真夏のハッピーバースデー
真夏のハッピーバースデー1
聖歴2026年7月17日(金)
平日の昼下がり。普段ならこの時間は校内で作業をする生徒達の声があたりに響いているはずだが、今日はその声もほとんどない。
北校封印以来最大の全校を上げての“焼肉大パーティー”。〈竜王部〉が地下迷宮から持ち帰った牛肉のみならず、各部がさまざまな食材を供出した。
数ヶ月ぶりとなる肉の大判震い舞に育ち盛りの高校生たちは男女を問わず熱狂、狂乱は日が昇る頃まで続いた。
ほとんどの生徒達はまだ夢の中にいるだろう。
そんな中、新校舎と旧校舎の間に位置する中庭で汗を流す男子生徒が一人。
〈竜王部〉部長、
足を広げて身を低くした姿勢で剣を振る。剣が空気を切り裂き、シュッという鋭い音が連続で聞こえる。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
慎一郎の額から汗が流れる。身体を低くして、両手には〈エクスカリバー〉と名付けられた二本の剣を持っているが、その身体は先ほどから少しも動いていない。
シュッ。また剣が空気を切り裂く音。
『そうじゃ。肩からもう一本手が生えている感覚を忘れるな。常に肘と手首の位置を把握しろ』
メリュジーヌの指示に従い、不可視の三本目の腕を意識しながら、その先にある三本目の剣を振る。
第三者には宙に剣が浮いているように見えるだろう。慎一郎の目の前で三本目の剣が振り下ろされると同時に空気が切り裂かれ、鋭い音がまた聞こえる。
メリュジーヌの魔法〈浮遊剣〉。魔法の力によって両手に持った剣とは独立して三本目の剣を操る技術だ。メリュジーヌはかつてこの技術を用い、“剣聖”として名を上げた。
〈竜王メリュジーヌ〉。
かつては全世界をその支配下に置いた竜人族の王。竜の中の竜、王の中の王。
今は慎一郎の傍らに置かれている両手で抱えられるほどの白いケースの中にある慎一郎の脳を複製した〈副脳〉の中にその人格はある。
竜人としての肉体が失われたメリュジーヌはかつてのように神とも形容されるほどの力は持たないが、その知識や才能は〈副脳〉を通じて接続された慎一郎にも受け継がれている。
この“第三の剣”もそのひとつだ。普通の人間ならば何十年もかけて習得するさまざまな剣術を慎一郎は砂に水が染み込むがごとく吸収し、己のものとしている。
『集中が乱れておるぞ。常に腕を意識せよ!』
「わ、わかった!」
メリュジーヌの檄が飛ぶ。
慎一郎は朝早くからこの三本目の剣の扱いについてメリュジーヌから師事を受けている。
前日の焼肉騒ぎに慎一郎は参加していなかった。その肉のもととなった巨大なウシのモンスターとの戦闘で疲れている事もあったし、驚くべきことに食べ物に関しては一切の妥協を許さないメリュジーヌから参加せずに早めに寝ようと提案があったという事情もあった。
メリュジーヌの不参加提案については、人間をこよなく愛する竜王が久しぶりの肉に喜ぶ子供達から分け前を取るわけにも行かないと考えたからではないか。と、慎一郎は思っている。
『ふむ……。だいぶ様になったようじゃな』
メリュジーヌのその一言を受けて剣はふわりと宙を舞い、慎一郎の腰に付けられている三つの鞘のうちのひとつに収まった。続けて両手に持った剣を残りの鞘に入れる。
慎一郎の汗が顎を伝い、雫となって地面へと一滴、また一滴と垂れていく。肩で息をして足りない酸素を少しでも補おうとする。
近くの柵に掛けてあったタオルで汗を拭き、〈副脳〉のケースが置かれている木陰に腰を下ろした。そして、そばに置いてあった水筒に手を伸ばす。
初夏の陽気に水筒の水はすっかりぬるくなってしまっているが、それでも喉を潤す水の美味さにその手を止められず、水を全部飲み干してしまった。
「ふう」
ひと息ついた慎一郎の隣に、銀髪の少女が腰掛けてきた。小学生くらいにも見える、目を見張るような美少女だが、身に纏っているのは北高の標準制服だ。
『初めてにしては上出来じゃ』
そう少女は慎一郎を褒めた。彼女はメリュジーヌが自分のアバターとして魔法的に作りだした映像だ。〈念話〉と呼ばれる個人間の通信を行う魔法を利用しているので、〈念話〉が通じる相手にしかその姿を見ることはできない。
「“三本目の腕”ってのが、まだよくつかめないんだ」
そう言って慎一郎は自分の右手を見る。
『元々二本しかない腕の三本目をイメージしろなど、普通そう簡単にできるものではない。人間に尻尾を動かせと言われてできんが猫なら簡単にできる。そんなものじゃ。慣れろ』
こんな見た目だがメリュジーヌの指導はスパルタだ。できるまで何度でも繰り返しやれというのがメリュジーヌの指導方針らしい。
『とりあえずは毎日の生活の場で慣らしていくのも良いかもしれぬ。例えば、手を使わずに食事をするとかじゃ』
「なるほど……それはいいかもしれないな」
『ならば早速実践じゃ。そろそろ食堂も開く頃合いじゃろう。行くぞ、シンイチロウよ』
「お前、それが目当てだっただろ!」
『な、何のことじゃ……?』
メリュジーヌは手を頭の後ろで組んで明後日の方角を見ながら下手くそな口笛を吹いている。実にわかりやすい。
家庭科部が運営している食堂に行ったが、今日は夕方まで休業とのことだった。
食堂に貼ってある張り紙から併設しているカフェが作り置きの軽食を出していると知り、そちらへと向かった。
なんだかんだで慎一郎も朝から鍛錬で空腹だったのだ。
カフェ――といっても通常の教室を改装しただけだ――で当番の生徒から野菜サンドとコーヒーのセットを受け取り、席に着く。
校内と同じようにカフェにも慎一郎達以外には誰もいない。家庭科部員とおぼしき当番の生徒も眠そうだ。大あくびをしている。
コーヒーを一口含んで口を濡らし、サンドウィッチを食べようとしたところ、カフェにもう一人の客が現れた。その生徒は部屋に入るなり大きな声で、
「おぉ、浅村にメリュジーヌ。いいところに!」
あまりの大きな声に慎一郎もメリュジーヌも思わず振り向いた。そこには斉彬がいた。
そのままカフェの中へ入っていき、慎一郎の正面の席に座ろうとしたとき、当番の家庭科部員から「ご注文は?」と聞かれたので、斉彬は「アイスコーヒー!」と必要以上に大きな声で答えた。
斉彬は当番の二年生からアイスコーヒーを受け取ると、先ほど座ろうとした慎一郎の向かいの席に腰掛けた。そして手に持ったグラスからストローを引き抜いて氷ごと一気にアイスコーヒーを飲み込んだ。
「ひょっひょおまへにそうらんらが……」
氷をバキバキとかみ砕きながら何事か話している斉彬。
「いや、何言ってるのか全然わかりませんから」
そう言われた斉彬は口に入っている氷をガリガリと噛み、アイスコーヒーとともにゴクリと飲み干してそしておもむろに頭を下げた。
「浅村。金貸してくれ!」
「……は?」
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