大迷宮時代5
暗がりから現れたるは通路一面に広がる緑の絨毯。高さは膝上ほどだろうか。よくみると、それは青々と茂った葉であった。
葉の下には無数のツルがうごめいており、その一見無秩序に見えて規則正しい動きが通路にびっしりと敷き詰められた緑の絨毯を動かしている。
そして、絨毯から顔を出すように一定間隔で飛び出している黄色い花とその下にぶら下がるウリ状の実。バスケ部員達が“ヘチマ”と称した理由だ。
部員達に走る緊張を知ってか知らずか、ヘチマの絨毯は速度を落とすことも早めることもなく一定の速度で近寄ってくる。
それは、通路いっぱいに広がる動くヘチマのモンスターだった。近づいてくると風で葉が揺れるようなさらさらという音が少しずつ大きくなってくる。
「ひ、ひぃぃっっ……! た、助けて……!」
バスケ部員が更に縮こまる。よほど酷い目に遭ったのだろう、その表情は怯えきっている。
『植物系のモンスターは確か火に弱いはずじゃ。トオル、ユキナ、コヨリ、頼むぞ』
ダンジョン内で動く植物に出会うのは初めてだが、メリュジーヌはそうではなかったようだ。彼女の指示に後衛陣が頷き、それぞれ呪文の詠唱を始める。
「炎よ!」「炎よ!」「炎よ!」
徹と結希奈、こよりの呪文が完成すると、ヘチマの群れに三本の炎の柱がたちあがる。
炎に巻かれた植物はたちまちその身体を燃やし、あたりに生木を燃やしたような匂いと、白い煙をばらまいていく。
「おぉ……」「すげぇ……」
バスケ部員達のため息にも似た感嘆が漏れる。
しかし、その優勢は続かなかった。立ち込める白煙の向こうにゆらりと影が見えたかと思うと、次の瞬間、その中から幾本もの蔓が飛んでくる。
「……!」
バスケ部員達が息をのむ。
しかし、ヘチマのその奇襲は魔法使い達の前に出て警戒していた戦士達によってもろくも崩れ去る。
慎一郎が三本の剣で立て続けに襲いかかる無数の蔓を切り落とす。
斉彬は何本もの蔦をより合わせたような巨大な蔓を巨大な剣でたたき落とす。
炎の柱に対するヘチマからの仕返しとも言える執拗な攻撃が続くが、それらは二人の戦士達によって悉くたたき落とされ、後方の三人は〈スクリプト〉の無詠唱魔法に切り替えてその後方にいるヘチマ本体を燃やしていく。
しかし、どこにこれほどのヘチマがいたのかと言いたくなるほどヘチマの数は多く、燃やしても燃やしても後ろから新たなヘチマがやってくる。
戦いは一進一退の膠着状態に陥りつつあった。
しかし、それも長くは続かない。
数にまかせるヘチマに対してこちらはたったの五人。しかも相手は疲れなど知らぬ植物だ。魔法の使用可能な回数には限度があり、剣を振る手も次第に重くなっていく。
少年少女達は次第に押され、ヘチマの攻撃が次第に届くようになってきた。
「きゃっ……!」
「高橋さん!」
「だ、大丈夫。……! 浅村、前!」
「……!!」
慎一郎の意識が一瞬結希奈に向いたのを待ち構えていたかのようにヘチマの蔓が慎一郎に殺到する。
斉彬が咄嗟にフォローに入ろうとするが、彼の方にも蔓が迫っており、それもままならない。
「ぐっ……!」
ヘチマの蔓が慎一郎の右手に当たり、思わず剣を落としてしまった。幸いにして結希奈の防御魔法が重ねがけしてあったので骨折などはしていないようだが、手首が腫れ上がった。
慎一郎は落ちた剣を拾おうとはせず、左手に持っている剣と、魔法の力で浮かせている剣のみで戦っているが、一度崩れた均衡は容易には取り戻せない。手数が減っているだけでなく、手首の痛みによって集中力が切れかけている。
「あぶない!」
勢いの落ちた慎一郎に殺到する蔓の前に土の壁が立ち上がる。ゴーレムの技術を応用したこよりの錬金術だ。しかし急ごしらえのそれは蔓の勢いを減じさせるのが精一杯で瞬く間に破壊されてしまった。
「くそっ、〈副脳〉が止まった!」
徹が叫ぶ。許容量以上の魔法を使うと〈副脳〉は安全のために自動的にシャットダウンする仕組みになっている。徹はこれ以降〈副脳〉を使用しての魔法を使えなくなる。
徹や慎一郎、その他のメンバーの状況を見ながら、メリュジーヌが決断した。
『いかん、これ以上は持たん。撤退じゃ! ユキナよ、外に連絡を!』
