山より大きな猪は出ぬ

山より大きな猪は出ぬ1

                       聖歴2026年6月15日(月)


「落とし穴って……いや無理だろ」

 慎一郎の提案に真っ先に反応したのは徹だった。


「そうか? おれは結構いけるんじゃないかと思うが」

 そう言って、慎一郎は広場の中央まで歩いて行く。その部分、もっとも地面が抉られている場所を指さした。


「ここだ。多分、ここがイノシシがもっとも通る場所だ。イノシシは一日一回必ず通るんだから、ここに大きな落とし穴を掘って落とせばいい」


 慎一郎は振り返り、徹の方を見る。

「徹も見ただろう? イノシシは落とし穴を避けることなんてしない。十分な大きさの穴さえあれば必ずかかる」


 ゴンを追いかけているとき、イノシシは落とし穴には目もくれていなかったことを徹は思い出した。


「いやそうかもしれないけどよ。仮に落ちたとして、その後は?」

「いや、落ちれば何とでもなると思うぞ」

「え? どうしてですか、斉彬さん?」

「さっきさ、ゴンがイノシシに追いかけられてるとき、イノシシの背中に槍が刺さってるの、栗山も見ただろう?」

「あー……」


 ゴンがイノシシに追いかけられているとき、確かにイノシシの背にゴンが持っていたのと同じ槍が刺さっているのを見た。あれはゴンが投げるか何かして刺さったものだろう。


「けど、あんなの表面に刺さっていただけじゃないですか。どう見てもあのデカブツにダメージなんて……」

『いや、あながちそうとも言えん』

 そう言ったメリュジーヌの声にはどういうわけか苦々しい色が込められているように感じられた。


『このやり方はかつて、まだドラゴンと人間が対立しておった時代のドラゴン退治のやり方に似ておる。つまり、ドラゴンを穴に落とす。ドラゴンは自分の重みで底に仕掛けてある槍に刺さっていき、命を落とすというものじゃ』


 かつて何人もの同胞がこれで殺されたのだろう。慎一郎にはメリュジーヌが思い出したくもない記憶を掘り起こしているように思え、痛々しくてならなかった。


『もっとも、その程度で倒されるのは下位のドラゴンだけじゃがな。その程度で“ドラゴンスレーヤー”を名乗り、鼻高々になっている人間など、かわいいではないか』

 呵々と笑うメリュジーヌ。メリュジーヌはここにいる人間達に余計な気を遣わせないよう配慮しているのは間違いなさそうだ。

 ならば、その思いをくみ取るべきだろう。


「今、メリュジーヌが説明してくれたとおり、うまく穴に誘い込みさえすれば倒せると思う。落とし穴はおれと徹と斉彬さんで――」

「おう」「任せておけ」

 二人は慎一郎の頼みに快く応じてくれた。笑顔で頷く二人が頼もしい。


「わたしのレムちゃんもお手伝いするよ」

「頼みます、細川さん。あとは――」

 慎一郎は近くにいたゴンを見た。どうやら、ちゃんと話は聞いていてくれたようだ。


「コボルト村の人たちにも手伝ってもらいたい。いいかな?」

「もちろんっす! もとはといえば村の問題。ここで力を貸さねば、犬神様に怒られるっすよ!」

 腕まくりをするゴン。すでにやる気満々だ。


「それじゃあ、改めて。おれと徹、斉彬さん、こよりさんが落とし穴を作る。ゴンはコボルト村の人たちと槍を用意してくれ」

「わかったっす!」

 慎一郎の指示に従って各自動き出す。とその時、慎一郎の制服の裾を引っ張る者が。


「ねえ浅村。あたしは?」


 結希奈がニコニコ笑顔でこちらを見上げてくる。正直言って今このシチュエーションで結希奈にできることはない。しかし、それを正直に言うのも躊躇われる――


「高橋さんは……その……」

 慎一郎が言いよどむ。


『ユキナ。そなたには夕食の準備を命じる。〈転移ゲート〉の魔法で部室に戻り……』

 そう提案してきたのはメリュジーヌだ。イノシシ退治に加われると思っていた結希奈は当然、烈火のごとく怒り出した。


「な、なんでそうなるのよ! あたしだってイノシシ退治の準備したいわよ!」

『わかっておらぬのぉ、ユキナよ。これはきわめて重大な使命なのじゃ』


「な、なんでよジーヌ。あんたが食べたいだけじゃないの?」

 メリュジーヌは呆れたように肩をすくめる。


『よいか、これは将来、雄を抱き込むときにも使える技じゃから覚えておけ』

「な、なによ……」

 結希奈は顔を赤らめて身構える。しかしメリュジーヌの話を聞く気はあるようだ。


『古来より、士気――雄の心と言ってもよいな、これをもっとも効果的に引き上げるのは食事と決まっておる。美味い食事を作れる者こそ女子おなごの間の戦いの真の勝者となり得るのじゃ』

「そ、そうなの……?」


『うむ。竜人として長年、男女の恋のさや当てを見て来たわしじゃ。信頼してくれて良いぞ』

「う、う~ん……」

 あくまで“見て来ただけ”なのだが、それでも結希奈には刺さる部分があったのだろう。腕を組み、何やらぶつぶつと呟きながらそのまま固まってしまった。時々「そうか……」「でも……」などという声が聞こえてくる。


 確かに、ひとりだけ「メシを作れ!」では不満だろう。かといって結希奈に穴掘りをさせるわけにもいかず……。

「あの、高橋さん……?」

「ひゃうんっ……!」

 取り敢えず声をかけただけなのに、結希奈はこっちが驚くほどの勢いで飛び上がった。


「な、ななななんであんたがここにいるのよ……!」

 顔を赤くしてやたらとあたふたする結希奈。何か誤解があったのだろう、何か怒っているようなので誤解を解くために説明する。


「いや、おれ最初からいたけど。というか、おれがいないとメリュジーヌは話できないし……」

「そ、そうだったわね……。忘れてたわ……」

 あたふたと慌てた様子だが、少しは落ち着いたようだ。


「それで、高橋さんの仕事だけど……」

「わ、わかってるわよ! 夕食でしょ? 腕によりをかけて美味しいお弁当、作ってくるから!」


 半ばやけくそのように吐き捨てると、〈念話〉で部室に残る姫子に連絡を取り、〈転移門ゲート〉を開いて部室に戻っていった。


「おれ、何か怒らせるようなこと言ったか?」

『さてな。まあ、これでユキナの夕食を食べれるのだ。文句はなかろう? あの茶からするに、コボルトの食事はあまり美味そうではないからの』


 納得いかないものの、すでに穴を掘り始めている徹たちに呼ばれ、慎一郎も穴掘りの現場に向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る