こより2

                        聖歴2026年5月9日(土)


 午前九時二十一分。部室の扉が勢いよく開かれた。


「悪い、遅くなった!」

『遅いぞ、トオル。言い出しっぺが遅れるとは何事じゃ!』

 まるでゲームに登場する勇者のようなコスチュームのメリュジーヌが遅れてやってきた徹に文句を言った。


「いやぁ、出がけに瑞樹につかまっちゃってさ。なんであいつ稽古の一時間も前から来てるわけ?」

 徹はぶつぶつと言い訳をしている。


「あれ……? 来てるのはお前達だけか? 結希奈は何やってるんだ?」

 部室を見回して、そこにいないもう一人の部員の話題を口にする。


「いるわよ」

 とその時、部室奥のカーテンが開かれ、その向こうから白と赤の巫女装束に身を包んだロングヘアの女性が現れた。


「自分が遅れたからって、人まで巻き添えにしないでくれる?」

 結希奈はカーテンの奥の『自分の領域』から出て、共有スペースである大机の椅子に腰掛けた。


「おっ、結希奈のその姿、久しぶりだな」

 嬉しそうな徹に結希奈はあからさまに嫌そうな顔だ。


「変な目で見ないでよね。……土日はきちんと正装しろって、お父さんに言われてるのよ」

 顔を赤くして、少し恥ずかしそうだ。


「お父さんって……〈竜海神社〉の?」

「そう、宮司よ」

「へぇ……いいじゃんいいじゃん! ナイス宮司さん! これからもその調子で頼むぜ!」


 よほど結希奈の巫女装束が嬉しいのか、ここにはいない結希奈の父に盛んに賞賛を送る徹。対する結希奈は汚物を見るような目つきだ。


『それでは、メンバーもそろったことだし、早速迷宮探索に向かおうではないか!』

「おっ。ジーヌ、今日はやる気だな!」

『うむ。結希奈お手製の弁当が楽しみでならん』

「ふっふっふ。美味しすぎて、ほっぺた落とさないでよね」

 小柄な身体の割に豊かな胸を張る。よほどの自信作のようだ。


「こいつ、朝から弁当、弁当ってそればっかりなんだぜ」

『母上殿の朝食も美味であったぞ』

「食わされる方の身にもなってみろよ……」


『大丈夫じゃ。今日の探索に差し障りがない程度に抑えてあるからの』

「はいはい、お気遣い痛み入ります。というか、あれで抑えていたのか!」


 そんな話をしながら今日新しく持ち込んだアイテム類や結希奈のお弁当を鞄に入れて部室を後にした。




 〈竜王部〉の部室は旧校舎の四階にある。ここから体育館脇にある地下迷宮の入り口に行くためには新校舎の昇降口で靴を履き替えて、校庭の脇を進み、体育館横へ入っていくという道のりになる。


「今日のためにいくつか魔法をインストールしてきたんだぜ」

「私もよ」

『ほう、それは楽しみじゃの』


 土曜日の校舎内は人影も少なく、静かだ。外からは微かに運動部の生徒達の声や、合唱部や吹奏楽部などの音が聞こえてくる。あの槌の音は鍛冶部だろうか?

 三人は一階に下り、旧校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下を通って昇降口へと向かう。


「あれ……?」

 廊下を歩いてくる人影に最初に気づいたのは慎一郎だった。


「おっ、綾子ちゃんじゃないか。土曜に来てるなんて珍しいな。おーい!」

 慎一郎が手を振った。向こうも気づいたのか、こちらに手を振った。


『隣に誰かおるの。見たことのない者のようじゃ』


 メリュジーヌが指摘したとおり、綾子は一人の生徒を連れていた。肩まで伸ばした髪は緩やかなウェーブがかかっている。髪だけでなく、全体的に柔和な印象を与える女の子だ。目鼻立ちはくっきりしており、美人だと言って差し支えないだろう。