「わ、わかった……!」
結希奈が頷いた。
しかし、結希奈が外で待っている翠に〈念話〉をしようと攻撃をやめると、炎の柱がなくなったヘチマたちはさらに勢いを増して猛攻撃を仕掛けてくる。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ……!」
蔓が殺到してくる。〈念話〉どころではない。自分の身を守るので精一杯だ。こよりが先ほどよりも分厚い壁を作りだしたが、それがいつまで持ちこたえられるかわからない。
『くっ……。撤退の判断を見誤ったか……!』
「くそぉぉぉぉぉぉぉ……!」
斉彬が〈デュランダル〉を放り出して壁を支える。壁の向こうから蔓が殴りかかってくる衝撃が断続的に押し寄せてくる。
慎一郎と徹もそれに加わった。焼け石に水だとはわかっていてもそうするしかなかった。
厚さ数センチの錬金術で産み出した土の壁が彼ら全員の命運を紙一重のところで支えている。
「も、もう……限界……」
地面に手をついているこよりが息も絶え絶えに言った。彼女は今も断続的に周囲の土を利用して壁を作りだしているが、それは常に精神力を消耗し続ける大技だ。精神力が尽きれば壁も崩れる。
「ここまでか……」
誰もがそう思った瞬間、突如、壁を叩く振動が消えた。
「……?」
全員が顔を見合わせた。
その時――
「ひぃぃっ……!」
後ろに下がらせていたバスケ部員が悲鳴を上げた。
「な……! 新手……!?」
『なんじゃと!?』
結希奈の驚きの声に全員が振り返る。
それは全身を白い体毛に覆われた二足歩行の人間のようなモンスター。音もなくこちらに向かってすたすたと歩いてきて、抱き合いながらブルブル震えるバスケ部員達の横を通り過ぎてこちらに向けて歩いてくる。
「う、ウサギ……?」
一メートル半以上もある高さのその二足歩行モンスターの頭上にはぴょんと立った耳が屹立していた。それは、どこをどう見てもウサギの耳だった。しかしそれは人間のように二足歩行で歩き、大きさもまるで人間だ。
「もしかして、これがウサギの巨大モンスター?」
この迷宮に十二支の巨大モンスターがいるというこよりの仮説によれば、ウサギの巨大モンスターの存在は予測の範囲内だ。しかし――
「そんな……。近すぎる……!」
マッピング担当のこよりが顔を青くした。
これまでの巨大モンスターの分布から考えると、モンスターたちは北高の外周に沿って十二支の順に位置しているはずだ。今彼らが探索しているのは外周部よりは中心部に近い。ここでウサギの巨大モンスターに遭遇するのはこれまでの傾向から外れるものであった。
しかし、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。ウサギは一歩、また一歩、音も立てずにこちらに近寄ってくる。
まっすぐ前を見ていたウサギが何かに気がついたように顔を下に向けた。そこには結希奈がいる。
慎一郎がその視線を遮るようにウサギと結希奈の間に立った。全身から汗が滝のように流れ、肩で息をしているが、その瞳からまだ力は失われていない。ウサギを睨む。
ウサギが立ち止まった。結希奈を見て、そしてその手前に立つ慎一郎を見た。
そして――
「結希奈ちゃん?」
「へ……?」
ウサギが喋った。あまりの予想外の出来事に思わず変な声が出る。
「結希奈ちゃーん! 会いたかったよぉぉぉ! うわぁぁぁぁん……!」
ウサギが結希奈に抱きついた。間に立っていた慎一郎が立ち塞がろうとしたが、まるで冗談のように弾き飛ばされてしまった。
「え!? ウソ。ちょっと……。や、め、て……! いやー、離して……!」
結希奈が必死にウサギを話そうともがくが、ウサギはがっちり結希奈に抱きついて泣きじゃくっており、離れない。
「うわぁぁぁん! いくら歩いても学校に戻れないし、畑は心配だし、翠ちゃんは怒ってるだろうし、こわかったぁぁぁぁ」
「え……!? もしかして、碧さん?」
結希奈が自分の胸で泣いている白い毛で覆われたその人物をまじまじと見つめる。
