学園生活5

 それからしばらくの間、探索行は平穏であった。先ほどコウモリの大群に襲われた部屋に戻ってみたがすでにコウモリの姿はなく、また前回ネズミの大群に襲われた部屋に行ってもネズミはごく少数を目にするだけで、しかもそのネズミは慎一郎達を見るや一目散に逃げ出すようになっていた。


「なんか拍子抜けね」

「実はあの巨大ネズミがここのネズミたちのボスで、あれを倒したからネズミたちもおとなしくなってきたのかもな」


『それは当たっているのかもしれぬの』

「これで少しは探索も楽になるといいわね」


 探索が順調に進んでいるために、口も軽くなる。和気藹々とまるで遠足かピクニックのように迷宮の中を歩いて行く〈竜王部〉一行。

 しかし、そんな暢気な道程もそう長くは続かなかった。




『シンイチロウよ、気づいておるな?』

「……ああ」


 長い一本道の緩やかな下り坂を下りているときだった。メリュジーヌに言われるまでもなく気がついていた。先ほどから迷宮に響き渡る地鳴り。

 右へ行き、左へ行き、時折、何かがぶつかったような大きい音がすると思うとまた腹に響くような地鳴りが続く。

 今まではさして大きく聞こえていなかったが、先ほどから徐々に大きくなっている。近づいているのだ。


 長い下り坂の途中なので見通しはいい。慎一郎達は武器を構えて音のする方――背後に注意を向ける。


「あれか……?」

 徹が手を目の上に当て、遠方を見るように言った。徹が飛ばした〈光球〉の魔法に照らされる影。


「ブタさん……? ううん、イノシシね。わたし、ミニブタって飼ってみたかったのよ」

 こよりが暢気そうに言う。


 遠方から一直線に駆けてくるイノシシ。斉彬が肩に掛けているケースから野球のボールを取り出し、今まで武器として使っていたバットでコンコンはじきながら慎一郎に提案した。

「どうする? ここからでもあいつに当てられるが、打ってみるか?」


 それに対して慎一郎は少し考えてから答えた。

「うーん……。もう少し引きつけてからでお願いします。近い方が多分、威力も高まるだろうし」

「わかった。タイミングは任せる」


 なおも突進してくるイノシシ。いつでも魔法が使えるよう徹が呪文の詠唱を始め、こよりはゴーレムを創り出した。


「あ……。わたしこういうの、昔映画で見たことある。考古学者の先生が、遺跡を探検してると後ろから岩が転がってくるのよ」

「あー、それ、あたしも見たことある。確かこんな風に通路いっぱいに岩が……って、ねえ、あれ……」


 最初に気づいたのは結希奈だ。


「大きくない?」


 こちらに向かって走ってくるイノシシがどんどん大きくなってくる。今まで気づかなかったが、通路いっぱいの大きさで猛突進してくるイノシシ。この通路は横に並んだ慎一郎と斉彬がそれぞれの武器を十分振り回すほど広い。その通路の七、八割を占めるイノシシ。その大きさたるや……!


「やばいんじゃないか、これ? 浅村、もう打つぞ!」

「あ、はい。お願いします」


「もと北高野球部四番のノックを食らえ! どりゃぁぁぁぁっ!」

 斉彬が軽くボールを上に投げたかと思うと、手に持ったバットで勢いよくボールをたたきつけた。


 カキーンという心地良い音とともに勢いよくはじき飛ばされた硬球が猛スピードででイノシシの頭部に直撃した。


「どうだ、恐れ入ったか!」


 ボコッという鈍い音がし、イノシシは多少身をよじったが、その勢いは全く衰えることはなくこちらに向かってくる。

「げげっ、マジか!」

 イノシシの耐久性に驚く斉彬。と、今度は徹が呪文を完成させた。


「ならこれでどうだ。炎よ!」

 徹のスティックの先からこぶし大の炎の弾が三つ、連続で飛ばされる。


 ――グゥォォォォォォォォォォ……ッ!!

