鍵の在処
第30話 巡りのしるし
私は、この心と体が共に備わってこそ、“私である”と認知している。
しかし、誤解を招くことがないよう言っておく。
今と見た目が同じでなければ私ではない、ということではない。
私が心を動かし、そうして動く体も、紛れもなく私である。
「……邪魔よ。きらびやかな飾りはいらないわ。私に、余計な重りをつけないで」
その女の声は、きらきらと光を放つ美しいネックレスを瞬く間に引きちぎった。後、自分の首筋に血がこびりつくこともいとわずに、目尻を怒りで震わせていた。こんなもので縛り、偽り、大衆の目にさらされることを、女は激しく拒絶した。
死を美化してほしくない。
立派だった?大義を果たした?
大勢の人を助けた?
何かを成し遂げた者だけが称賛され、後世にも伝えられる。
道行くひとの誰もが、それを知り崇拝する、尊敬する。
多くに看取られ、見惚れられ、時の人として刻まれる。それもまた、一行。
けれども私は、そんな花道は望まない。どれだけ暗くとも、足元が、その運びがおぼつかないとしても、ひとりでいたい。
「――聞こえない。……そうして、消されていくのね。あなたの、私の、本当の声が」
言葉には、必ず意味がつきまとう。それを知りたくて、知ろうとして、ひとは動く。
そして行動には、理由があり、癖がある。気付こうとも気付かずとも、転ぶ。問題は、それを受けて周囲がどうなるか。自分がどうなるか。
無名のシンガーだって、好きなひとはいる。
ひと知れず紡いだ、一度では全て聞き取れない言葉の伝いを。音にのせた想いの、その一部だけを頼りにその存在の在処を、軌跡を辿る。幾億の歩みのなかで、私を見つけて寄り添うひとがいる。雑踏をものともせず、人波をひた走って、私の名前を掴むひとがいる。
私は、私を、私の心を守り、体を抱きしめ、限りなくやさしく笑うあなたを好きになった。
もう、逃げなくてもいいのだ。死の匂いから、生きる苦しみから。いつ消えるかもわからない情の熱、胸を焦がし続ける想いの叫びからも。
「……そういえば、もうひとつ。聞きそびれたことがあったわ」
ずっと夢を見ているの。
私はベッドに横になったまま、上を向いて、暗がりの天井を見つめている。
その高くには黒いピアノが浮いていて、特に音を立てることもなく、ただ私のことを見下ろしている。そうしてどこからか、ぬるくて冷たい、白い影の風が吹いてくる。
そのとき、私はいつも感じる。
これが、死。確かにあるこの体さえも、心を秘めたまま火に包まれるときが来る。限られた時のなかで、随分あっさりと終わるだろう。黒に囲まれて、骨格だけが残る。そうして、また箱に閉じ込められる。その一連の流れを想像して、現実に帰る。
いつか来る、けれど今はまだなのだ、と。
すぅ、と頭の先から一束の布が、糸が伸びてどこかに続いているような気がするのだ。
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