竜虎相搏つ3
「ヤバい、崩れるぞ!」
トラの周囲の通路が崩落する。もうもうと立ち込める土煙の中。徹は〈
幸いにも徹自身は落下は免れたらしい。あたりの様子を念入りに確認して――トラの白い巨体が落ちていくのは見えた――そろそろと立ち上がる。
「げほっ、げほっ。みんな無事か?」
土煙が喉に入って咳が出る。目からは涙が出て土を洗い流そうとしている。全身泥まみれだ。そんな状況だが、仲間たちからの返事はすぐに帰ってきた。
「こっちは大丈夫だ」
声のする方を見ると、ちょうど斉彬が立ち上がるところだった。彼の背中からはぱらぱらと小さな石のかけらが落ちていく。少し遅れてこよりが立ち上がる。
どうやら、斉彬はこよりを庇っていたようだ。
「ありがとう、斉彬くん」
「どうって事ないさ。それよりも怪我はないか?」
「うん、大丈夫。斉彬くんは?」
「オレはこよりさんが無事ならそれで……あいたたたっ! ないです! 怪我はないからつねるのをやめて!」
「怪我の様子を聞かれたらすぐに答えること。いいわね?」
「わかったよ……」
「あのさ、お二人ともその辺でいいかな?」
徹が声をかけると、こよりと斉彬は急にその存在を思い出したかのようにビクッと身体を震わせて距離を取る。
「あとは、浅村と高橋か」
「二人とも、トラの近くに居たから一緒に落ちたのかも……」
こよりと斉彬が通路の間にぽっかりと空いた大きな穴から下をのぞき込む。
もともとくらい地下迷宮の中だが、その中は更に暗く、まさに闇の世界への入り口といった有様だ。当然、底を見ることはできない。
「浅村くん、怪我してたみたいだし、無事だといいけど……」
「今、慎一郎に〈念話〉してみます」
そう言って徹がこめかみに指を当てたところ、徹の頭に〈念話〉の着信があった。この〈念話番号〉は……。
「慎一郎からだ! 慎一郎からの〈念話〉がありました。もしもし……?」
しかし、聞こえてきたのは期待とは異なる声だった。
『む、これで良かったようじゃな。〈念話〉など初めてじゃが、以外と何とかなるもんじゃの』
「ジーヌか?」
メリュジーヌだった。メリュジーヌは慎一郎の脳をコピーした〈副脳〉にその本体を宿しているので彼女からの着信は慎一郎ののものであると認識したのだろう。
『うむ、わしじゃ。それよりも状況はどうなっておる?』
徹とメリュジーヌの話にこよりと斉彬もこちらへやってくる。
『何も見えんし何も聞こえん。おまけにシンイチロウの気配も感じんのじゃ』
「は? どういうことだ? 慎一郎は一緒じゃないのかよ」
『わしに聞くな。今言ったじゃろう。シンイチロウとの接続が切れて、何も感じんのじゃ』
「なるほど……それで俺に〈念話〉してきたってわけか」
メリュジーヌは――正確には慎一郎の〈副脳〉は――慎一郎と魔術的に接続されている。これは〈念話〉とは違った魔術だ。もともと持ち主の脳と〈副脳〉を〈念話〉で接続することは想定されていない。自分から自分に話しかけることは通常、ないからだ。ゆえにメリュジーヌは徹に連絡してきたというわけだ。
「状況はわかった。俺たちだが――」
徹がメリュジーヌに状況――三人は無事であるということ、トラと慎一郎、結希奈は穴に落ちたかもしれないということを手短に伝える。
その頃、辺りを調べていた斉彬が声をあげた。
「こよりさん、栗山! これ見てみろ!」
斉彬が崩落した通路の破片の中から白い直方体のケースを取り出した。少し土で汚れているが、外傷はない。慎一郎の〈副脳〉――メリュジーヌの精神が入っている本体だ。
「ジーヌ、お前の”身体”、斉彬さんが見つけたぞ」
『おお、でかした!』
メリュジーヌの声色に喜色が混ざる。
『よし、まずはシンイチロウたちの無事を確認するぞ』
「オッケー。慎一郎に〈念話〉してみる」
そう言って徹はこめかみに指を当てた。しばらくして――
「慎一郎! 無事だったか!?」
徹に笑みがこぼれる。
「もしもし? 慎一郎? 聞こえるか?」
しかし、その笑顔も長続きしなかった。〈念話〉は通じたのに慎一郎からの返事はない。徹の顔に不安の表情が広がっていく。
「もしもし? もしもし?」
徹がだんだん必死になってきた。周囲で見ているこよりと斉彬の表情にも不安が広がっていく。
「もしもし、慎一郎? 聞いてるのか?」
『もしかすると、そうか……』
メリュジーヌはひとり合点のいった表情でトオルに伝えた。
『どうやらシンイチロウは声の出せん状況――トラの近くで息をひそめているのかもしれん。じゃがシンイチロウの無事は確認できた。こちらの状況のみを伝えよ』
メリュジーヌの指示に徹は頷いた。そして、こちらの状況と、必ず助けに行く旨慎一郎に伝えて〈念話〉を切った。
