守護聖獣

守護聖獣1

                       聖歴2026年7月26日(日)


 巽が開いた〈転移門ゲート〉の先は〈竜海神社〉だった。近距離とはいえ、出口側の術者もなしに単独で正確に〈転移門ゲート〉を開いた巽の魔術に舌を巻く間もなく部員たちとメリュジーヌは神社の中に通された。

 そこは、神社に参拝に来た人たちが休憩するときに通される部屋らしく、とても大きな机が部屋の中央に置かれていた。


 慎一郎たちは、誰に言われるでもなく机の周りに置かれている座布団に座った。最後にやってきた巽が机の上に置かれているポットから急須にお湯を入れて、全員にお茶を出してくれた。


『うむ。なかなかの美味じゃの』

 慎一郎に急かしてお茶請けとして用意されていた煎餅を食べさせ、その感想を述べるメリュジーヌ。ばりぼりという煎餅を食べる音が部屋に響く。


「それで、巽さん……」

 巽の隣に座る結希奈が切り出した。お茶を煎れるために足を崩していた巽が姿勢を正す。

 そして語り始めた。四百年前の“伝説”を――




「今からおよそ四百年前、この地を荒らす“鬼”がいました。畑を荒らし、家畜を襲い、娘をさらう悪行を重ねる鬼に付近の村々の人たちは困り果てていました。その時やってきたのが一人の武者と、彼とともに旅をしていた竜でした」


 〈竜海の伝説〉だ。北高が敷地を借りている〈竜海神社〉建立にまつわる伝説。北高に通う生徒――いや、この街に住む人ならば誰しもが知っている伝説だ。


「武者と竜はここを治める大名の願いを聞き入れ、鬼の退治に向かいます。三日三晩にわたる激闘の末、ついに彼らは鬼を討ち取りました。しかし、完全には倒せてはいないのです。武者と竜はここに結界を作り、鬼を封じ込めました。それが今の〈竜海神社〉です」


「その武者ってのがのご先祖様……」

 慎一郎の言葉に巽が相づちを打つ。その隣の結希奈はどういうわけか不機嫌そうだ。


「そして、共に戦った竜がこの私です」


「…………」

 一同に驚きはなかった。メリュジーヌが彼女を“眷属”と呼んだこと、彼女の竜王に対する態度、そしてトラのモンスターを一撃で倒したあの強さ――どれをとっても彼女が人間ではない竜人であることを示している。


