人と竜と鬼と

人と竜と鬼と1

                       聖歴2026年7月29日(水)


 夜中に目が覚めた。


 慎一郎はよく眠っているようだ。慎一郎とは魔術的に繋がっているから、思考の深層はともかく、起きているかどうかくらいはわかる。もっとも、慎一郎の側はメリュジーヌの狸寝入りを見破ることはできないようだが、その辺りは経験の差だ。


 慎一郎を起こさぬよう、彼の身体を動かしてそっと起きる。真夜中の部室は月明かりが差し込んでいてかなり明るい。部室の中では同じく部室で寝泊まりしている斉彬がやはり寝息を立てている。徹は今日は剣術部に泊まると言っていた。


 そのまま、起こさないように慎一郎の〈副脳〉――メリュジーヌの精神が入っている“本体”でもある――を持って部室を出た。

 旧校舎四階の西の隅にある部室から、階段を上って更に上へ。屋上へ出る。鍵はかなり前に開けたままだ。


 屋上には今メリュジーヌが出てきた階段へと続く小屋の他は何もない。屋上全体を月明かりが照らし、少し青白く輝いている。


『ん~』

 大きく伸びをした。身体の筋が伸びて気持ちいい。こういう時に肉体があるありがたさというものを実感する。


 普段の彼女は慎一郎に命の危機が及ばない限り、極力彼の身体を使わないようにしている。初めて会ったときに彼が懸念を示したのを尊重しているのだ。

 しかしそれではどうしてもストレスが溜まってしまうので、こうして夜中に目覚めたときには肉体の持ち主に気づかれないよう、深夜の散歩を楽しむこともあった。


 屋上の端に行き、危険防止のために貼られている金属の網に手をかけた。

 そこからは新校舎、更にその向こうに元は校庭だった大農場が広がっている。この二ヶ月半で北校の生徒達が作り上げた大地の恵みだ。


 周囲に遮るもののない屋上にさわやかなそよ風が吹く。日中はジメジメして蒸し暑いが、さすがにこの時間は過ごしやすくなっている。


 南欧の、しかも高山に居を構えていたメリュジーヌにとって初めての日本の夏は信じられないほど不快なものだった。しかし、今ではその暑さのおかげでさまざまな夏の料理が発展したのだと感謝もしている。

 そうめんや冷やし中華、ざるそば。アイスクリームにかき氷……。それだけではない。暑い日に辛いものを食べるのが美味いことを彼女は数千年生きてきて初めて知った。


 くぅ。

 腹が鳴った。


 欲望に忠実なメリュジーヌは何か食べたいと思ったが、ここで何か食べてしまってメリュジーヌの深夜の散歩ささやかなたのしみが慎一郎の知るところになるのは困る。仕方ないので我慢することにした。


 金網に手をかけ、ふと、空を見た。

 雲ひとつない夜空にぽっかりと浮かぶ月。それは完全な円を描いており、一点の欠けもない。そうか、今日は満月だったか。


 あの日も満月だった。

 メリュジーヌの思考は数百年前のあの日に戻る。あの日も今日と同じ、暑い日だった。

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