「結希奈ちゃんにも伝えたわ」
同じタイミングでこよりも結希奈に〈念話〉で伝えてくれていた。
「それじゃ、慎一郎たちを助けに行こうぜ」
徹が自分の分とメリュジーヌ、ふたつの〈副脳〉を持って立ち上がった。
『いや、わしらはここで一旦退却じゃ』
メリュジーヌの方針に強い調子で食ってかかったのは斉彬だ。
「はぁ? 何言ってんだよお前! 浅村たちを見捨てるっていうのか?」
メリュジーヌの入っている〈副脳〉ケースにつかみかかろうとする斉彬をこよりが止める。
「斉彬くん、おちついて!」
「こよりさん、離してくれ! いくらこよりさんでもこればっかりは! オレは一人でも浅村を助けに行くぞ!」
ぱぁん、と乾いた音が地下迷宮に響く。
「こよりさん……」
自分の頬に手を当てる斉彬。痛みはそれほどでもないが、こよりに叩かれたというショックが大きい。
「ごめんね、斉彬くん。でも、落ち着いて。わたし達だけで助けに行って、もし、わたし達も遭難したらどうするの? 斉彬くんの気持ちはわかる。でも、ここは万全を期して十分な人数で行くべきだと思う」
「それはつまり、助けを呼びに行くってことか?」
斉彬の問いに、こよりは軽く頷いた。
『うむ。まさにコヨリの言うとおりじゃ。一旦地上に戻り、戦力を整えてから救出に向かうべきじゃ。ここは敢えて石橋を叩いて渡る』
「……戦力のあてはあるのか?」
『ある』
「門よ!」
徹が呪文を唱え終えると、目の前に光る扉が現れた。
そこをくぐり抜けるとこれまで〈光球〉のみが辺りを照らしていた薄暗い地下迷宮から一転、赤い夕日が差し込む夕暮れの中庭に出てきた。
中庭の炉で姫子が徹たちを出迎える。三人しか戻ってこなかったことに違和感を覚えた姫子にことの顛末を説明し、もう少し待機するように要請した。
そして、徹、斉彬、こよりの三人はメリュジーヌの指示に従って別の場所へ移動した。
「なあ、本当にこっちでいいのか?」
日が暮れかけて暗くなった〈竜海の森〉中を三人で歩く。斉彬が先頭を歩くメリュジーヌ――の映像――に聞いた。
『うむ。こちらでよい』
メリュジーヌが森の中を小道沿いにスタスタと歩いて行く。そこは普段、こよりや結希奈、他の女子生徒達が毎日通っている道だ。ここを進めば結希奈の家――〈竜海神社〉にたどり着く。
「オレはてっきり、菊池たちに助けを求めると思ったんだがな……」
「俺も。イブリースさんの魔界仕込みの軽やかな戦いぶりが見れると思ったんだけどな~」
徹がようやく軽口を叩くようになった。少しは落ち着いたということだろう。
そんなやりとりにもメリュジーヌは多くを語らず、森の中を歩いて行く。
こよりにとっては毎日通っていて見慣れた風景だ。もう一時間もすれば今日の活動を終えた女子生徒達がここを通って家路につくだろう。
「〈竜海神社〉ってさ、俺行くの初めて」
「そうなの? ここの生徒はみんな行ったことあるんだと思ってた」
こよりはこの封印騒ぎが起こる二日後に転向してくる予定だった。当然、封印前の北高のことは何も知らない。
「まあ、普通の神社だからなぁ。オレも野球部時代に必勝祈願で年に三、四回くらいしか行ったことはないな」
「でも今は、女の子たちがあそこで寝泊まりしてるんだろ? 禁断の女子寮って、なんかワクワクしてこない?」
「はぁ……。あとで結希奈ちゃんに怒ってもらわないとね」
「え!? ウソウソ、ホンの冗談ですよ。ね、斉彬さん?」
「はぁ? 何でオレに聞くんだよ? オレはこよりさん一筋だぞ!」
『まあ、神社の中に入ることはないと思うぞ。着いたようじゃ』
メリュジーヌの視線の先は森が開け、その奥に漆塗りの歴史ある木造建築物が見えてきた。その手前、神社の境内を示す玉砂利と森の境界付近に誰かが立っている。
「誰かいる」
その長身の女性は白い上着に赤い袴。今日、結希奈が迷宮探索に着ていたのと同じ服を着ている。
「巽さん……?」
こよりがよく知る人物であった。巽は封印前から〈竜海神社〉で働いている若い女性で、ここで寝泊まりしているこより達女子生徒とも親交が深い。
戸惑った様子の三人とは裏腹に、メリュジーヌは堂々とした様子で巽の元へと向かっていく。
やがて、メリュジーヌが巽の前までやってきて立ち止まる。その後ろに徹、斉彬、こより。四人が立ち止まったところで巽はすっ、と片膝を突き、袴が土に汚れるのも構わずうやうやしく頭を下げる。
「ようこそお越し下さいました。竜王陛下」
『うむ。わしの呼びかけによくぞ応じた。我が眷属よ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます