第36話 吹き抜けの夢
何やら、周囲が賑やかだと思った。暗がりの中を歩き、進んでいた少女がふと足を止める。トントコと、弾みのある太鼓の音。それを急かす笛の囃子。すれ違う人は皆、薄手の軽装――浴衣――だ。
そうか、祭りだ。
少女はひとり。笑い声をかき分けながら、人混みをただ進んでいく。さして驚きもせず、喜びもしない。
少女の装いは、上下とも黒い制服。今ここに、祭りを楽しみにやってきた訳でもないし、ただふらりと立ち寄った訳でもなかった。
自分の行く先の道が、祭りのために普段よりもずっとずっと派手に飾られていた、というだけの話だ。
鞄も持たず、何も買わない。段々と、灯りのない石壁の向こうに行き着いたときだった。
「……赤ん坊?」
少女の唇が、わずかに空気を震わせた。自分の足元、箱の中で泣き声を挙げる赤ん坊に視線を落とし、じっと見つめる。
「……」
黒い影が音も立てずにしゃがみこむと、赤ん坊はぴたりと涙を止めた。小さく、細い目尻の中で、透明な声があふれようとしていた。その下で少し開いた口が、静かな夜を食べているようだった。
少女の腕に抱えられた赤ん坊は、彼女の肩口に顔を埋め、ぎゅっと髪を握った。ぴったりとくっついた上半身が、じわりと熱を帯びていく。少女はそれを嫌がる様子もなく、あたたかい重みをぎゅっと抱えたまま、再び歩き始めた。
“何故こんな場所に赤ん坊が捨てられていたのか”は、さして気にならなかった。行く宛がないのは、少女も同じだったから――風が生温く、二人の頬を通り過ぎていく。
「お嬢さん」
「なに」
頭上から聞こえた、見知らぬ男の声。女が短くつついて返せば、男は「追われてるよ」と、付け加えるように話した。何故、誰に、誰が、これからどうするべきか。少女の頭は、質問で混乱した。
「まかせてくれ」
黒と白を纏った、細身の男。少女が考え込んで動かないでいる間に、腕から赤ん坊を受け取る。重みと、熱を失った感覚に、少女が我に返るころには、男は困ったように笑っていた。
「!なに笑ってるの」
「キミは、髪の毛が好きなのかい」
肩口よりも長い、男のまっすぐな髪をぎゅっと握る、幼子の手。
「切らずにいて良かった」
「――そんなことは聞いてない」
上手く噛み合わない会話に、焦りがにじみ始めたころ。
「……もう少し先に、廃ビルがあるよ。元々デパートだった所だから、かなり広い」
急に淡々と語る男の目が、訴えていた。“逃げて戦うのならば、自分の有利な場所に敵を引き込むのが吉”と。
「……あんたは」
「もちろん、ついていくよ」
涼しげな笑顔の裏で男が何を考えていたのかなど、少女は興味がなかったらしい。
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