下水の奥で待ち受けるモノ3

                       聖歴2026年7月26日(日)


 翌日、〈竜王部〉一行はこの日の探索に出る前に生徒会副会長イブリース・ホーヘンベルクの訪問を受けた。


「昨日、栗山君にはお話ししたのですが……」

 〈竜王部〉部室にて、席に着くなり結希奈からのお茶も断って話を切り出した。


「お前、あのあと本当に生徒会室に苦情に行ったのかよ……」

 そういう慎一郎はあきれ顔だ。


「プール、入りたいじゃないか……」

 徹がふくれっ面で答える。


「そうだ! イブリースさん、なんでプールに水入れられないのさ! というか、俺たちに頼みたいことって何よ?」

「頼みたいこと……? オレはそんな話、菊池から聞いてないが……」

「斉彬くんは昨日、倒れてたからね……」


 あははと笑うこより。あの後こよりはゴーレムを使って斉彬を保健室に連れて行ったが、辻教諭がいなかった――その頃彼女は生徒会室にいた――ためにそのままベッドに置いてきたのだった。


「よろしいでしょうか?」

 こほん、と咳払いをしてイブリースが部員たちの無駄話を切る。「すみません」と部員たちが頭を下げた。


「プールの下水から異音が聞こえるのです」

、のぅ……』

 イブリースはメリュジーヌに反応することなく言葉を続ける。


「今回、〈竜王部〉の皆さんにお願いしたいのは他でもない、この異音の調査です」


「ちょっと待てよ、イブリース」

「なんですか、森君?」

「オレたちの役割は地下迷宮の探索であって下水道の掃除じゃないぞ」

「わかっています。ですが、これはあなた達に依頼すべきことだと判断しました」


「……菊池か」

 斉彬が舌打ちする。


「その“異音”……。ですか?」

 慎一郎が訊いた。イブリースは身体全体を彼の方に向けた。


「おそらくは……モンスターの鳴き声。いえ、咆吼と言った方が正しいでしょうか」

 その一言に部室の空気が張り詰める。プールの下水にモンスターがいた場合、それがプールを通じて校内へ出てこないとも限らない。慎一郎たちが危惧していたことが現実に起こる。


 慎一郎は結希奈やこよりの方を見た。二人が頷いたのを見てイブリースに答える。

「わかりました。その依頼、お受けしましょう」

「ありがとうございます」

 イブリースがうやうやしく頭を下げた。


「なあ、イブリースさん。ひとつ確認しておきたいことがあるんだけど」

「なんでしょう、栗山君?」

「これ、うまく異音のもとを退治したとき、報酬は出るんですよね?」

 そう言う徹の瞳はどういうわけかキラキラと輝き、半身をイブリースの方に乗り出している。徹が身を乗り出した分、イブリースの身体が引けている。


「も、もちろんです。成果に応じて〈北高円〉でのお支払いを予定しております」

「いや、そうじゃなくってさぁ……」

 徹が頭を掻いた。


「他に何か希望が? 私にできることなら最大限、配慮しますが」

 徹は少し言いにくそうにしていたが、少し間を置いて意を決したように持ちかける。

「プール! 俺たちを最初にプールに入れて欲しい!」

「栗山! あんた何言ってんのよ!」

 徹の申し出に驚く部員たちだったが、イブリースには織り込み済だったらしく、涼しい顔で答えた。


「ええ、それくらいは当然の権利でしょう。その方向で検討します」

「それと!」

「まだ何か?」

 笑顔で聞くイブリース。顔が赤い徹。




〈竜王部〉一行はイブリースとともに旧校舎を出てプールへと向かう。先頭を歩くのは徹。その足取りは軽く、今にも飛び上がってしまいそうなほどで、しかも鼻歌まで歌っている。

「~♪」


 一方でその後ろを歩く面々、特に結希奈は渋い顔だ。

「すいません、うちのアホが……」

 そう言って頭を下げるが、下げられたイブリースは涼しい顔だ。

「謝罪には及びませんよ。もともと安全要員として生徒会から誰かに行ってもらうつもりだったんです。それが私になっただけですから」

「それは、そうでしょうけど……」

 納得いかない様子の結希奈だが、本人がそう言っているのだからしょうがない。


 徹がイブリースに求めた“報酬”は、『イブリースにも一緒にプールに入ってもらう』ことだった。

 驚きとともに、「やっぱりな」という徹の要求だったがそれはあっさりと叶えられた。イブリースは“保護者”の立場として〈竜王部〉――徹と一緒にプールに行くことを了承したのだ。