「巽さん……」

 悲しそうな瞳で巽を見る結希奈。そこにはさまざまな感情が渦巻いているのだろう。


「今まで黙っていて申し訳ありませんでした」

 巽が頭を下げた。


「言う必要はなかったのです。少なくとも、今年の四月までは――」

『それじゃ。今の状況に対してお主は心当たりはないのか?』

 巽は慎一郎の後ろに立つメリュジーヌの方を向く、しかし瞳は伏せ、決してメリュジーヌの顔を見ようとはしない。彼女の〈念話〉による姿が見えているにもかかわらずだ。


「はい。最初に結界が崩れたのは四月二十一日でした」


「それって、俺たちがあの壊れたを見つけた日じゃね?」

 徹が隣に座る慎一郎に耳打ちする。あの日、壊れたほこらと地下迷宮への入り口を見つけ、初めて迷宮に足を踏み入れた。

『うむ。あの時すでにネズミは狂っておった。何者かが結界を壊し、ネズミを狂わせた、と?』


 結希奈、こよりと合流し、巨大ネズミと戦ったのはそれから半月ほど経った五月九日だ。その日の夜、北高は封印された。


「いえ、結界が崩れた時点で〈守護聖獣〉たちに異常はありませんでした。だから私は結希奈さんにほこらが壊れたことを教え、様子を見に行くようお願いしたのです」


「つまり、おれたちが地下迷宮に入った四月二十一日から北高が封印される前日の五月九日までの間に何かが起こった……?」

 慎一郎が腕を組みながら考える。


「そんなの範囲が広すぎてわかるわけねー」

 お手上げと言わんばかりに両手を挙げたのは斉彬だ。彼はこの頃まだ部員ではなかった。


「私が〈守護聖獣〉たちの異変に気づいたときにはすでにすでに〈竜海神社〉は封印されており、私は鬼の結界の維持で精一杯になってしまったのです」


『ふむ……。わしは壊れた鬼の結界とやらの強化のために神社の敷地全体を封印したのかと考えておったのじゃが、違うようだな』

 メリュジーヌの言葉に巽は頷く。


「はい。私は神社の封印騒ぎに対して何ら関与しておりません。竜王陛下の前に誓います」

 メリュジーヌはふう、とため息をついて話を続ける。

『まあよい。次じゃ』

 北高の封印について新たな情報はなかった。結論の出ない話を竜王は好まない。話題を切り替える。


『〈守護聖獣〉と言ったな。あれは何じゃ?』

「“鬼”の結界を守り、強化するために私が呼んだ十の魔獣です」


 巽と武者の子孫たちと竜海の地で鬼の結界を監視していた。鬼を封じてから百年、いよいよ結界が弱まり、鬼の復活が現実のものとなりつつあった。


「その時呼び寄せたのが大陸では四神の一柱とされる白虎――のちの“とら”の〈守護聖獣〉です。私と彼はかつて神話時代、大陸で共に戦った同士だったのです」

「“寅”の〈守護聖獣〉――あの白いトラのことですね?」

 慎一郎の確認に巽は頷く。


「もとは大陸に伝わる魔術であったと聞きます。“寅”から教わったその魔術を日本に――この地に馴染ませるために若干のアレンジを効かせ、同時に周辺より強大な力を持つ魔獣たちを集めて〈守護聖獣〉とし、結界を強化、監視させることとしました」


「それが今の〈竜海の森〉……」

「そうです、結希奈さん。私と呼び寄せた魔獣たちはそれぞれ干支になぞらえた〈守護聖獣〉となり、以来三百年間、この地を守ってきたのです」


 生徒達は神妙に話を聞いている。驚きはなかった。ほとんどは〈竜海の伝説〉で知っていたし、北高を円周状に囲う干支になぞらえたモンスターという、こよりの仮説そのままだったからだ。


 もっとも、その当事者――しかも武者とともに鬼を封じた伝説の竜が今この目の前にいる妙齢の美女であるということは想定外ではあったが。


「そして要となる“たつ”の位置に私が座り、辰の〈守護聖獣〉となりました、〈竜海神社〉をこの位置に建て替えたのはこの頃です」

 そこまで話したところで巽は「お茶が冷めてしまいましたね」とポットと急須を持って奥に下がってしまった。


「ねえ、巽さんの話だと、このままじゃ“鬼”の封印が解けてしまうことにならないかしら?」

 こよりの一言に皆は神妙な顔つきになる。


「巽さんも結界を維持するので精一杯、って言ってたからな……」

『うむ。コヨリやナリアキラの言うとおりじゃ。すでにわしらはネズミ、イノシシ、イヌ、ウシ、ウサギ、トラと六体も倒しておる。全体の半分じゃ。いくら我が眷属とはいえ、十二体で守っていたものを六体で守れというのは無茶な相談じゃな』


 そうか、もうそんなに倒していたのか……。と慎一郎はこれまでを振り返った。


「じゃ、じゃあ、どうすりゃいいんだよ? もし“鬼”が復活したら、俺たちで倒せるのか?」

 徹は心配そうにメリュジーヌを見ている。その問いにメリュジーヌは眉ひとつ動かさずに冷酷に現実を告げる。


『無理じゃな。あのトラでさえ太刀打ちできなかったお主らが、十二体がかりで封じていた鬼を倒せるわけがあるまい』

 メリュジーヌは『わしの肉体さえあれば……』と唇を噛んでいる。この状況に彼女自身、悔しい思いをしているのだろう。


「それに関してですが、私の方で少し考えがあります」

 お盆にポットと急須を置いて持ってきた巽が言った。彼女は部員たちの湯飲みに新しいお茶を入れながら、「とはいえ、一時しのぎではありますが」と付け加えた。


「一時しのぎ……?」

 慎一郎が訊く。


「はい。結界を新しくするためには“卯”がやったように、〈守護聖獣〉の後継を探さなければなりません」

 卯の〈守護聖獣〉の後継は園芸部の山川碧だ。


「しかし、〈竜海神社〉が外と隔絶されている現在、それは困難を伴います。“卯”の場合は幸運に幸運が積み重なったといえるでしょう」


「あたし達が〈守護聖獣〉を倒しちゃったから……。ごめんなさい」

 結希奈が頭を下げるが、巽は「そうではないのです」と首を振る。


「悪意に飲まれてしまった〈守護聖獣〉はいずれ排除しなければならなかったのです。本来であれば私がやらなければならなかったこと。かつての仲間だからと躊躇していたことが事態の悪化を招いたとも言えましょう。竜王陛下、結希奈さん、皆さん。私の不手際をお許し下さい。そして、ありがとうございます」

 巽は畳に手を当てて優雅に頭を下げた。


「そんな……。これはあたし達にとっても他人事じゃないわ。巽さん、頭を上げて」

 結希奈が慌てて巽の頭を上げさせた。


『それで? お主の考えとやらを聞こうか』

「はい。これはあくまで一時しのぎでしかありません。悪意に染まってしまった結界を取り除き、新しい結界を敷くことができるまでの、一時しのぎです」


 巽は自らの考えを明かした。


 〈竜海の森〉の結界は十二のほこらとそれを守護する〈守護聖獣〉で成り立っている。十二のほこらが頂点となって鬼を封じ込めているのだ。

 現在、〈守護聖獣〉のほとんどが悪意に染まり、モンスターと化している。一方でほこらも狂った〈守護聖獣〉によって破壊された可能性が高い。

 “戌”の〈守護聖獣〉――コボルト達の犬神様のように……。


「極端な話、短期間であれば〈守護聖獣〉がおらずとも、ほこらさえ健在であれば結界は維持されます」


「つまり、ほこらを再建し、それを破壊されぬよう、狂った〈守護聖獣〉を倒す、ということですね?」

 こよりに巽は頷く。


「はい。不幸中の幸いと言いますか、現在の〈竜海神社〉は謎の封印により外部と隔絶されています。これがある限り外から災いが押し寄せてくることはないでしょう」


「皮肉なもんだな」

 斉彬の感想に皆が同意する。


「ほこらの再建さえできれば、時間はかかりますが次代の〈守護聖獣〉がやがて育つでしょう。正式な“卯”の後継も育つでしょう」

 巽によると、残った〈守護聖獣〉の眷属たちの中から次代の〈守護聖獣〉が育つらしい。


「そして、ほこらの再建には神社の巫女である結希奈さん、あなたが必要になります」

「あたし?」


 皆の注目が結希奈に集まる中、結希奈は決意を固めたように表情を引き締めた。

「うん、わかった。あたし、やるわ」


「頼んだぜ、結希奈」

「結希奈ちゃん、がんばってね」

 徹やこよりの激励に結希奈が笑顔になる。


『ふむ。事情はだいたいわかった』

 メリュジーヌが立ち上がり、そこに集まった少年少女を見渡す。


『わしらの当面の目標としては、まず、残りの〈守護聖獣〉を倒す。次に、破壊されたほこらを再建する。と言った所じゃな』


「見つかっていないほこらも探さないといけないな」

 慎一郎の指摘にメリュジーヌは『うむ』と頷いた。


「倒さなければならない残りの〈守護聖獣〉は“うま”、“ひつじ”、“さる”、“とり”です。私は神社ここに残り、結界の維持に努めます。竜王陛下、皆様、どうかよろしくお願い致します」

 巽は深々と頭を下げた。




 その後、少しばかりの雑談を――巽がしきりに結希奈の幼い頃の話をしようとして結希奈が赤い顔をして必死に止めていた――していると、学校から他の部の女子生徒達が帰って来はじめたのでこの集まりはお開きになった。


「そういえば……。ねえ、

 慎一郎は部屋から出て高橋家の廊下を歩いているとき、後ろに着いていた結希奈に話しかけた。


「何?」

 どういうわけかさっきから結希奈は慎一郎が話しかけると機嫌が悪くなるように見える。


 何か悪いことしただろうかと思いながらも、思い浮かんだ疑問を口にした。

「結局、あのご神体は何だったんだろう?」


 前回、ここにやってきたときに結希奈から見せられたのは、“竜の尻尾”であると言い伝えられていたものだ。その話から慎一郎はてっきり伝説の竜は死んでしまったか、ただの伝説の存在だと思っていた。


「ああ、あれは私の爪ですよ」

 先頭を歩いていた巽が振り返る。


「いくら竜人とはいえ、尾を切られたら痛いですからね」

 にこやかにそう言う巽を見て、言い伝えなんてこんなものなのかと慎一郎は少し大人になったような気がした。

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