牛の歩みも千里7

 怒り狂ったウシが突進してくる。


「炎よ!」「炎よ!」

 徹と結希奈の無詠唱魔法が立て続けにウシにヒットした。しかしあらかじめ〈副脳〉にインストールした魔法では威力不足なのか、それともウシが怒りに痛みも感じないのか、その勢いが止まることはない。


「くそっ、もっと強力な魔法をインストールしておくべきだった!」

 徹が毒づくが後の祭りだ。強力な魔法は〈副脳〉の多くの領域を使用するため、魔法の種類を多く用意できないという欠点がある。


「浅村、メリュジーヌ。最初の一撃は回避した方がいいと思うんだが、どうだ?」

 斉彬の提案にメリュジーヌが賛同する。

『うむ、地形を利用してダメージを与えるのはよい手じゃ。ギリギリまで引きつけよ』

「わかった」

 慎一郎も頷き、仲間に伝達する。


「みんな、ギリギリまで引きつけてから回避だ。敵を壁にぶつける!」

「オッケー」「わかった」「了解!」

 徹、結希奈、こよりの返事がそれぞれ聞こえてきた。


「来るぞ!」

 斉彬の声に意識を正面に向けると、ウシが目の前に迫ってきていた。その巨体は遠目で見るよりはるかに圧迫感がある。今すぐ逃げ出したくなる気持ちを抑えて、ギリギリまで引きつける。


 ウシと目が合った。その瞳は怒りに満ちあふれている。今すぐ出て行け。ここはお前らが入っていい場所ではない。人間に害を及ぼすのがモンスターの定義であるなら、こいつは立派なモンスターだ。


「回避!」

 ウシの角が触れるか触れないか――あくまで主観だ――という所まで引きつけ、大声で叫んだ。同時に、自らも身をなげうって回避する。


 直後、巨大な肉の塊が自分のすぐ脇を通り過ぎたのを感じた。

 凄まじい轟音とともに、上下がわからなくなるほど迷宮が揺れる。ウシが激突した壁が砕け、近くにいた慎一郎の所にまで破片が大量に飛んできた。


「どうだ! おとなしく倒れてろ!」

 徹が声を上げる。あれだけ派手にぶつかってただで済むはずが……。


「ウソ……だろ……?」

 めり込んだ壁の中からゆっくりと身体を引き抜いた巨大ウシは、その怒りをいささかも減じることなく憎悪の衣を身に纏っている。


『来るぞ! この至近距離では危険じゃ! 次の突進も回避に専念せよ!』

 各々が体勢を低くして敵の動きを注視する。

「このままあいつを壁にぶつけて少しずつ体力を奪っていけば……」

 猛牛という言葉にふさわしい怒り狂った巨大なウシのモンスターを前に、そう戦術を固めていた慎一郎だったが、現実はそううまくはいかない。


「待って! こよりちゃんが……!」

『何……!?』

「こよりさん……!」


 慎一郎から見てウシの反対方向、死角になっていたところに結希奈とこよりがうずくまっているのが見えた。正確にはこよりが倒れており、彼女に覆い被さるように結希奈が何かをしている。


「こよりちゃんの足が……瓦礫に挟まれて……!」

 先ほどのウシの衝突で崩れた迷宮の壁が運悪くこよりの足に挟まってしまったのだ。体勢が悪く、こよりの手は瓦礫に届かない。――瓦礫をゴーレムにしてどかすことができない。


「待って……今……どけて……」

「結希奈ちゃん! わたしのことはいいから、逃げて……!」

「そんなこと言ってる場合じゃ……きゃっ!」

 瓦礫をどかそうとした結希奈だったが瓦礫の重さにひっくり返ってしまった。


「俺も手伝う!」「こよりさん!」

「ありがとう、栗山、斉彬さん!」

 徹と斉彬が瓦礫の除去を買って出てくれた。


「おれはウシの注意を逸らす。ちょっと……いや、かなり危ないかもしれないけど、いいな、メリュジーヌ?」

『うむ。援護はしよう。じゃが、くれぐれも油断するな』

 メリュジーヌがそう言うと、腰に吊り下げられていた三本目の〈エクスカリバー〉がふわりと宙に浮いた。メリュジーヌの使える数少ない魔法で剣を操るのだ。




「てやぁぁぁぁぁ……!」

 ウシの注意を引きつけるのが目的だ。慎一郎は敢えてウシから見えやすいように、真正面やや左から斬りかかった。


「うわっ……!」

 慎一郎の渾身の一撃はウシの角にいとも簡単に弾き飛ばされる。しかし、ウシの注意を引きつけることには成功したようだ。怒りに燃えるウシの赤い瞳は慎一郎を捕らえて放さない。


