下水の奥で待ち受けるモノ

下水の奥で待ち受けるモノ1

                       聖歴2026年7月25日(土)


 ここのところ剣の注文が多い。この前はバスケ部だったが今度は吹奏楽部だ。その次もそのまた次もすでに予約が入っている。

 いつもならば部室に戻って〈竜王部〉部員たちの帰りを待っているはずだが、今日はまだ中庭の炉で剣を打ち続けている。

 無心で鉄を撃ち続けるこの瞬間が姫子にとって何より楽しい時間だ。人見知りの姫子だったが、鉄との会話は誰よりもうまくできると自負している。何せ、あの竜王に褒められたのだ。


 外崎姫子とのさきひめこ。北高に取り残された唯一の鍛冶部員。そして今は〈竜王部〉で部員たちが帰還する〈転移門ゲート〉を開ける居残り要員でもある。鍛冶の腕は超高校生級、しかし人付き合いは苦手。そんな高校二年生だ。


 ふと気がつくと頭の中で音が鳴っていることに気づいた。〈念話〉の呼び出しだ。集中していたことと鉄を打っていた音で気づかなかったらしい。


「はい。外崎……です……」

 相手は〈竜王部〉部員の高橋結希奈たかはしゆきなだ。今は地下迷宮にいる。姫子より一学年年下だけど明るく、しっかりしている。姫子はああいう女子になりたいと思っていた。

 ……無理だけど。


「うん。うん、はい……。わかった……わかりました。ふひ」

 軽く打ち合わせをして〈念話〉の接続を切る。今打っていた剣を水に入れて冷やした。刀身を確認してできばえを確認する。問題なし。

 剣を脇に置いて姫子は立ち上がった。そして、〈転移ゲート〉の呪文を唱え始める。


 呪文が完成すると姫子の目の前に大きな――姫子の背丈よりもふたまわりほど大きな扉が現れた。扉の向こうは光で溢れていて、向こう側を窺い知ることはできない。


 やがて、扉の向こうから人が出てきた。全部で五人。地下迷宮で探索をしていた〈竜王部〉の部員たちだ。

「ふい~、疲れた。今日もたくさん働いたぜ」

 巨大な剣を背負い、それ以上の大きな体躯をもつ森斉彬もりなりあきらは肩をぐるぐる回す。その巨大な剣は姫子作の両手剣、〈デュランダル〉だ。


「今日の進行は……」

「なるほど。そうするともうすぐ……」


 魔法のマップを開きながら話をしているのは部長の浅村慎一郎あさむらしんいちろう細川ほそかわこよりだ。こよりは姫子と同い年のはずだが、その見た目といい落ち着いた物腰といい、とてもそうは見えない。憧れることは憧れるが、とてもあんな風にはなれそうにもないので目指すのは諦めている。


『いやそれよりも晩飯をじゃな……』

 腹を押さえてそう言っているのは〈竜王〉メリュジーヌだ。見えているこの幼女は〈念話〉が作りだした映像だと言うが、未だに信じられない。姫子が今、鍛冶を頑張れるのはメリュジーヌに褒められたという部分も大きい。


「外崎さん、今日もありがとう。助かったわ」

 笑顔で姫子の前にやってきたのが結希奈だ。普段はショートカットで元気のある彼女らしい装いだが、今日は土曜日。ウィッグで髪を長くして後ろを縛り、制服ではない巫女装束を身に纏っていてとても大人っぽい。

 以前聞いたところ、土日に神事――彼女にとって迷宮探索は神事になるらしい――を執り行うときはこの格好にしなければならないらしい。


「い、いえ……こちらこそ……あり、あり……ありがとうござます……」

 顔が赤くなった。結希奈の顔をまともに見られず、視線が上下左右に動いて挙動不審になる。

 それでも結希奈全く気にすることなく笑顔でいてくれる。


「ふいー、疲れた。……てか暑っ!」

 最後に〈転移門ゲート〉から出てきたのは栗山徹くりやまとおる。姫子は徹のことが苦手だ。大きな声で必要以上に近寄ってくるからいつも及び腰になる。

 今も無意識のうちに結希奈の影に隠れていた。小柄な結希奈だが、姫子はそれ以上に小さいのでその影にすっぽりと隠れてしまった。


「あ……炉がつけっぱなし……なので……。すみません……ふひ」

 徹には間違いなく聞こえないであろう声でつぶやいた。しかし、徹にはその声は届いていたらしい。普段から女好きを公言するこの年下の少年は、女の子の言葉は絶対に聞き漏らさないと言っている。


