脱兎のごとく

脱兎のごとく1

                       聖歴2026年7月26日(日)


 五人の足音があたりに響き渡る。


 プールの管理小屋の階段から降りた先は、イブリースの言ったとおり下水だった。

 いくつか通路を進み、はしごや階段を降りていくと下水道に出た。

 下水と言ってもプールの排水のみが流れる場所なので、想像していたような悪臭はなく、水の流れすらほとんどない。


 下水の縁にある一段高くなっているコンクリート製の通路を皆で歩いて行く。コツ、コツと足音が響く。コンクリートで固められた道、周囲を照らす灯り。ここは明らかに地下迷宮とは違う、人の手で作られた施設だ。


「こんな所にモンスターなんて出るのか?」

 先頭を行く斉彬がそう言ったのも不思議ではない。しっかりと設計された下水道はきちんと人に管理されているように見え、モンスターが出てくる余地はないように思える。


「こういう施設って、だいたい害獣とかモンスターよけの結界が張ってあることが多いから、ここにモンスターが出るとは考え――」

 こよりが斉彬に同調したとき、下水の奥から唸るような声が聞こえてきた。


 ――ォォォォォォォォォォォォォ……!


「ひっ……!」

 結希奈が肩をすくませ、前を歩いていた慎一郎の制服を掴んだ。


『おるな。じゃが、まだ遠い』

 それは低く、腹にずん、と響くような声だった。本能的に恐怖を呼び覚ます、捕食者の声。


「斉彬くん」

「おう」

 こよりに促されて斉彬は持っていた鞄を下ろす。彼の鞄は他のメンバーと異なり、〈副脳〉ケースではない。


 こよりが鞄を開くと、中には大ぶりの石がいくつか入っていた。それを取りだして呪文を唱える。

 しばらく呪文を唱えていると石が淡く光り出し、まるであらかじめ決められていたかのようにお互いの石がくっつき合ってひとつの形をなした。


 それは少々寸胴だが、人の形をしている。

 こよりのゴーレム、レムちゃん。今までは現地の素材を利用してゴーレムを創り出していたが、この人口の下水道ではそうもいかない。あらかじめ錬金術で創りだした硬度の高い岩石をゴーレムの形に整えて機動寸前にしたいわば、“ゴーレム専用の石”だ。


 そういった工夫が生きているのか、動き出したレムちゃんはこれまでのものよりも一回り大きい。


「レムちゃん、行って」

 こよりの命令を受けるとレムちゃんはスタスタと歩き出して先頭を行く斉彬の前に出た。


 ここでは考えにくいが万一罠があったりモンスターの先制攻撃を受けたときに盾となるのがゴーレムの重要な役割のひとつだ。

 そのまま無言で進んでいく。あれ以来モンスターのうなり声は聞こえてこない。




「なあ」

 リズムよく繰り返される足音の打鍵を破ったのは徹だった。


「この下水、どこに続いてるんだ?」

 今の北高はその敷地をすっぽりと覆う封印のせいで外部とは物理的、魔導的に隔絶された状態にある。外に出ることはもちろん、外との連絡も付かない状態だ。


 ならば、この下水に流れた水はどこへ行くのだろうか?


「そりゃあ、外じゃないのか? 雨は降ってくるわけだし」

 斉彬が自信なさげに言う。確かに雨は封印の外から降り注いでくる。以前生徒会が確認したところ、上空にも不可視の壁があるにもかかわらずだ。


「って、そんな都合のいい話はないか……」

「いや、下水だけの話じゃない、と思います」

 慎一郎は神妙な顔で続ける。


「今までなんの疑問も持たずに使っていたけど、明かりもお湯も、トイレも問題なく使えてた。これらの魔力はいったいどこから来てたんだろう?」

 明かりやお湯をはじめとするさまざまな道具は魔力会社から供給されている魔力で動いている。現代社会を支えるそれらの多くは壁にある魔力コンセントにプラグを差し込むだけで何も考えずに使うことができた。


「どこって、そりゃあお前……」

 言って、徹は考え込んでしまった。


「斉彬さんの話じゃないけど、都合が良すぎると思うんですよ。校内の野菜が三日で育つこととか、地下迷宮でいろんな素材を集められることとか――」


「倒したモンスターが次の日には消えてることとか……」

「そう。細川さんの言うとおり。それってまるで……」


『誰かがこの状況を作り出した……?』

「そんなバカな! 誰が、何の目的で?」

 斉彬がメリュジーヌの仮説に反発する。が、それは反射的なものに過ぎない。


『わからぬ。わしらをここに閉じ込めてメリットを得るものが今の時点では見当たらん』

「確かに。おれが言い出してなんだけど、いまここで考えることじゃないと思う」

「それもそうだな」

 慎一郎の言葉に斉彬が同意する。彼の足元にはコンクリートの破片が散らばっていた。


 それまでひびの一つも入っていなかったコンクリートの壁はその一部分だけ崩壊していた。空いた穴の奥には土の通路が繋がっている。下水とは異なり、明かりはないので奥の方までは窺い知ることはできない。


