竜虎相搏つ4

 薄暗い地下迷宮の小部屋に踏み込んだ巽は、何の気負いもなくスタスタと歩いてトラの手前、五メートルほどのところで止まった。

 トラが身体を巽の方へ向ける。その気配は巽にのみ向けられており、すでに慎一郎は眼中にない。


「慎一郎、無事か!?」

 部屋の位置口から徹が顔を見せた。斉彬もこよりも一緒にいるようだ。仲間の無事に慎一郎は安堵する。その様子を見て徹はメリュジーヌの〈副脳〉を掲げて見せた。彼女も無事らしい。


 部屋の中に入ろうとする徹たちを巽は振り返ることなく右手で制した。

「ここは私にお任せを」

「巽さん……」

 心配そうな結希奈をちらと見て、巽は結希奈を安心させるようににっこりと見つめる。


「結希奈さん、もう大丈夫です」

 そして視線をトラに向け、悲しそうな瞳でモンスターに声をかける。


「貴方まで”堕ちて”しまうとは……残念です。“とら”の〈守護聖獣しゅごせいじゅう〉よ」


 トラのモンスターは低く唸り、いつでも飛びかかれるような体勢だ。一方の巽は左手に刃が軽く反り返った両手剣――日本刀――を持ち、ただ立っている。


 巽に敵意を向けるトラは、しかし突然その敵意を消し、身体からも力を抜いた。瞳から怒りは消え、代わりに理知的な光が宿る。


 ――久しいな、“たつ”の〈守護聖獣〉よ。三百年ぶりか?


「……!」

 そこにいたが驚く。しかし、守護聖獣たちはそんな人間たちに構うことはない。


「よもや、こういう形で再開することになろうとは。もっと早く手を打てればよかったのですが……」


 ――情けないことだ。このオレまでもがこの竜海の地にはびこる悪意に飲まれてしまうとはな。


「ええ、全く残念です。貴方までこうなってしまった以上、もはや結界が破られるのは時間の問題なのでしょう」


 ――そうだな。“”もオレが殺した。そうなるとお前以外の全ての〈守護聖獣〉が堕ちてしまったと考えるべきなのだろう。


(何を言っているんだ……?)


 余人には割って入ることがはばかられる雰囲気の中、慎一郎はそんなことを考えていた。

 そんな間も巽とトラの話し合いは続いていた。しかし唐突にその話し合いは終幕を迎える。


 ――そろそろこの悪意を抑えるのも限界だ。


 トラは、悲しそうな瞳を巽に向けた。それは、先ほどまで慎一郎に殺意を向けていたモンスターと同じ存在とはとても思えない。


 ――殺してくれ。

 その言葉に変異前のトラの精一杯の矜恃を感じ取った。


「…………」

 無言でトラを見つめる巽。悲しげなその瞳が一転、厳しくなる。おそらく旧知の仲であったろうトラの最後の望みを叶える決心がついたのだ。


 ――感謝する。


 トラが頭を下げた。彼の理知的な行動は――〈守護聖獣〉としての彼の魂は――その直後消滅した。


 ――ガルルルルルルルル……。


 全身に力を込め、巽を睨む。その黄色い瞳からは憎しみと破壊衝動しか感じられない。そこにいるのは〈守護聖獣〉ではなく、ただのモンスターだ。


 ――ガウッ!!


 トラが飛びかかる。しかし巽は全く動じることはない。いつもの笑みをたたえて、そして少し悲しそうにトラを向かい受ける。そして――


「さようなら、古き友よ」


 閃光が走った。その瞬間、トラの身体に一本の線が入り、胴の中央から左右にトラが真っ二つに割れる。割れたトラの身体はそのまま巽を通り過ぎ、徹たちが待っている場所の少し手前まで飛んでいってそのまま動かなくなった。


 キン。巽がトラを斬った日本刀を鞘に収めた音が地下迷宮の部屋に響いた。もう、それ以外音はしない。静寂が地下迷宮に戻った。




「慎一郎、無事か?」

 徹が駆け寄ってくる。その後ろから斉彬とこよりもやってきた。


「ああ、ありがとう。高橋さんのおかげだよ」

 徹は「そうか」と慎一郎に彼の〈副脳〉を渡した。


『うむ。やはりわしはこの場所が一番落ち着くの』

 慎一郎の手に〈副脳〉が戻り、同時に光と音がメリュジーヌに戻った。メリュジーヌはどこか満足そうだ。


「巽さん……」

 結希奈が巽の前までやってきた。複雑な表情を浮かべる結希奈に、彼女の同居人の女性はぽん、と肩に手を置いて優しく微笑みかける。


「ここでお話しするのも何ですし、詳しくは神社へ戻ってお話ししましょうか」

『そうじゃの。さしものわしも今日は疲れた』

 メリュジーヌの同意を受けると、巽は呪文を唱え、〈転移門ゲート〉を出現させた。そして、慎一郎ら〈竜王部〉部員たちを招くようにその中へと入っていった。

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