 その女子生徒が纏っているのは見慣れた北高の制服とは異なる制服。最近ではあまり見かけなくなったセーラー服だ。襟の部分に白いカバーが掛かっているのが珍しい。


「どこの高校の生徒だろう? 見たことがないけど……」

「この辺の高校じゃないのかも」

「そんなことより見ろよ、あのおっぱい!」


 徹の目が釘付けになるのも仕方がない。全体的にふんわりした印象の女子生徒だが、特に胸の部分の自己主張は尋常ではなく、嫌でもその部分に視線が引き寄せられてしまう。


「うーむ。あの大きさ、“北高ビッグスリー”に勝るとも劣らぬ逸品とみた」

「何のビッグスリーなのかは敢えて聞かないでおくわ」

 女子生徒の特定の部分に視線が釘付けになっている徹を結希奈は冷めた目で見ている。


「おはようございます、先生」

 結希奈がぺこりとお辞儀をした。


「おう。おはよう、高橋。お前ら、いいところで会ったな」

 白衣の養護教諭、辻綾子が片手をあげて挨拶した。


 欠伸をひとつ。昨夜飲み過ぎたのだろうか、とても眠そうだ。一緒に歩いていた見慣れない制服の生徒もその隣に立つ。


「珍しいね。綾子ちゃんが土曜日に来てるなんて」

 徹はいつものように気安い。


「今日は剣術部の対外試合があるからな。私はいざというときのために待機ってわけさ。あーあ、面倒くさい。なんで対外試合なんてするんだよ。向こうでやれよ。しかも剣術部の顧問は来てないって言うぜ。なーにが教員の負担減少だよ」

 綾子はやれやれと首を振る。


「先生、本音が漏れてますよ」

「ん? 浅村か。いいんだよ。たまには本音でも吐かないとやってられないんだ、大人ってやつはな」

 いつも本音のような気もすると思ったが、それを口に出すほど慎一郎は空気が読めない男ではなかった。




「それで、そっちの子は?」

 徹が気になって仕方がないというように隣の女子生徒に目を向ける。


 それに対して綾子はにやりとぶきみな笑みを浮かべた。待ってましたと言わんばかりだ。

「おう、そうだった。紹介しておこう。こいつは細川こより。来週からうちの二年に転入することになってるんだが、先に学校見学をしたいって言うんで案内してやるところだったんだ。細川」


 綾子に促されてこよりと呼ばれた女子生徒はぺこりとお辞儀をする。

細川ほそかわこよりです。父の仕事の都合で来週からこちらの学校にお世話になります。よろしくね」


 こよりはその見た目にふさわしい柔らかい表情で自己紹介した。慎一郎達も慌てて居住まいを正す。


「よろしく、細川さん。おれは浅村慎一郎。一年です」

「俺は栗山徹。同じく一年」

『わしはメリュジーヌじゃ!』

 こよりにはメリュジーヌが見えていないので、当然その挨拶はスルーされる。メリュジーヌの方もわかって言っていたのか、気を悪くした様子もない。


「高橋結希奈です」

「よろしく、高橋さん。珍しい格好をしているのね?」

 こよりは結希奈の巫女服に興味を持ったようだ。


「ああ、こいつは隣の神社の巫女さんなんだ。だからこんな格好をしているというわけだ」

 綾子がすかさずフォローする。こういう気配りができるから綾子は人気の養護教諭なのだろう。


「浅村、実は私が細川を案内してやる必要があったんだが、ちょっと用事を思い出してな。お前達、ちょうどいいから案内してやってくれ」

「え……ちょっと、辻先生!」

 慎一郎が慌てるが、綾子は取り合おうとしない。


「細川にとっても教員と一緒に歩くより、同年代の高校生と歩いた方がいいだろ? それじゃ、任せたぞ」

 そう言って綾子はひらひらと手を振って元来た道を歩いて行ってしまった。


「はぁ……」

「ごめんね。やっぱり来週になってから――」

 ため息をつく慎一郎にこよりは申し訳なさそうだ。


「いいじゃないか慎一郎。せっかくだから案内してやろうぜ。結希奈もそれでいいだろ?」

 徹の問いに結希奈はこくりと頷いた。


「でも、迷惑じゃ……」

「まあ、辻先生に頼まれてるし……。細川さんさえ良ければ」

 こよりは三人を見渡し、そして――


「それじゃ、よろしくね」

 大輪の花のような笑顔を見せたのだった。


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