山より大きな猪は出ぬ3

                       聖歴2026年6月16日(火)


 結希奈とこよりは夜も明けてすぐの頃にコボルト村に戻ってきた。いつもの部室に集合する時間よりずいぶん早い。学校には戻ったものの、やはり無責任に任せておく訳にもいかなかったのだろう。

 熟睡中に〈念話〉で起こされて〈転移門ゲート〉を開かされた徹はずいぶん眠そうだ。


「それで、どうだったの?」

 斉彬のご飯のおかわりをよそいながら結希奈が聞いた。昨日の夕食もそうだったが、今日の朝食も弁当ではなく、コボルト村の火を借りてここで作っている温かい料理だ。「うまいっす、うまいっす!」と何故かゴンも輪に加わって食事をしている。


「ん? いや、特に問題はなかったよ」

 ずず、と味噌汁をすすりながら慎一郎が答える。先ほどからメリュジーヌが味噌汁と結希奈お手製のぬか漬けを絶賛している。


 そう、封印後の北高にも味噌汁があるのだ。園芸部が育てた大豆から家庭科部が味噌も醤油も豆腐さえも作るのだ。噂では家庭科部には代々伝わる特製レシピと特製魔法があるとかないとか。


「そう。じゃ、今日はここでイノシシが来るまで待機ね」

「そうなるなぁ……」

 イノシシは日が暮れてから翌日の日が暮れるまでの約二十四時間の間に一回だけ現れる。昨日の夕暮れ以降まだ現れていないから、決戦はこれから日暮れまでの間に行われることになる。


「それじゃ、コボルトの警告があるまでは自由行動でいいか?」

 朝食を食べ終わった徹が自分の食器をまとめ、立ち上がりながら言った。目がとろんとしていて大きなあくび。


「え? いいけど、広場から離れるなよ」

「わかってるって」

 と言いながら脇に置きっぱなしにしてある寝袋に潜り込んだ。


「俺、もうひと眠りするから何かあったら起こしてくれ」

「もう、食べてすぐ寝たら牛になるでしょ!」

 意外と結希奈はそういうことにうるさい。神社の娘ということもあるが、基本的に育ちのいい娘なのだろう。


「なんだよ、それ。結希奈、瑞樹……みたいな……こと……」

 そのまま寝息を立てて眠ってしまった。結希奈は「仕方ないわね」とため息をついて食器を持ってきた鞄に入れ始める。そして部室で待っている姫子に連絡して、「食器洗ってくる」と、部室に戻っていった。


「それじゃ、わたしはいつイノシシが来てもいいように、レムちゃんの用意をしておくわね」

 こよりはそう言うと村はずれに向けて歩いて行った。昨夜いい岩を見つけたと言っていたので、そこからゴーレムを作るのだろう。


「なあ、浅村」

 斉彬が慎一郎の所にやってきた。肩に愛用の両手剣〈デュランダル〉を握っている。


「一戦どうだ? メリュジーヌ、見ててくれよ」

『ほう、〈剣聖〉たるわしに師事を請うとはなかなかに見所があるの。いいじゃろう。わしは厳しいぞ』

 メリュジーヌもどこか嬉しそうだ。


 こんな感じで緊迫しつつもどこかのどかなコボルト村での一日が始まった。




「ていっ!」

「せやあああっ……!!」


 コボルト村に金属のぶつかり合う音が響き渡る。時にリズミカルに、時にタイミングをずらして奏でられるそれは〈剣術〉の演舞で行われるような楽譜のあるものではなく、その瞬間瞬間に決められる、さながら即興曲のようなものであった。コボルト達もいつの間にか集まってきて、二人の人間が織りなす演奏を興味深く見入っていた。


『ナリアキラ、また動きが単調になっておるぞ! シンイチロウ、お主の悪いところはすぐ気を抜く所じゃ!』


 メリュジーヌの指導にも熱が入る。自ら身体を動かせない彼女にとって大きな声を出すことは良いストレス発散になっているのだ。


「うす!」

「気をつける!」

 それぞれが返事をする。両手剣で一撃必殺を狙う、野球の経験から身につけた我流の斉彬。片手剣の二刀流で、〈剣聖〉メリュジーヌの剣の知識を受け継いだ慎一郎。その動きは対照的だ。


「ふんっ……!」


 斉彬が上段からの大ぶりの一撃を放つ。いつもの一撃だ。慎一郎はそれを見て冷静に右に持つ自らの剣〈エクスカリバー・壱〉をあわせる、斜めに当てて軌道を逸らす算段だ。その後、左手に持つ〈エクスカリバー・弐〉で一撃を加える。しかし――


「……!?」


 斉彬の攻撃の軌道が微妙に変わった。フェイントだったと気がつくももう遅い。微妙に軌道を変えた〈デュランダル〉は〈エクスカリバー・壱〉を弾き飛ばす。


 〈エクスカリバー・壱〉はコボルト村の空を舞い、復興中の畑の中に落ちていった。体勢を崩された慎一郎は尻餅をつき、目の前には斉彬の〈デュランダル〉が突きつけられている。


「オレの勝ちだな」

 爽やかな笑顔の斉彬。


『うむ、天晴れである。わしのアドバイスすらも伏線としてシンイチロウの裏を掻く戦術、見事であった。シンイチロウは素直すぎじゃな。もう少し狡猾さを身につけるべきじゃ』


「狡猾さ、か……」


 慎一郎は剣を弾き飛ばされた右手を見る。まだ先ほどの衝撃で少し痺れている。他人を蹴落としてまで何かをするということがなかった人生を送ってきたのだ。メリュジーヌの指摘はもっともながら、慎一郎にとってはなかなか難しい課題だった。


 コボルト村での時間は過ぎていく。しかし、いまだイノシシがやってくるという報告はない。徹が目を覚まし、こよりがゴーレムを連れて戻ってきて、結希奈も洗い物と昼食の支度と後片付けを終えて戻ってきてもイノシシは現れなかった。


「もしかして、今日は来なかったりして……」

 こよりがそう危惧したのは西日が差し込む時間。間もなく日が暮れる黄昏時にその時は来た。

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