第22話 OVERTURE
あおいは忘れていた。今の今まで見上げていたあのステージに、今から自分が立つのだということを。
「
他校の女子生徒が声をかける。薄紫色のジャージに旭陵学院の校章。さっきのステージには立っていなかった人だ。メンバーに選ばれなかった生徒はこうして、イベントの最中もずっと運営側に回っているのだろう。
「……かわいい」
「は?」
「旭陵学院って、ステージに立ってない人も可愛いんですね」
「バカ言ってないで早くいけよ」
「な、何やってんだよ。そんなに強く蹴ってないぞ」
蹴った茜音の方がたじろいだ。後ろで他校の生徒達が若干ざわめく。
「あれ、すみません。なんか足が」
ヨロヨロと体を起こしながらも、すぐに立ち上がることができない。しゃがみ込んで差し伸べられた
「がたがたしてる」
体が震えていた。
翠の手を借りながら、おぼつかない足もとのまま立ち上がる。周りの景色が違って見えた。頭の中までぼーっとしてくる。
「私も初めてのときはそうだったよ。自分たちの番が近づくと、急にくるんだよね」
ここまではただの観客だった。他の学校のパフォーマンスを目にするにつれて、緊張が高まってきていたのは分かっていたはず。それでもまさかこれほどまでとは、当のあおい自身も思っていなかった。
「普通、こんなに注目されることなんてないからね」
「そんなことはないぞ、
茜音の言葉に誘われるようにして、突然現れたのは
「なに、急に。ていうかどこ行ってたんだよ」
「よく思い出してみろ。お前たちは十分、毎日のように注目されている」
そう言われて三人は、昨日までの記憶を手繰り寄せた。
体育館ステージの緞帳を下ろしながらも、その隙間から好奇の目にさらされ続けている放課後。ステージに立っていないときでも、すれ違うたびに目をそらされ、通り過ぎざまにはひそひそ声が聞こえてくる日常。
「まあ確かにね」
「大丈夫か、大原? 大丈夫だ、大原」
榎本があおいの両肩をバンバンと叩く。
「何それ」
翠が笑う。
「い、痛いです……」
あおいが少し泣く。
そして茜音が先陣を切る。
「ほら、行くよ」
後ろで聞こえる榎本の声と、他校のパフォーマンスに湧く会場。
それらを背にして三人はステージへ向かう。
それまで途切れることなく浴びせられていた声援が、突如として鳴り止んだ。
観客の一人ひとりがそれぞれステージに目をやっては、動きが止まる。目を奪われたといえば聞こえはいいが、それよりもむしろ呆気にとられたといった印象が強い。
ステージ脇のスクリーンに高校名が点灯する。すっかり静まり返った会場が、それを見て少しずつざわめき始めた。
“神奈川県立朝陽高等学校”
複数の高校が集うイベントとはいえ、いち部活動に過ぎない。ましてやこれは公式大会ですらなかった。そんな会場に来るほどアイドル部に思い入れの強い観客達の中で、今そこに表示されている高校名を知らない者はおそらくほとんどいないだろう。
大きめサイズの上下を身にまとう、ラフでダボッとしたストリートスタイルの二人。明るい茶色の髪色と客席を睨むような目つきには、アイドルらしからぬ気迫があった。かと思えばその脇には、違った意味でダボダボの学校指定ジャージを身につけた座敷わらしが、一人ぼんやりと突っ立っている。
ステージに現れた異様な様子とその高校名とが共鳴し、ある者は納得し、またある者はその事実に驚いた。それぞれ異なる感情を入り混ぜながら、口々に声が生み出されていく。
「朝陽って、あの朝陽? 暴力事件、の?」
「まだ一年経ってないよねえ。こんなに早く出てこれるんだ」
「たしかになんかやりかねないって感じ」
「ていうか、部活まだあったんだ」
「本当に大丈夫なの? なんか怖いなあ」
それでもそこにステージはある。他の高校生が同じように立ってきた同じステージ。その上に三人のメンバーが立っている。
スポットライトが当たる。
どんな状況であれ、これがアイドルライブである限り、必ず音楽は鳴り始める。
音の始まりに反応するのが遅れたのは、あおいだけではなかった。経験の浅い翠に限らず、茜音でさえも一年ぶりの表舞台。レッスンで勘を取り戻し始めたといっても、本番は訳が違った。分かっていたはずなのに、飲まれた。