ウサギは顔を上げて、首を傾げ、その白い毛で覆われた赤い瞳で結希奈を見つめる。それは「何当たり前のことを言っているんだ」と言わんばかりのしぐさだ。
やがて何かに気づいたのか手をぽん、と叩くと誰かに向かって言葉を放った。
「もう大丈夫。離れてもいいよ!」
次の瞬間、ウサギを覆っていた白い体毛が一斉にウサギから剥がれ落ち、その人物の後ろへと下がっていく。
頭上の長い耳を除いて一瞬で白い毛皮を脱ぎ去ったその中には、北高の標準ジャージを身に纏った温和そうな女子生徒。プールそばの畑から地下迷宮に落ちて行方不明となっていた山川碧その人が残された。
「碧さん……!」
結希奈が胸の中にいた碧を抱き締める。
「よかった……よかったよ碧さん。みんな、心配してたんだから!」
「ごめんね、ごめんね……」
結希奈の胸の中で碧が再び泣きじゃくる。
『感動の再会に水を差すようで悪いが、状況は一向に改善しておらん。というより、最悪じゃ』
メリュジーヌが言うと、それをきっかけとしていたかのように部員達とヘチマを隔てる壁が崩れ落ちた。
「こよりさん!」
斉彬が魔法使用の限界を迎えてへたり込んだこよりの所へと駆け寄る。こよりは額から汗を拭きだして荒い息をしているが、意識はありそうだ。
「くそ……。おれがここを抑えるから高橋さん、〈
慎一郎が再びヘチマたちの前へ立つ。どういうわけかヘチマ立ちは先ほどから攻撃の手を止めている。規則正しかった動きがばらばらで、前後にうねうねと動いている。
「わ、わかったわ……」
結希奈が額に手を当てて地上の翠に〈念話〉をしようとする。ここから地上に連絡してタイミングを計りつつ〈
「オレも手伝うぜ」
慎一郎の隣に斉彬が立つ。その隣に徹も立つ。徹は魔法が尽きているため、普段から使っているスティックを手に持ち構えている。攻撃するのに全く向いていないがないよりはましだろう。
それぞれが武器を構えてヘチマの攻撃に備えようとすると、横に並ぶ斉彬と徹の間をすっ、と通る人影が横目に見えた。
ジャージ姿の女子生徒――山川碧である。
「碧さん、危ない。下がって!」
慎一郎が下がるように促すが、碧は緩やかに首を振った。
「大丈夫。私にまかせて」
言うと、碧は頭上のウサギの耳をぴょこぴょこ動かして「いらっしゃい」と小さくつぶやくと、通路の後ろの方、バスケ部員たちの近くに集まっていた白い毛玉が一斉に動き出した。碧の全身を覆っていた白い体毛だ。
「ひっ……!」
バスケ部員たちの悲鳴が聞こえたが、毛玉たちはバスケ部員など全く眼中にないように彼らの横を通り過ぎて更に進んでいく。
毛玉たちは碧の足元までやってきて、整然と並ぶ。よく見るとそれは毛玉ではなく、真っ白なウサギの群れだった。
ウサギが前に出ると、ヘチマたちのざわめきが大きくなった。葉を揺らし、実をかち合わせ、足に見える蔦を激しく動かしている。
逃げ出したいのに後ろがつかえて逃げられないと見えなくもない。
「怯えてる……のか?」
そうつぶやいたのは徹だ。
碧が更に一歩前に出る。それにあわせてウサギたちも前に出ると、ヘチマたちの動きは更に激しくなった。
「みんなは、ここから動かないでね」
異様な雰囲気の漂う戦場において、いつものような朗らかな表情で碧はそう言うと、右手をゆっくりと前へ差しだした。そして、耳を前後左右に動かしながら、
「みんなお待たせ。ご飯の時間だよ!」
その瞬間、今までおとなしくしていた毛玉たちが一斉にヘチマへと飛びかかった。
ウサギは次々とヘチマに取り付くと実はもちろんのこと蔓や茎、花にまで容赦なくかぶりつく。
その食欲は尋常ではなく、次々とヘチマたちはウサギの胃の中に入っていく。
襲いかかられたヘチマたちの混乱は激しく、各々が別々の方向に逃げだそうとしてお互いの蔓が絡まって動けなくなったり、ほかのヘチマを押しのけて逃げようとしたがウサギに危機の中ほどから食いちぎられたりしている。
そして、通路の奥まで埋まっていたかのように思われたヘチマの群れは、ものの二十分ほどですべてウサギたちの胃袋の中に収まってしまったのである。
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