旧校舎四階部室番号H-4 4

                        聖歴2026年5月7日(木)


 渡り廊下前で待つ徹と結希奈のもとに慎一郎がやってきた。


「どうだった、慎一郎? ちゃんともらえたか? もしかして何かの間違いだったとかじゃ……」

「栗山、心配しすぎ。あんたってそんなキャラだったっけ?」

「だってよ、万が一ってことあるじゃないか」

 そう心配する徹に右手で握っていたものを見せる。


 鉄でできた鍵。


 何の変哲もない鍵だが、これこそが旧校舎四階西の端にある通称、“H-4”番部室の鍵。これからは〈竜王部〉の部室となる部屋の鍵だ。


「おぉ……これが……これが……」

 慎一郎の手から鍵を拾い上げ、まるで尊いものを見るように頭上に掲げる徹。


「ま、でも部室がもらえてよかったわね。あたしも部室に置いておきたいものとかあるし」

「あれ? 結希奈は部室がない方がいいっていってなかったっけ?」

 すまし顔の結希奈にツッコミを入れたのはもちろん徹だ。


「そんなこと言ってないわよ! なくてもやることは変わらないっていっただけで……。そ、そんなことよりも早く部室へ行くわよ!」

 結希奈は徹の手から鍵をひったくると足早に渡り廊下の方へ歩いて行った。


「俺たちも行こうぜ、慎一郎、ジーヌ!」




 カチャリと音がしてロックが解除される。

 扉の取っ手を横に動かすと、思ったよりもスムーズに、そして静かにカラカラという音をたてて引き戸が開いた。


 ここは旧校舎四階西の端。〈竜王部〉部室。旧校舎四階は通称、“北高の僻地”とも言われているほど遠くにある場所だ。教室と旧校舎を繋ぐ渡り廊下は一階にしか用意されていないから一度新校舎の一階まで下りてきて、それから改めて四階まで上る必要がある。

 確かに面倒だが、角ということもあって人の行き来が極端に少ないのはメリットと言えた。


『これがわしの新しき居城か……』

 目を輝かせて声を出したのはメリュジーヌだったが、慎一郎も徹も結希奈も思いは同じだっただろう。


 通常の教室を二つに分けて部室としているためにそれほど広くはないが、部員三人の部室としては十分すぎるほどに広い。


 左には隣の部と隔てるベニア製の壁が立てかけられており、右側には大きな黒板が取り付けられている。黒板の脇には時間割やポスターなどを貼るスペースがある。今は何も貼られていないが、日に焼けた掲示物の跡がかつてここで授業を行われていたことを表わしている。


「普通の教室と同じ作りなのね」

「二十年くらいまではここを教室として使っていたらしいな」

 慎一郎が部屋の奥まで行き、カーテンを開くと窓の向こうには鉄筋コンクリート製の建物が見える。あれは主に運動系の部が入る部室棟だ。


「よし、じゃあまずは部室の掃除から始めよう」

 慎一郎の号令で各自が各々動き出す。この部屋は先週末まで別の部が使っていたようだが、使うにあたりまずは掃除をしようという慎一郎の提案が採用された。


 部室に備え付けられていた掃除用具入れからほうきを取り出し、掃き掃除をする。同時に生徒会室から借りてきたぞうきんで窓や黒板を拭いてきれいにする。


 部室はそれほど汚れていなかったが、そうすることによってまさに自分たちの『城』であることが徐々に実感できてきた。


「あぁ……俺たち、部室をゲットできたんだな……」

 徹がしみじみ言うのも無理はない。


 掃除が終わった後、各自は持ち込んできた私物をロッカーに入れる。慎一郎の剣や各種アイテムなど、今までは地下迷宮の入り口でもあるあのほこらに雨風が当たらないように置いていた。気をつけていたとはいえ、誰かに見つかるかもしれないし、強風や大雨で道具類が傷んでしまう心配もあった。


