第39話 続きの糸

ちりぃん、と男が扉を開けた反動で鳴り響くベル。その音を聴く前から男が店に来ることを知っていた人物が、「やぁ」と遠くの席から左手を挙げていた。


「人探しか」

「ご名答」

向かい合わせで席に着くなり、男は目の前の人物――背格好も小柄な少年に短く問う。少年はというと、久しぶりの再会に加えて、いつもながら話の早い男の存在に嬉しさを隠しきれない様子だ。ブロンドの癖毛を左手の人差し指でくるくると巻きながら、“紅茶とチョコレートでいいの?”と少年は確認するように男を見る。


「あぁ。お気に入りだからな」

「ローズカランの1番と、極黒のね。まかせてよ」

少年は、流通の目利きだ。彼の商会の倉庫には、煙草の銘柄のようにずらりと、珍しい品々が棚に並んでいる。客の好みはもちろん把握済みで、男も例外ではないようだ。


さて、と少年がショルダーバッグから取り出した一枚の写真を真ん中に、商談が始まった。

「白いピアノ、か」

「うん。随分前、《白鼠のバーテンダー》のところにあったのを、別の店主が買い付けて引き取ったらしいよ」

「――80年前か」

「でも、店が変わった途端、音が出なくなっちゃった、って。大騒ぎ」

少年の苦笑いから察するに、音楽関係の界隈・少年をはじめとする著名な人物たちの間では、ある種の怪事件として噂になっているようだ。


「ボクの知り合いの子たちを何度か呼んだのだけど、失敗に終わっちゃってね~……それどころか、さらに鍵盤が強ばって、銅像みたいに動かなくなっちゃった」

「……おまえの――“解放の手”でも上手くいかないのか」

「――時々あるんだよ。自分でもわからないまま、何かに囚われて動けなくなって――深淵に沈むうちに、息の仕方を忘れてしまった存在(モノ)が」


結局のところ、目の前に・頭上にわずかな光が現れて見えたとして、そちらへ手を伸ばせるか・伸ばすかどうかは運命――当事者次第。

“声なき声”を聞き、手で触れて解放する……今まで幾億もの金庫や扉、絶滅種の動植物・怪奇に関わってきた少年は、物事を見極める術にも長けている。


「――でも、この前ようやく、声が聞こえたんだ。とても小さくて、わかりづらかったけど」

「……」

「“誰もいないから”――って」

なるほど、とようやく男も頷けた。ひとりでは解決できないはずだ、とも思った。


「人と会わないと、弾けない。このピアノと“相性がいい”人と。弾き手がいないのなら、歌い手もいない。聞き手もいない。……寂しくて、黙っちゃったんだ――このピアノは」

「話をしよう。まずは、今夜」

二人は、違う店でまた会う約束をした。街は、まだ昼間だった。


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