 炎に包まれたイノシシが雄叫びを上げる。しかし、その勢いは留まるところを知らず、炎を突き破ってなおも突進してくる。


「レムちゃん!」

 こよりの指示により、ゴーレムが三体、イノシシに突撃していくが、猫ほどの大きさしかないゴーレムではどうすることもできず、イノシシに踏まれ、一瞬で粉々に砕けてしまった。


「あぅぅ……わたしのレムちゃん達が……」

 ゴーレムを潰され、涙目になるこよりを横目に、斉彬のやる気がみなぎる。


「こうなったら受けるしかない。浅村、いくぞ!」

「は、はい……!」

 斉彬がバットを構え、慎一郎は一昨日、巨大ネズミを受けたときのように両手の剣を交差させて衝撃に備える。


「徹達は脇に避けていてくれ」

 念のためを考えて後衛陣に指示を出す。


 なおもイノシシは突進してくる。土埃をあげて向かってくる巨大な質量はさながら猛スピードで迫るバスを目の前にしているようですらある。

 接触まであと五秒、四、三……。慎一郎と斉彬が身構える。その時――


『いかん、避けろ!』


 その時だった。メリュジーヌの叫び声が聞こえた。慎一郎はとっさに斉彬にぶつかるようにしてもろとも通路脇へと逃げ込んだ。


 瞬間、目と鼻の先をあり得ない質量の肉のかたまりが信じられない速度で通り過ぎていった。天地がひっくり返るような地面の揺れともうもうと立ちこめる土煙。

 そのまま、イノシシは慎一郎達に頓着することなく走り去っていった。足音がどんどん小さくなっていく。


 しばらくすると遠くで何かが割れたようなとても大きく激しい音がしたかと思うと、迷宮に静寂が戻ってきた。


 土煙が収まってくると、その向こう側で徹と結希奈、こよりが立ち上がるのが見えた。どうやら無事避けてくれたらしい。


「くそ」

 斉彬が毒づいた。


「斉彬先輩、どこか怪我でも?」

 慎一郎が身体の下にいる斉彬を心配して訊いた。が――


「どうせ抱きかかえられるならこよりさんが良かった」

 そこにいる誰もが心配しなければ良かったと思った。




「いやー、しっかしデカい奴だったな……」

 通路の真ん中で一行は再び集合したときに、しみじみと感想を漏らしたのは徹だ。


「助けてくれてありがとな、浅村、メリュジーヌ。おかげで助かった」

 斉彬がメリュジーヌに礼を言う。さしもの斉彬もあのデカブツはまずいと感じていたのだろう。


『わしの方こそ判断が遅れた。シンイチロウよ、よくぞ反応してくれた』

「いや、おれは……。おれの方こそ、もっと早く決断しなきゃいけなかったのに……」

 自らの判断ではなく、メリュジーヌの判断で難を逃れたことに落ち込み、うなだれる慎一郎。


『そう気に病むな。今日任されて今日うまくいくようなものでもあるまい。それに、そういう時のためにわしがおる。ひとりで抱え込むな』

「そう言ってもらえると助かるよ」

 慎一郎は笑顔を浮かべた。が、その表情は冴えないものであった。




「……なんだこりゃ?」

 その後、一本道を下っていき、坂の終端まで来たところにそれはあった。


 おそらくはもともと丁字路だったのだろう、これまで歩いてきた下り坂の一本道と、そこから左右に伸びる道。

 そこに散らばる大小の多数の岩の破片。その先――下り坂から見ればちょうど正面に当たる部分の壁が大きく崩れている。


 この辺りの壁は石と岩が混ざっており、その部分はちょうど大きな岩があったのだろうか、それが粉々に崩れて破片は散らばり、もともと岩があったとおぼしき部分は大きく穴が空いている。深さは三メートルもあるだろうか、相当大きい岩だったことが推測される。


「これ、あのイノシシがぶつかって砕いたんじゃないかなぁ?」

 落ちている岩のかけらを拾い上げ、まじまじと見つめながらこよりがそう分析した。


「すごい力……避けて正解だったわね」

 結希奈が身体をぶるりと震わせた。今更ながらあのときの恐怖がよみがえってきたのだろう。


 もうイノシシの足音は聞こえない。それほど遠くに行ったのだろう。

『近くにモンスターの気配もないようじゃな』

「もしかして、このあたりのモンスターも、一昨日のコウモリのモンスターの群れも、あのイノシシから逃げたのかもしれないわね……」

 結希奈が青い顔でそう漏らす。

『そうかもしれぬの……』


 結局、その日の探索は時間も遅いこともあり、ここで引き返すことにした。帰りの道のりは結希奈が言ったようにあの巨大イノシシの影響なのかは知れぬが、モンスターとも遭遇することなく至って平穏なものだった。


 慎一郎のリーダー初日は不本意な結果となったまま終わったのであった。

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