第21話 斬り姫の目

その男の瞳は、かつて二つの森だった。今まさにそれを目前に見つめる女は、一人。自分に覆い被さった男の顔。その細い輪郭に指先を触れさせて、男――情報屋の言わんとすることを受け入れていた。


「私と刀を交えて生きている者は、初めてだ」

薄い桃色の唇をぱく、と開き、女は何処か恨めしそうに――それでいて嬉しそうに微笑んでいた。


対する男。その首筋には、ぎらりと光る“刀”が、横一文字に当てられている。ちょうど喉仏の真上だ。女が右手で握る“刀”は、ぎちりと時折微かに揺れながらも確実に、男の体に血を刻んでいた。


「……“これ”はお前の母親か?」

男は眉一つ動かさず、ただ閉じられていた口だけが、機械のように動いた。

女はすっと目を伏せて、答えた。一瞬の、静かな沈黙の返事を経て、女は刀を退いた――自分の胸の前に下ろした。


「……私は、そなたの目が欲しい。森を映し、命を動かすその目が」

「止めておけ。火に撒かれるぞ」

「……!」

「それに――お前が俺から何かを奪ってゆくのなら、俺も同じことをしなければならなくなる」


男が言葉を切ったと同時。ぶさり、と地面に扇のように広がっていた女の髪に男の、小さなナイフの刃が刺さる。

「構わん。私はおまえを殺る」

尚も女は、笑みを壊さなかった。

「……わかった。だが、自分の首は自分で守ってくれ」

森の男は二度めの忠告をすると、黒い川に突き立てたナイフをゆっくりと抜き、女の上から体を退いた。



「くっくっ……あの男、やはり、探らせてはくれなかったな」

つい数刻前に森の男と牙を交えた姫は、今、男の連れ添いであるシンガー――黒蜘蛛の前で笑っていた。


それよりも、とはじめて一度笑みを崩すと、姫はただ目を細めて言った。

「先ほどの非礼、すまなかったな。こちらの勘違いとはいえ、そなたたちに刃を向けようとは……」

「いえ、貴女は村を守ろうとしただけでしょう。領主ならば当然のことと思います」


蜘蛛は何も濁さず、まっすぐ姫を見ていた。

蜘蛛の声を初めて耳にした姫は、ほう、と息をついた。すぅっとどこからか降り注いでくるような――人知れず囁き続ける、星の林のようだと。こうして目に見える範囲、視界の先に姿があるのに、姫には遠い存在のように感じられる。だからこそ、より美しく映るのだろう。


「人には戻らぬのか?」

「今は、まだ……けれど、この姿も気に入っていますから」

蜘蛛の姿で情報屋の首筋をつつ……と歩くと、普段あまり表情を変えない男が“くすぐったい”と何処か困ったように笑う――そんな、“ちょっとしたイタズラ”ができるから、という理由は姫には内緒だ。


「“星の一族”をご存知だったのですね……どちらで?」

一拍置いてから、今度は蜘蛛が尋ねた。

「――四十もの村人が殺られた。私の内には、静かなる憎しみが渦巻いている。今、この瞬間もだ」

寂れた社に火を灯すように、歪んだ斜陽が女の顔をまだらに飾っていた。


「……だが、決して飲まれはしない。私は、私の為すべきことをするまでだ」

刀を握る女の肌は、差し込む夕日のようにうっすらと黄色く、あたたかな血が通っていた。

まるで同胞と身を寄せあい、風に揺れる木の葉のような人だと、蜘蛛は切なくも力強く思った。

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