 しかし、晴れて部室を入手したことによって安心して梅雨の季節を迎えることができるというわけだ。


「あっ、ごめん。高橋さん。ドア、開けてくれない?」

「オッケー」


 慎一郎と徹はどこから持ってきたのか、会議に使いそうな大きなテーブルをふたりがかりで運んできた。その上にやはりどこから持ってきたのか野の花を一輪、ペットボトルにさして置いた。もはや何の部かわからなくなりつつある。壁にはアイドルのポスターも貼ってある。これは徹の趣味だ。


「……? 高橋さん、何やってるの?」

 結希奈が部室の窓側、ちょうど三分の一くらいの所にピンク色のカーテンを設置している。


「ここから先はあたしの場所ね。覗いたら絞めるわよ」

「何でだよ! ただでさえ狭い部室をさらに狭くしてどうするんだよ!」


「着替えとかするのにあんた達がいたらできないじゃない!」

 猛抗議する徹だったが、その一言に「仕方ない」とすぐに抗議を引っ込めた。


「あ、覗いたりへんなもの入れたりしたら容赦なく絞めるから」

 空気も凍り付きそうなその視線に、男子二人は黙って首を縦に振るしかなかった。




「まあ、こんなもんかな」

「そうだな。何か忘れ物は……」

 部屋の整理がひと段落ついて部員達は各々机の前に腰掛けて部室を見回す。


『菓子はどこじゃ? ついでに茶を入れる湯も欲しいぞ!』

「お前ここが何の部屋だかわかってるのか?」

「まあ、その辺りは追々改善していこうぜ。住環境の整備は快適な部活動ライフを送るに当たって重要だ」

「そうね。あたしも今日になっていろいろ足りないものとかあったしね。魔力ケトルとか置いていいのかしら?」


 魔力ケトルとはコンセントから魔力を供給してお湯を沸かす道具のことだ。


「それじゃ、部室の準備はここまでって事で、取り敢えず乾杯しようぜ」

 掃除の最中に徹が購買から買ってきたペットボトルのお茶を皆に手渡す。


『茶は温かい方が好みなのじゃがのぅ』

「贅沢言うなって」


 皆がペットボトルを手に持ったところで徹はペットボトルを目の前に掲げて言った。

「それじゃ……部長から一言」


「えっ、おれ!?」

 驚いたのは慎一郎だけだった。他の部員達は――メリュジーヌも――当然のような表情だ。


「頼んだわよ、部長」

「高橋さんまで……」

 一瞬顔をゆがませたが、気を取り直して慎一郎が席を立つ。


「えー、それでは。無事、部室も入手できたことだし、今日をこの〈竜王部〉のあらたな第一歩として……乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯!」