「いいぞ、こっちだ。こっちに来い」

 そのまま少しずつ下がるようにウシを引きつける。ウシはまだ動かないが、頭は確実にこちらを向いている。今の奴は慎一郎以外の人間は全く見えていないに違いない。


 突然、ウシが突進してきた。回避する余裕などない。牛の頭が激突する直前、メリュジーヌの剣がウシの角を一本、切り落とすのが見えた。

 咄嗟に両手に持った二本の剣を構え、後ろ向きにジャンプ、少しでも勢いを殺そうとしたが、それでも今まで経験したことのない衝撃が慎一郎に襲いかかり、大きく吹き飛ばされる。


「ぐはっ……!」

 地面に激突。幸い、地面に生えていた草がクッション代わりとなって受け止めてくれた。しかし、肺の中の空気がすべて吐き出され、一瞬意識が遠のく。


『シンイチロウ……!』

 メリュジーヌの声が聞こえるが、全身に痛みが走り、身体が動かせない。何とか首だけを持ち上げると、角の一本を失ったウシが身体を低くして突進の準備をしている。


 慎一郎がすぐには動けないと知って、確実に仕留めようという意思がそこに感じられた。

『シンイチロウ……! 立て、立つんじゃ!』

 メリュジーヌの必死の呼びかけが聞こえるが、全身が痺れていてとても立ち上がれない。


 ウシが全身に力を込める。それは慎一郎にとって致死の一撃となるものだ。何とか這って逃げようとするが、思うように身体が動かない。


「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇい……!」

 その時、ウシの後ろ側――こよりが倒れていると思われる付近から声が聞こえたかと思うと、大柄な身体が跳躍してウシの背中に飛び乗った。


「斉彬さん……!」『ナリアキラ!!』


「させるかよぉぉっ……!」

 ウシの背中に飛び乗った斉彬は力任せに〈デュランダル〉を突き立てた。外崎姫子作の巨大な両手剣は堅牢ななウシの外皮を貫き、ウシの肉体にダメージを与える。


 ――ブモモモモモモモモモ!

 ウシは自らの身に突然襲いかかった痛みに暴れ出し、背に乗った異物――斉彬をふるい落とそうとする。


「うわ、わわわっ!」

 しかし斉彬は背中に突き立てた〈デュランダル〉につかまり、巧みにバランスをとって振り落とされないようにしている。こんな状況でなければロデオのようだと皆の喝采を浴びただろう。


 ウシは背に斉彬を乗せたまま、部屋の中央へと移動していく。ウシから十分に離れたことを確認した慎一郎は、ゆっくりと起き上がり、自分の身体の状態を確認する。――問題なさそうだ。


