第25話 単調

いつの間にか長くなる髪の毛のように、ふとした瞬間に張り付いてくる過去が嫌いだ。


邪魔にならないように止めたり、束ねたり。そうしていたところで、いつかは外れてまとわりついてくる。いくらきれいにまとめようとも、丁寧に編もうとも、それはくっきりと癖になって、爪痕が消えることはない。


けれど、色はいくらでも変えられる。書きかけの未来を上書きするように、自分を偽るかのように。

「何を隠しているの」

目の前の男にそう問い掛けたシンガーの女の声は、薄く開いた窓から射し込む月明かりのように、静かだった。


「そうまでして、何を隠したいの」

女は、気付いていないのだろう。本来、誰に対しても丁寧であった言葉遣いが唯一、その男の前では崩れていることに。ぶぉん、と何かを振りかざすような風の音が、ひとりでカーテンを揺らす。


「あなたは、私の知っている誰よりも、美しいひとよ」

ぽつり、とこぼれた一滴の想いが、シンガーを焦らせた。

炭酸水の中で溺れ、ぶくぶくと天に浮かび上がっていく泡のようだ。冷たさが気にならないくらい心地よいはずなのに、息苦しくなって逃げ出してしまいたくなる。死の気配が近いことを、体はわかっているから。


「――いつか言っていたわね。私のこと、“どこかで聴いたことのある声だ”って」

女の言葉が、するりと男の輪郭をなぞる。そこでふと、女は薄く笑みをこぼしてこう続けた。


「私もね、思っていたの。あなたの文字、“どこかで見たことがある”って」

手をつけていない引き出しの中から昔の日記を見つけて、懐かしさに目を細めるのと同じように。自分の中の断片に、欠片の一部に、男が生きていた。


「似ているだけの人なんて、世の中にいくらでも居るでしょう。……でもね、あの日私の手を握り返して、まだ生きているのは、あなただけなのよ」

いっそ、雨のように頭から爪先まで降り注いで、男の耳に雑音が聞こえないようにできたら、どんなにいいだろう。


「何にも変わらない、明日が来ればいいのに。……いいえ、それじゃあ駄目ね」

歌の歌詞のようにぽつりぽつりと紡がれていく心は、どこまでも素直で幼い。

「何かを刻んで、なくして、ぐにゃぐにゃになって、朝を迎えるんだわ」

葉のうえをすべる朝露に似て、女の唇が音もなく男のそれに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る