『かんぱい!』


 ペットボトルをコツンとぶつけてお茶を飲む。メリュジーヌも自分で作り出したのだろう、映像のお茶を手に持って飲むそぶりをしていたのが笑えた。


「こうなってくるとやっぱりお菓子は欲しいな」

『そうじゃろう? ゆえにトオルよ、お主は明日までにわしのお菓子を用意してくるのじゃ。そなたをお菓子大臣に任命する』

「ははーっ!」

 メリュジーヌと徹のアホなやりとりに部室の中は笑いに包まれた。

 と、その時――




「お、やってるじゃないか」

 ガラガラと扉を開ける音とともに部室に顔を出したのは〈竜王部〉の顧問でもある養護教諭の辻綾子だ。


「あれ? 綾子ちゃんじゃない。どうしたの?」

「綾子ちゃんじゃない。辻先生だと何度言えば気が済むんだ」

「まあ、気にしない、気にしない。どう、綾子ちゃんも飲む?」

 そう言って徹はペットボトルを綾子に渡す。


「いらん。お前が口付けたペットボトルじゃないか」

「へへっ、バレた?」

「それに、私はノンアルコールは飲まない主義なのでな」

「それって教育上どうなのよ……」

 さすがの徹もツッコミを入れざるを得ない。


「それで、どういうご用件でしょうか?」

「ん? ああ、お前が部長だったっけ、浅村。これ差し入れ」

 そう言って持っていたビニール袋を慎一郎に渡す。


『むお、菓子じゃ! シンイチロウ、早く出せ!』

「うわっ、あのときの幻!」

 メリュジーヌを見た綾子はどういうわけが驚いた様子だ。


「いや、先生。これがメリュジーヌですよ。竜王メリュジーヌ。先生、職員会議で聞いたって」

「……? ああ……! 竜王ね! 知ってた、知ってた!」

 ウソつけ……とそこにいる全員が思ったが、幸いなことにそれを口に出す者はいなかった。


「それで、ちょっとお前達に頼みがあるんだが……」

「頼み?」

 そう言って綾子は部室の外に出て何やらごそごそとしている。


「おい、慎一郎、結希奈。俺、嫌な予感がするんだが」

「ああ」

「奇遇ね。あたしもよ」

『……?』


 開いた扉からは「よっこいしょ」という声が聞こえ、やがて大きな箱を抱えた綾子が部室に入ってくる。その歩き方を見るに、箱の中身はかなり重そうだ。


「よ、と」

 どすん、と机の上に箱を下ろし、「ふう」と汗を拭うしぐさをする。


「これを預かってもらえないか?」

 嫌な予感がするが、聞かないわけにはいかない。


「これは……まさか……?」

「ああ、酒だよ、酒。保健室に置いてあったんだけどさ、さすがに薬品棚やベッドの下には置ききれなくなってな。さすがに保健室の中にそのまま置いておくわけにもいかんだろう?」


『おお、酒か! 酒の貢ぎ物とは気が利いてるな。こちらの時代に来てからというもの、酒を全く口にしておらんから少々不満だったのじゃ』


「お、竜王いけるクチ? じゃあいいぜ。今度一緒に飲もうじゃないか」

『うむ。その申し出、ありがたく受け取らせて貰うぞ』


「飲むのはおれだし、おれは未成年だからダメだって何度も言ってるじゃないか」

『むう……頭が固いのぉ』


「ホントだよ。浅村。お前もうちょっと臨機応変にならないとこの先苦労するぞ」

「先生が何言ってるんですか……」

 そんなことを言いながら綾子は箱から酒瓶を取り出し、備え付けのロッカーに次々と並べている。


「ちょっと先生! ここをどこだと思ってるんですか?」

「え? わたし専用の酒蔵だけど?」

 この人、冗談でなく本気で言っているからたちが悪い。放課後ここに入り浸って酒盛りするのだけはやめて欲しい。


 ある程度酒瓶を並び終えたところ――結局、慎一郎の反対にもかかわらず酒の持ち込みは押し切られてしまった――で綾子は彼女戦用の酒蔵と化したロッカーの一部を眺める。


「うーん、見栄えが悪いな。今度ガラスケースを持ってくるか。それから、グラスと……あと、ここで氷が作れるように冷蔵庫も新調するか」


「いいね、冷蔵庫! 俺たちにも使わせてよ、綾子ちゃん!」

「いいぞいいぞ。何ならお前も飲むか、栗山」

「俺とサシで飲んで、その後どうなっても知らないよ」

「ガキがナマ言ってるんじゃないよ」

『ほうほう。この国でもワインをつくっておるのか。わしはワインについては一家言あるぞ』

 そろそろ収拾がつかなくなってきた。どうするんだよこれ……。


 というところでチャイムが鳴った。下校時刻を知らせるものだ。


「はいはい。残りは明日にして、今日はもう帰りましょう。辻先生、お酒の管理はちゃんとしてくださいね。これ、先生の管理ですからね」

 ぱんぱん、と結希奈が手を叩き、まとめに入った。こういう時の結希奈の委員長体質は非常に助かる。


「わかってるわよー。いい、あんた達。未成年は飲酒厳禁だからね。飲んじゃダメよ」

 表面的には教員らしい綾子の言葉。今までのは何だったんだろうかと思わなくもないが、

「はいー」

 と、一応返事はしておいたが……。


『むう、残念じゃのぉ』

「いやそれって絶対『押すな押すな』ってやつでしょ?」

 メリュジーヌは未練たっぷりだったし、徹は相変わらずの調子の良さだ。慎一郎と結希奈はお互い肩をすくめるのだった。

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