「細川さん……!」

 そして、瓦礫に足を挟まれたこよりの方へと走っていった。




「ありがとう、心配してくれて。でも、もう大丈夫」

 駆けつけた慎一郎にこよりはいつも通りの柔らかい笑顔で礼を言った。その足首には淡い光で照らされている。結希奈が今も回復魔法をかけているのだ。

 こよりの足の上にあった瓦礫はすでに徹と斉彬の手によってどけられていた。見た限り、こよりの足は出血もなく腫れもなく、それほど重傷ではなさそうだ。


 こよりの状況にほっとした慎一郎は、再び注意をウシに向けた。

 ウシは部屋の中央で今も斉彬を背に乗せて暴れている。斉彬も吹き飛ばされればひとたまりもないことを理解しているためか、必死に〈デュランダル〉に掴まっている。


『しかし、いつまでもつか……。シンイチロウ、加勢するぞ』

「わかった。徹はここで二人の様子を見ていてくれ」

「オッケー。あまり無茶するなよ」

 慎一郎は徹と拳を突き合わせ、ウシに向かっていこうとする。と、こよりを治療中の結希奈から声をかけられた。


「待って、浅村。〈加護〉の魔法をかけておくわ」

 結希奈が治療を一旦中止して防御魔法をかけてくれた。慎一郎の身体が淡く光る。




「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……! 振り落とされてたまるか!」

 斉彬はウシの背中に突き立てた〈デュランダル〉を左手に持ち、右手は大きく広げて何とかバランスを取ろうと必死になっている。


「斉彬さん、今行きます!」

 慎一郎が斉彬の所へ向けて猛ダッシュする。


「来るな、浅村!」

 ウシの上の斉彬は怒鳴り声を上げて慎一郎を制止すした。予想外の斉彬の言葉に慎一郎は思わず足を止める。


「なんで……斉彬さん!」

「後ろを見ろ……!」

 斉彬に言われ、慎一郎は後ろを見る。そこには先ほどのモンスターの突撃で崩れた壁と、治療を受けるこより達がいた。


「お前がウシの注意を引いて、ウシがそっちに突進したら……こよりさんの身が危ない……!」

「……!」

 よく見ると斉彬はウシの上でバランスを取りつつも背中に突き立てた剣をぐりぐりと動かして巧みにウシの注意がこちらの方角へ向かないように工夫している。


 事情はわかった。だが、斉彬をこのままにしておく訳にもいかない。


 慎一郎は自分が注意を向けられてもこより達に危険が及ばないように大きく回り込んだ。


「たあっ!」

 ウシの背後から、動きを止めるために足を狙って切りつける。


 ――ンモォォォォォォッ……!!


 ウシが大きく暴れ始める。足を大きく振り、足元の土が盛大に舞い上がった。

「うわっ!」

 ウシの大暴れに慎一郎は思わずのけぞった。しかし怯んではいられない。


『シンイチロウよ、後ろ足を集中攻撃するぞ。タイミングを合わせよ』

「わかった……!」

 慎一郎は暴れるウシの死角を取りながら、先ほど切りつけたウシの足に狙いを定める。


『今じゃ……!』

「たぁぁぁっ!」

 三本の剣が同時に閃く。しかし――


 ――モォォォォォォォォッ……!!


 見えていないふりをしていたのか、それともただの偶然か、ウシは大きく動き出し、ひづめで剣をはじいてしまった。

「な……!」

 驚愕に目を開く慎一郎に、ウシはさらに身体を大きく揺らし、背に乗せた斉彬をこちらに投げ飛ばしてきた。


「うわわわっ……!」

 体勢の崩れた慎一郎の上に投げ飛ばされた斉彬がぶつかった。鈍い音がして、まぶたの下に星が光った。


「うっ……ぐぐぐ……」

「すまん、浅村……」

 絡み合って身動きの取れない慎一郎と斉彬。そこにさらにウシが追い打ちをかけようと襲いかかる。


 ――ヴモモモモモモモモモ!


 ウシは前足を大きく上げた。慎一郎達をその巨体で押しつぶそうとしているのだ。

「……!」

 その巨大質量をただ見上げるしかない慎一郎と斉彬。メリュジーヌの剣が宙を舞い、それを食い止めようと必死に攻撃しているが致命傷を与えるには至らない。


「慎一郎――――っ!」

 徹の叫び声が聞こえた。ウシの身体がスローモーションのように落ちてくるのが見えた。


 ――が、決定的な瞬間は訪れなかった。


 ウシの巨体が慎一郎と斉彬を押しつぶす直前、質量のある巨大な炎の球がウシに命中し、二本足で立っていたウシのバランスを崩す。


 ずぅぅぅぅん……。慎一郎の目の前でウシが横向きに倒れた。何が起こったと考えるよりも早く身を起こし、斉彬を引きずってウシから距離を取った。

 慎一郎達がウシから離れると、先ほどの炎の球が再びウシに襲いかかる。


 ――モォォォォォ……!!


 炎に包まれたウシから苦悶の声が漏れる。

「〈竜王部〉の皆さん、大丈夫!?」


 声のした方を見ると、ジャージ姿の背の高い女子生徒が四人、爽やかな笑顔でこちらに手を振っていた。


「北高女子バレー部、参上!」

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