出だしの遅れがズルズルと後ろ倒しになっていく。遅れを取り戻そうと先へ先へと焦って追いかけ、歌もダンスも逆に走りすぎてしまう。
茜音だけがそれに早くから気付いていた。翠とあおいは何とかついていくので精一杯。茜音がどうにか必死に戻そうとするが、前だけを見て走り続ける二人を止めることができない。
もちろん曲は止まらない。構わず先へ進んでいく。修正することができないまま、クライマックスのポジションチェンジに差し掛かろうとしていた。サビへと向かうスピーディーな振り付けをしながら三人が互いにすれ違う。
「あっ」
鈍い音が聞こえた。
陣形がスローモーションに崩れていくのが分かる。
けれどそれをどうすることもできない。
「……!」
気付いたときには手遅れだった。
あおいが顔面からステージ上に崩れ落ちる。先ほどステージ下で起きた光景が、頭の中でぴったりと重なった。
すれ違いざまに衝突した茜音の方はかろうじて持ちこたえ、ダンスを続けている。歌の方も途切れてはいない。しかしその視線は倒れてしまったあおいの方を向いていた。
客席のざわめきが大きくなる。もともと最初から観客の声が消えることはなかった。しかし今、女子校生の体がステージに叩きつけられた大きな音をきっかけにして、さらにその強さを増していっている。
もうどうにもならない。そう思った茜音は、翠に目配せをして、二人で最後までやりきることを決心する。この楽曲自体は複雑ではない。かといって単調ではなく、場面場面で見せ場となるシーンがしっかりと含まれている。今までやってきたことをやりきることができれば、二人でもちゃんとしたパフォーマンスにはなるはずだ。
最後のサビが近づいていた。もう一度互いにすれ違って、もとの陣形に戻る。ここが最後の見せ場でもあった。しかし今すれ違うことができるのは二人だけ。どうするべきかと考えを巡らせながら、茜音はステージの端に目を向ける。
茜音の視線が止まった。
目に入ったのは、ゆっくりと立ち上がっていくあおいの姿だった。
大丈夫ならさっさとこっちに来い、と茜音は思う。しかしすぐにそのことに気づいた。どうやらただ体を起こしているわけではない。そこにリズムがあるようにも見える。これからやってくる何かを待ち受けるような、それに向けて徐々に高まっていく感情のような、じわりじわりとしたリズムであおいの体が立ち上がる。そのリズムが、楽曲に合っていた。
茜音が翠に視線を移す。
翠の目もあおいの方を向いていた。翠もそれに気付いている。
あおいはまだパフォーマンスを続けている。
あとは信じるだけだった。茜音と翠は予定通りのポジション移動を始める。三人ですれ違う予定通りの動き方。幸か不幸か衝突のアクシデントから、楽曲のリズムにパフォーマンスが合ってきていた。理想と違ったのは、一人のメンバーのポジションが空いてしまっていることだけ。
そして、その場所が埋まる。
音楽の盛り上がりと同時に走り出したあおいが、空いたスペースに駆け込んだ。
タイミングはピッタリだった。お互いの思惑が一致したことに安堵と興奮が三人を包む。思いのほか振り付けがいつもよりも大きくなる。それが曲のピークと共鳴していく。
音源はそのままで、ステージに立つ彼女達も何も変わってはいない。それなのに、音も三人の姿も、どちらもが少しずつ大きくなっていくような錯覚を覚える。一部の観客がその違和感に気づき始めていた。「これは何だ」と彼らが思った瞬間、その最高点が訪れて、楽曲は終わりを迎えるのだった。
収束していく音楽とともに、あおい達の掲げた右手がゆっくりと降ろされていく。客席はいつの間にか静かになっていた。歓声も拍手も、ざわめきもなかった。始まったときよりも遥かに静かに、あおいの初舞台は終了した。
アンダーガールズ ー悪名高きアイドルたちー 大黒 歴史 @ogurorekishi
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