山より大きな猪は出ぬ2

 結局穴掘りは日暮れまでには終わらず、日が落ちてから数時間経った午後八時頃に完成した。


「ふーっ、ヤバかった。いつ来るかと思うと緊張感半端なかったぜ」

 徹が伸びをしながら心の底から安心するように言ったのも不思議ではない。


 日暮れ以降、いつイノシシがやってきても不思議ではない状態だった。実際、過去には日暮れからすぐにやってくることもあったらしい。落とし穴完成前にイノシシが来た場合はすべての計画が台無しになるところだったが、運良くその事態は回避された。


 中央広場の中央には直径四メートル、深さ三メートルほどの巨大な穴が掘られ、その底には二十本に及ぶコボルト特製の槍が収まっている。


 イノシシは落とし穴には構わず進むとはいえ、ここまで大きな穴がむき出しだとさすがに避けるだろうということで穴の表面には部室から持ってきたビニールシートを覆い、表面にはカモフラージュとして土が薄く振りかけてある。ぱっと見そこに穴があるとは見えないくらいにはカモフラージュできていると言えるだろう。


 広場に通じる六本の道からはやはり学校の体育倉庫から持ち込んだ線引きで引いた石灰の線が引かれている。穴の縁にはこの石灰でまるく当たりを付けてあり、部員達とコボルト達には穴の位置がわかるようになっている。


 ここからは持久戦だ。午後九時過ぎに夕食を済ませると、少し早いが仮眠を取ることにした。村に通じる道はコボルト達が警戒しており、イノシシが来るときはすぐにわかるようになっている。慎一郎達は落とし穴の近くで寝袋を敷いて寝ることにしたのだが、ここでちょっとした問題が生じた。


「どうしてあたし達は帰らなきゃいけないのよ!」


 異を唱えたのは結希奈だ。隣でこよりは困ったような表情を浮かべている。


「どうしてって……そりゃ、女子を野宿させるわけにはいかないじゃないか」

 慎一郎の反論に結希奈は耳も貸さない。


「さんざん地下の洞窟で泥だらけになってモンスターと戦わせておいて、こういうときは女の子扱い? 見てよあたしの制服。こんな汚れちゃってる」


「泊まらせてやりゃいいんじゃねーの? 結希奈もそう言ってるんだし」

「徹……!? お前まで……」

「だってさ、結希奈は俺と一緒に寝たいんだろ? いいじゃないか、好きにさせてやれば」

 徹はそう言うと、なんとも言えない目で結希奈を舐め回すように見つめる。


「え……あ、いや……。やっぱり、部室に戻ろうかな」

 結希奈はそう言うと、姫子に〈念話〉で連絡して〈転移門ゲート〉を開けてもらい、こよりとともに部室へと戻っていった。こよりは去り際に「ごめんね」と小声で言っていた。


「ま、こんなもんよ」

 どこか得意げな表情の徹。


「嫌なこと押しつけたみたいで、悪かったな。けど、大丈夫なのか? あんなことして高橋さん、怒ってなきゃいいけど……」

『大丈夫じゃろう。ユキナも引く口実が欲しかっただけじゃ。そこまで鈍い娘ではない』

 結希奈とこよりが消えていったゲート跡が消えるのを見ているようにメリュジーヌが言った。


「メリュジーヌがそう言うなら、ああ、そうなんだろうな……」

 徹の結希奈の気持ちを慮った行動と、それらをすべてお見通しのメリュジーヌに本当に自分が部長でいいのかと、心配になった慎一郎だったが、その思いは口には出さず、内に秘めておくことにした。


「おぉい、たき火用の薪、集めてきたぞ! ……ってどうした? あれ? こよりさんは……!?」

 そこに戻ってきた斉彬がこよりがいないことに騒ぎ始めたことで、この問題は終了した。




「慎一郎、起きてるか?」

「ん、どうした?」


 夜も更け、村は巡回の兵士達を除き、すっかり寝静まっている。時々虫や獣の声が聞こえてくるが、地下迷宮をここまで冒険してきた彼らが恐れるほどのものではない。


 横では寝袋にくるまった斉彬のいびきと「こよりさ~ん」という寝言が時々聞こえてくる。メリュジーヌも眠っていることは慎一郎には感覚でわかる。

 慎一郎もそろそろ寝なければと寝袋の中で思っていたところ、隣の寝袋の中の徹に話しかけられた。


「俺さ……」

 徹はそれだけ言って言いよどむ。普段遠慮なく物を言う徹にしては珍しい。慎一郎は寝返りを打って徹の方を見る。徹もこちらの方を見ていた。


「なんか悪いな。無理やり部活なんて作って部長なんかにしちゃって、おまけに地下迷宮まで引っ張り出してさ……」


 一瞬、どきりとした。先ほどの結希奈を学校に帰すときに感じた自分のふがいなさを読まれているのかと思った。


「でもさ。俺、今楽しいんだよ。確かにヤバいモンスターとかいて逃げ出したくなる時もあるけどさ。その、なんていうか……。お前もそうだけど、ジーヌに結希奈、こよりさん、そして斉彬さんと必死になって戦ったり、バカやったり……」


 徹は上を向いた。釣られるように慎一郎も空を見る。今まで気づかなかったが、村を囲む〈竜海の森〉の木々の間からは見たこともない満天の星空が広がっていた。今の日本でこれほどの星空が見られるところはない。これも北高が封印されたことと関係があるのだろうか。


「俺……」

 少しの間を置いて徹が話し出した。再び視線を星空から隣で寝ている徹へと戻す。


「俺、どうしようもなく楽しいんだよ。自分と、楽しくて信頼できる仲間達とで未知の地下迷宮を切り拓いていく、今の生活が」


 徹は剣術道場の跡継ぎとして将来を勝手に決められたことに反発していた。だからこそ自分の力でこうして地下迷宮を探索していることがかけがえのないことであると肌で感じているのかもしれない。


 どう言ったらいいか、何を言ったらいいかわからなかった。しかし、そう言った徹は満面の笑みを浮かべて、本当に楽しそうな顔をしていた。


「徹……」

 いろんなことを考えたが、それだけが言葉となって出てきた。


 しばらくして徹は急に恥ずかしくなったのか真顔に戻った。暗くなかったら顔が赤くなっていたのがわかったかもしれない。

「悪い。初めての外泊でちょっとテンション上がってたみたいだ。忘れてくれよ」

 そう言って、向こうを向いてしまった。


「もう寝ようぜ。いつイノシシが来てもおかしくない」

 そう、背を向けながら言った。しばらくして徹の寝息が聞こえてきた。慎一郎もまぶたを瞑り、あれこれ考えている内にいつの間にか眠りに落ちていた。

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