『ここから地下迷宮に繋がっているようじゃな』

 メリュジーヌの言葉に慎一郎は両腰の剣に触れた。奥からは痺れるような気配が漂ってくる。

 一行は無言でうなずき合うと、下水をそれて地下迷宮の方へと入っていった。




 下水から入った先はいつもと変わらぬ地下迷宮だった。

 途中、何度かモンスターに遭遇したが、いずれも問題なくこれを撃破。慎重に突き進んでいく。


「なあ、浅村。こいつら変じゃないか?」

 最後の一匹を両断した斉彬が愛用の両手剣〈デュランダル〉を鞘に収めながら慎一郎に聞いた。


「そうですね。まるで……」

『何かに怯えておるようじゃな』

 メリュジーヌの言うとおり、これまで遭遇したモンスターたちは慎一郎たちに襲いかかるというよりは、先を争ってこの場から離れるような動きをしているように見えた。


「おい、あれ見ろよ!」

 徹が魔法で作りだした明かりを前方へと飛ばしていく。


 明かりに照らされたそれは、迷宮内にうずたかく積み上がった白い山のようなものだった。その周りの壁には何か鋭いもので傷つけたような跡が複数。


「何だこれ?」

 一行はそこまで歩いて行くと、徹がしゃがんでそれをちょんとつつく。高さはしゃがんだ徹ほどだ。


「むやみに触るな。何があるかわからないぞ。そこの壁の傷だって――」

「だーいじょうぶだって。何にもいやしないさ」

 慎一郎の注意に耳を貸さない徹。と、その時――


「うわっ……!!」


 徹がその白い山の一部を掴んでめくった瞬間、中から黒い影が二、三、飛び出していった。

 徹は思わず悲鳴を上げて悲鳴を上げて尻餅をついた。部員たちに緊張が走る。


 その影は五メートルほど走ると足を止めてこちらの様子をうかがっている。黒いシルエットに赤く目のようなものが光る。


 結希奈が自分用の〈光球〉をそちらに向けた。それは、両手で抱えるほどの大きさの白い毛玉――ウサギのモンスターだった。

「ウサギ……?」

 こよりがつぶやいた。


「碧さんについて行かずに野良モンスターになった子かもしれないね」

 園芸部の山川碧は先日、この地か迷宮に迷い込んだ際、“卯”の〈守護聖獣〉を名乗るモンスターから眷属となるウサギのモンスターたちの指揮権を譲り受けた。


 このモンスターたちはその時に主について行かず袂を分かった、あるいははぐれて独立を余儀なくされたモンスターたちなのかもしれない。

 ウサギたちはしばらくこちらを見つめていたが、やがてきびすを返してどこかへ去って行った。


「これ、ウサギの毛じゃないのか?」

 徹は再びしゃがんで白い山の一部を触っている。


「もしかすると、これが碧さんの話に出てきたウサギの巨大モンスター――“卯”の〈守護聖獣〉なのかも」

「けど、こよりさん。倒したモンスターは普通、次の日には消えちゃうんだぜ」


 碧の話から、“卯”の〈守護聖獣〉は碧に力を託した後、連絡が途絶えたらしい。彼らはそれを持って“卯”の〈守護聖獣〉は死んだと断定していた。

 それからもう数日が経過している。通常のモンスターであればとっくに消えているはずだ。


 徹の指摘にこよりは「うーん」と顎に手を当てて考える。

『巨大モンスター……〈守護聖獣〉じゃったか? そやつは別扱いなのかもしれんの。何故だかはわからぬが』

 メリュジーヌの指摘にこよりも納得したのか頷いている。


「と、いうことは、あのウサギたち、もしかすると自分の親だったこの子――“卯”の〈守護聖獣〉を守っていたのかもしれないわね」

 結希奈の指摘に皆も納得する。


「なら、悪いことしたかもしれないな。無粋なオレたちは早くここから立ち去った方が良さそうだ」

 そう言って歩き出そうとする斉彬を慎一郎が止める。


「いや、少し遅かったみたいです、斉彬先輩」

「どうした浅村……何っ……!」


『くっ……!?』

 いつの間に忍び寄ったのか、一行の目の前には巨大な白い、トラのモンスターが立ち塞がっていた。

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