「え……? いや、違う違うって! 外崎ちゃんのせいじゃないよ。悪いのはこの、日が暮れたのにこのクソ暑い気温! でもそれが夏! クゥ~!」


 暑さのせいか、謎のテンションになっている徹。と突然、徹は慎一郎の肩を掴んだ。

「よし、こんな暑い日はプールだ! 行くぞ慎一郎!」

「え……? ちょ、ちょっと待て……!」


 そのまま徹は慎一郎を引っ張って行く。その途中、こちらを振り向いて、

「結希奈たちもあとで来いよ。プール、気持ちいいぞ!」

「はぁ? 何言ってんの? 行くわけないでしょ?」

 結希奈のその返事も聞かず、徹たちは行ってしまった。


「はぁ……。人の話聞きなさいよ。まったく」

「あはは……。部室に戻ろっか?」

「うん、そうだね。着替えもしたいし」

 残った結希奈とこよりが部室に戻ろうとしたところ、二人の後ろに立っていた男子生徒の存在に気がついた。


「斉彬くん……?」

 怪訝な表情でこよりが訊ねた。斉彬はこよりの方をじっと見て、そして――


「こよりさんの水着姿……」

 盛大に鼻血を吹いたかと思うと、そのまま後ろ向きにひっくりかえってしまった。


「きゃーっ!」

「た、大変……! 結希奈ちゃん、回復魔法を!」

 大慌てで斉彬の介抱にかかる女子生徒達。〈竜王部〉に入ってから騒々しい日々が続いているが、そういうのも悪くないと姫子は最近思えるようになってきた。




「そういや、今年はまだプールに入ってなかったなって思い出したわけよ」

 プールに向かう道すがら、徹はそんな話をした。昼過ぎから徹の動きが精彩を欠いていたのはそんな理由だったかと自然にため息が出る。


 二人は中庭から校舎の脇を通ってプールへと向かう。プールと校舎は繋がっていないために、普段授業で使う場合は一旦昇降口で靴に履き替えなければならないらしい――『らしい』というのは彼ら一年生は授業としてのプールをまだ一度も経験していないからだ――が、今回は最初から外履きなのでそのまま向かう。


『む。誰かおるようじゃな』

 黄昏時、宵闇が校内に落ちてきている中を街灯がせめてもの抵抗として辺りを照らしている。その灯りに黒いシルエットが浮かび上がっている。


 紺色の冬服に黄色の腕章。腕章には“風紀委員”と書かれている。風紀委員の男子生徒は直立不動でプールの入り口付近に立っている。

 この暑いのに冬服を着ていて暑くないだろうかなどと余計なことを思っていたが、彼の額からは止めどなく汗が流れていた。やはり暑いのだろう。


「ども」

 徹が軽く挨拶をしてその風紀委員の横を通り抜けようとしたところ、その風紀委員に止められた。


「待て。どこへ行く?」

「どこって、プールですけど?」

「見てわかるだろう? プールは現在閉鎖中だ。立ち入り禁止だ」

「はァ!? もう七月も終わりなのに、なんでプール開いてないんだよ! 夏休みには普通、プール開放されてるだろ?」


 徹の主張はもっともだが、辺りも暗くなるこの時間にプールを開放している学校などないだろう。しかし徹の勢いに風紀委員はそんなことに気づかない。


「ダメだダメだ! 何人であろうとプールに入れるなという生徒会長からのお達しだ」

「フザけんなよ! どうせ自分たちだけで楽しんでるんだろ! 責任者を出せ!」

 完全に言いがかりだ。暴れる徹とそれを止めようとする風紀委員の間でもみ合いになる。


「そんな訳ないだろう! 今プールに水は張られていない」

 その言葉に徹の動きが止まった。


「ま、マジかよ……」

 あからさまにうなだれている。


「どうしたの? プール、空いてないの?」

 やってきたのは結希奈だ。部室で着替えたのか、いつもの制服姿にショートカット、手提げ鞄を持っている。


「高橋さん。いや、プール、開放されてないみたいなんだ」

「ふーん、そうなんだ……。なら仕方ないわね」

 慎一郎の説明にそう答えつつも結希奈は少し残念そうだ。


「苦情なら生徒会に言え。俺は生徒会からの依頼でここを警備しているに過ぎん」

 残念そうな生徒達を哀れに思ったのか、風紀委員はそう言った。


「くそっ! こうなったら生徒会に直接文句を言ってやる!」

 そして徹はダッシュで校舎の方へと戻って行ってしまった。


『やれやれ……どれだけプールに入りたいんじゃ』

 風紀委員からは見えないし聞こえないメリュジーヌが肩をすくませた。


「それで、どうするの?」

「どうするって……。プールに入れないなら帰るしかないよな」

「ま、そうね」

 残された慎一郎と結希奈は部室に戻ろうとした。その時風紀委員が話しかけてきた。


「すまんな。気持ちはわかるが、あんまり騒ぎを起こさないでくれ。風紀委員長に睨まれると面倒だ」

 風紀委員もいろいろ大変だ。彼の額から流れ続ける汗を見て慎一郎はそう思った。

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