「いやー、今日もいい天気だ。青い空、白い雲! そして日差しに照らされるイブリースさんの水着姿!」

 徹がスキップしながら青空を見上げ、そんなことを言っている。それを見て結希奈はますます心配になってくる。

「あたしがしっかりしないと……」


 新校舎から渡り廊下を抜けてプールの入り口にさしかかったとき、それまで上機嫌だった徹の表情が一転した。


「……げ」


 そこには、紺色の冬服の制服に黄色い腕章、校則で定められた以上に短く髪を切りそろえた男子生徒、風紀委員がいた。

 さすがに昨夜ここに立っていた生徒とは別人だったが、やはり暑そうな冬服で額に汗を垂らし、微動だにしない姿勢でプールの入り口を守っている。


 風紀委員の前で立ち止まる生徒達。イブリースはその中から一歩前に踏み出した。

「生徒会のイブリース・ホーヘンベルクです。“例の件”について〈竜王部〉を連れてきました。生徒会長、風紀委員長の許可は取ってあります」


 どうやら、話はついているようだ。入り口を塞いでいた風紀委員はその場を譲り、「どうぞ」と短い言葉を副会長にかけた。


「行きましょう」

 今度はイブリースを先頭にプールの中へ入っていく。とその時、彼らの背後から声をかけられた。


「待て」


 やってきたのは真っ黒の軍服のような制服に黒い制帽、黄色い腕章をはめた小柄な女子生徒。風紀委員長の岡田遙佳だ。


 遙佳はプールの入り口で敬礼する風紀委員に「ご苦労」とだけ言ってイブリースの後に続いてプールに入ろうとしていた慎一郎の所までやってきた。


「頼みがある」

 遙佳は集まってきた〈竜王部〉部員たちを見渡した。


「地下迷宮の中でお前たち以外の生徒を見かけたらすぐに学校に戻るように伝えて欲しい」


 ウシの巨大モンスターと戦うときに手伝ってくれたバレー部やヘチマのモンスターに襲われていたバスケ部のことを思い出す。姫子の話によると他にもいくつかの部が彼女に武器の発注をしていたらしい。

 さまざまな部が地下迷宮に手を伸ばし始めているのは実感できた。


「なぜ、おれ達に?」

「私達風紀委員の管轄は校内に限られているからだ。越権行為は風紀を乱す。さりとて規約違反を見逃すわけにはいかない」

 生真面目な風紀委員長らしい言い方だ。


「頼む」

 真剣な表情で頭を下げる。

 そのまま返答も聞かず遙佳は慎一郎の返事も聞かず、校舎へと戻っていった。




 風紀委員が守っていたプールは水こそ張っていないがきれいに清掃されており、いつでもプール開きはできそうに見えた。


「こちらです」

 イブリースに案内されてプールサイドを歩いて行く。目指す先は更衣室からプールを挟んで反対側にある小屋だ。

 イブリースは持っていた鍵で小屋の扉を開けて、他の生徒達を中に招き入れる。


 そこは、教室半分くらいの大きさがあるように思われたが、部屋の半分以上をプールに水を入れるための魔導ポンプが占めており、圧迫感を覚える。しかしそれは今は動いておらず、ただ大きいだけの置物だ。


「俺、今までこんな所があるなんて知らなかった」

 徹が辺りを見渡しながら言う。確かに、普通にプールを使う分には立ち入らない場所だ。


 小屋の中のものには目もくれず、イブリースはまっすぐ奥へと向かっていく。

 彼女は部屋の奥まで行くと、しゃがんでそこにある取っ手に絡みついているチェーンを持っている鍵で外す。


 取っ手は地下へと続く扉だった。イブリースがそれを開く。慎一郎たちがそれをのぞき込むと、奥に続くはしごが見えた。


「ここから下水へと行くことができます」

 はしごの周りには灯りが付いているが、余り明るくない。そのためかかなり不気味な雰囲気を醸し出している。未知という点においては地下迷宮よりも不気味さを感じる。


 慎一郎は思わず喉を鳴らした。しかし、ここで怖じ気づいて引き返すわけにはいかない。

『皆、準備はよいか? 行くぞ』

 メリュジーヌの号令で〈竜王部〉は階段から続く地下の世界へと降りていった。

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