こより

こより1

                        聖歴2026年5月8日(金)


 薄暗い通路は左手に曲がっている。左手には教室の四分の一くらいの大きさの小部屋があり、そこには蛾のモンスターが巣を作っていることがすでにわかっている。


 通路は新月の夜くらいの明るさ――つまりほとんど光源がないと言ってもいいくらいの明るさ――がある。ここへ来る前に徹は光源となる魔法を解除していた。この先にいる蛾のモンスターは光に敏感で、前回ここに来たときにそれが原因で大量におびき寄せてしまった反省から光は厳禁となっている。


 暗闇の中、結希奈が慎一郎の肩に手を当てる。準備が出来たという合図だ。続いて徹が肩に手を当てた。


『大丈夫じゃ。数さえ集まらなければ勝てる。それに、あのときと比べてお主らの実力も上がっておるしの』

 騒音厳禁の中、敵に声が漏れないメリュジーヌが太鼓判を押す。


 慎一郎が一回、深呼吸をする。チャージのタイミングは慎一郎に委ねられている。

 汗が頬を伝った。地下迷宮の中はどちらかというと涼しい方だが、緊張が慎一郎の身体を熱くしている。


 両手に一本ずつ持った剣を構える。徹の家から持ち出してきたそれは刃こそ落としてあるが、これまで数多くのモンスターを倒してきた相棒と言ってもいい存在だ。


(よし……)


 心の中でカウントを数える。3、2、1……。

 ゴー。


 通路の角からまろび出る。前回と同じように、部屋の奥の壁に暗闇の中ぼんやりと光る蛾のモンスターの巣が見えた。


「しゅっ……!」

 剣を振り下ろすときに息が漏れた。その音と同時に鈍い感触。巣を両断したのだ。


「光よ!」


 次の瞬間。徹のかけ声とともに部屋が光で満たされる。突然の光量の変化に蛾の目がくらんだ。壁に張り付いていた何十羽もの蛾が次々に落ちてくる。


「炎の嵐よ!」


 結希奈の呪文が発動して地面に落ちた蛾を次々焼いていく。慎一郎も混乱して辺りをただ飛ぶだけの蛾を切り払っていく。


 ものの二分も経たないうちに部屋にいた大量の蛾はすべて灰になった。


「ふう……」

 炎の魔法を唱えた結希奈が額の汗を拭う。


「お疲れさま。うまくいったな」

 慎一郎が結希奈に声をかけた。

「ありがとう。でもいつも浅村を一番危ない切り込み隊長役にさせて悪いわ」

「気にするなって。魔法を使えないおれが敵の注意を引きつけるのは当然だろう?」

『うむ。シンイチロウにはこのわしが着いておる。〈剣聖メリュジーヌ〉と呼ばれたこのわしがな』

 この戦いで何もしていないメリュジーヌがない胸を張り、一同が笑う。


「うわ、もうこんな時間か……」

 徹が虚空を見つめながら言った。彼の視界にはあのあたりに時計アプリが表示されているのだろう。


「本当だ。そろそろ戻らないといけないな」

「今日もほとんど進めなかったな」

「まあね。でも、帰る時間を考えないわけにはいかないし、仕方ないわよ」

 そして、今制圧したばかりの部屋を出て、一行は今やってきた道を引き返していった。




 地下迷宮を見つけてちょうど半月。ここまで探索できたのは入り口からわずか半径二百メートルほどと、驚くほど探索は進んでいない。

 迷宮が思ったよりも広いことと入り組んでいることも原因のひとつだが、最大の原因は時間の問題である。


 午後の授業が終わってから下校時刻になるまで約三時間。行きと帰りの準備にそれぞれ三十分ずつ使うので、実質的に迷宮探索に使えるのは二時間しかない。

 そのうち、帰還に費やす時間を三十分とやや多めに取っている。これは、イレギュラーな状況が起こったときのためのバッファとしても使われている。


 つまり、前に進むことができるのは一時間半。

 だが、この一時間半がすべて未知の領域の探索に使えるわけではない。


 地下迷宮の探索で必ずつきまとうのがモンスターとの戦闘だ。今のところ、大量の敵モンスターが出てこない限りこちらが敗北することはないし、少々の傷も結希奈の魔法によって問題なく治癒できる。


