アイス、アイス、アイス!2
聖歴2026年7月7日(火)
翌日、慎一郎と徹は〈竜海神社〉の近くから〈竜海の森〉へと入っていった。迷宮内に常設するはしごの材料となる、竹を採取するためである。もちろん、森の所有者である結希奈と生徒会の許可は取ってある。――最初許可なしで木工部にナタを借りに行ったら
昨日の夜遅くに降り始めた大雨は明け方にやんだようだ。森の中は雨上がり特有のむせかえるような緑の匂いが立ちこめている。雨がやんだのはよかったが、地面は大分ぬかるんでいて、気をつけないと転んで酷い目に遭いそうだ。
自然と二人の足取りも慎重になる。
「おっ、ここだここだ」
森に入ってから少ししたところに数十本、竹が群生している場所を見つけた。
十分な太さのある竹を数本選んで、何度か揺らしてみる。十分な強度はありそうだ。
「こいつとこいつ……それから、予備にこいつ。こんなもんか?」
「いいんじゃないか?」
木工部から借りてきたナタを徹から受け取り、竹を切り落とそうと振りかぶった。その時――
『ちょっと待て』
「どうした、メリュジーヌ?」
『いい機会じゃ。これで剣の修行を行う』
「こんなもんで……?」
そう言ったのは徹だ。こんな所で剣の修行とは、徹から見ても奇妙な話だったのだろう。
『そうじゃ。今触れてみてわかっておるじゃろうが、竹というのは実にしなやかな植物じゃ。これを斬るにはそれなりの技術が必要となる』
メリュジーヌは竹を触りながら言うと、次に慎一郎の方を向いた。
『シンイチロウよ、この竹を斬るとしたら、そなたはどうする?』
「どうって……そりゃあ……」
シンイチロウは左手で竹を持ち、右手に持ったナタをそれよりも低い位置に打ち込むしぐさをする。
「こう。だろ?」
『普通はそうじゃな。じゃが、これを――』
そう言ってメリュジーヌは慎一郎の左手を――竹を持っている方の手を指さした。
『この手を使わずに斬れるか? しかも、一回で、じゃ』
なるほど、メリュジーヌの言いたいことはわかった。今メリュジーヌが言ったとおり、竹はしなやかな植物だ。支えもなしにこれを斬るのはかなり難しいだろう。
しかし、できるかと聞かれてできないと答えては男が廃る。これでも〈竜王部〉の前衛を務める立場だ。
「できるかどうか、やってみなきゃわからないさ」
我知らず笑みがこぼれていたようだ。徹がどこか嬉しそうな顔をしている。
「おっ、やる気じゃないか。あんまり無様なところは見せるなよ、親友」
からかうなよと徹を制して、目の前にあるためをじっと見る。
青々とした若竹。直径は五センチほどだろうか、それほど太くはない。見上げれば上の方では笹の葉が風に揺られて涼しげな音を奏でている。
腰を下ろし、ナタを左の腰に――普段剣を指している場所にあてがう。迷宮に入るときに持っている愛剣、〈エクスカリバー〉は所持していない。迷宮への行き来以外での武器の所持は校則で固く禁じられているからだ。
左腰のナタの柄を右手で掴み、さらに腰を低くする。瞳は正面、目の高さにある竹の節と節の間に固定する。
『正確に正面から当てるのじゃ。少しでもずれたり、迷いが生じると衝撃はすべてお主に帰ってくるぞ』
メリュジーヌのアドバイスに無言で頷くと、慎一郎はさらに集中した。後ろに立っている徹の気配が消え、周囲の音が消え、目の前の竹以外の風景が消え、いつも感じているメリュジーヌの感覚も消える。“無”の中に自分――正確にはナタ――と竹だけがある。
自然に――ごく自然に右手はナタを掴んだ。そのまま当たり前のように、そこしかないという軌道をなぞり、ナタはあらかじめ決められたように竹の中へと吸い込まれていく。
「…………!」
すっ……と音もなく――慎一郎の耳には聞こえなかっただけなのかもしれないが――ナタは竹をすり抜け、慎一郎の腕の動く限界位置までたどり着いた。
無音。
しばらくして若竹が音もなく自らの身体の上をずれていき、重力に従って地面へと落ちていく。
落ちた先に石があったのだろう。コン、という乾いた音が止まっていた時間を再び動かした。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……! すげぇ……すげぇ!!」
徹が両手を大きく挙げ、ジャンプして喜びを表わす。その時になってようやく、慎一郎は何が起こったのか把握した。
目の前のゆっくり倒れていく竹の先端と目の前に鋭く残る切っ先。純粋にナタだけで竹を斬ったのだ。
『う……ううむ……よくやった……。まさか、わしも一度でできるとは思わなんだ……。それにしてもよくやったぞ、シンイチロウよ』
メリュジーヌも驚きのあまり瞳を大きく見開き、少々興奮気味だ。
「なあ、慎一郎。こっちの竹も斬ってくれよ、な?」
徹が隣に生えていた竹を指さす。慎一郎は「わかった」と短く答え、先ほどと同じように腰を落とし、狙うべき竹を見据え、ナタを送り出す。
が――
「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!!」
〈竜海の森〉に慎一郎の絶叫と鈍い音が鳴り響いた。
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