時だけじゃったのぉ』
爽やかな風が吹く屋上で、メリュジーヌは慎一郎の手を金網にかけ、満月を見上げながらつぶやいた。
『あの時のわしの判断は決して間違ってはおらなんだ』
二十一世紀の現在、人と竜はうまくいっている。そのことは、人である浅村慎一郎の〈副脳〉に竜であるメリュジーヌが召喚され、慎一郎や、彼の仲間達とうまくやっていることから証明できるだろう。彼らは他の人間達と同じように分け隔てなくメリュジーヌを友人として受け入れている。
『本当に良い子供らじゃ。本当に……』
気がつくと、東の空がうっすらと明るくなりかけていた。
『おっと、まずい。このままでは夜が明けてしまう。この身体も少しは休ませてやらねばかわいそうじゃな』
竜王は男子高校生の身体を動かし、屋上を後にした。
屋上にはコンクリートに降り注ぐ月明かりと爽やかな風だけが残された。
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