 問題はそこではない。何が問題なのかというと、倒したモンスターは翌日になると再び何ごともなかったかのように復活しているということだ。


 昨日、一時間半をかけてモンスターを倒しつつ進んだ道のりを今日もまた同じように進まなければならない。

 未踏の領域を進めるのは前日から討伐スピードを上げて稼いだ分のみとなるのである。


 これでは探索が進まないのも仕方がない。


「だからといってやり過ごしていくのも、いつ後ろから襲われるかわかったものじゃないじゃない。あたしは反対よ」


 部室のカーテンの向こうから結希奈の声が聞こえる。時折シューッという音が聞こえてくるのは制汗剤のスプレーの音だろうか。


『焦りは禁物じゃぞ。どんな強者であっても焦りは油断を招き、そこにはつけいる隙が現れる。わかっておるな、シンイチロウよ』

「……ああ、わかってる」


 メリュジーヌの言葉には説得力がある。焦りと無知が招いたのが前回の蛾の大量発生に伴う撤退であった。その対策をきちんと行えば今日のように危なげなく勝つことができる。


『〈転移ゲート〉の魔法があればよいんじゃがの』

「まあな。けどあれはおれ達みたいな少人数パーティには使えないだろ?」

『うむ。やはりあらたな仲間を増やすしか……』

「〈転移ゲート〉のためだけに部室で待ってくれる人なんているか?」

『確かにの。わしだったらラーメンをご馳走されても嫌じゃ』


 〈転移ゲート〉の魔法とは、ごく初歩的な空間転移魔法である。入り口と出口の空間を魔法的につなげることにより、その間の移動時間を限りなくゼロにすることができる。

 しかしこの魔法は入口側と出口側が同時に魔法を使用する必要がある。このため、誰かが部室に残って出口側の〈転移門ゲート〉を使用しなければならないのである。


「あのさ、ちょっと提案があるんだけど」


 徹がにやりと笑う。これはよからぬことを考えている顔だ。まだ短い付き合いだが、それくらいはわかる。


「明日の土曜日、朝から迷宮探索しないか?」




 部室のある部にはそうでない部と比べて活動の幅が広がる。土曜日の活動が認められるというのもその一つだ。


 部活動を行う上で土曜日の活動は欠かせないが、部室のない部にまでそれを認めてしまうと部活動をしているのかそうでないかの区別が曖昧になるなどの理由で認められていない。土曜日の活動はかならず部室の存在とセットになっているのだ。


 ちなみに、日曜日の活動は対外試合などの特別な理由がない限り許可されていない。


「そっか。今週から土曜日にも〈竜王部〉の活動ができるワケね」


 カーテンの隙間から結希奈が顔を覗かせた。首には汗を拭ったであろうタオルが掛けられている。普段は下ろしている前髪を上で縛っている姿は少し新鮮だ。


「あたしはいいわよ。むしろ歓迎だわ。早いところあの迷宮がなんなのか調べないと。浅村は?」

「おれ……? おれは特に予定もないからいいけど……。メリュジーヌ、お前は?」

『日曜であれば朝から見るテレビ番組があるからダメじゃったが、土曜日であればよいぞ』


 メリュジーヌが最近、日曜朝の子供向けテレビ番組にハマっているのは内緒にしておいた方がいいと慎一郎は思った。


「みんな大丈夫みたいね。それじゃ、明日の朝部室に集合ってことで。時間は九時でいい?」

「おれはそれでいい」

「俺も」

 徹も賛成した。


「じゃ、決まり。みんなお弁当持ってくるのを忘れないでね」

『なぬ、弁当じゃと!?』


「え!? 結希奈が弁当作ってくれるんじゃないの? 俺は結希奈の手料理食べたいなぁ」

『トオルよ、たまには良いことを言う。わしもユキナの弁当に興味がある』

「あら? そんなにあたしの料理に興味がある? ふふふっ、じゃあ、特別に作ってきてあげる。楽しみにしてなさいよ」

「おぉ!」

『今からよだれが出るのぉ』


 部室に歓声が沸き上がる。

 明日は土曜日。〈竜王部〉創部以来初めての土曜日活動の日である。

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