第21話 斬り姫の目
その男の瞳は、かつて二つの森だった。今まさにそれを目前に見つめる女は、一人。自分に覆い被さった男の顔。その細い輪郭に指先を触れさせて、男――情報屋の言わんとすることを受け入れていた。
「私と刀を交えて生きている者は、初めてだ」
薄い桃色の唇をぱく、と開き、女は何処か恨めしそうに――それでいて嬉しそうに微笑んでいた。
対する男。その首筋には、ぎらりと光る“刀”が、横一文字に当てられている。ちょうど喉仏の真上だ。女が右手で握る“刀”は、ぎちりと時折微かに揺れながらも確実に、男の体に血を刻んでいた。
「……“これ”はお前の母親か?」
男は眉一つ動かさず、ただ閉じられていた口だけが、機械のように動いた。
女はすっと目を伏せて、答えた。一瞬の、静かな沈黙の返事を経て、女は刀を退いた――自分の胸の前に下ろした。
「……私は、そなたの目が欲しい。森を映し、命を動かすその目が」
「止めておけ。火に撒かれるぞ」
「……!」
「それに――お前が俺から何かを奪ってゆくのなら、俺も同じことをしなければならなくなる」
男が言葉を切ったと同時。ぶさり、と地面に扇のように広がっていた女の髪に男の、小さなナイフの刃が刺さる。
「構わん。私はおまえを殺る」
尚も女は、笑みを壊さなかった。
「……わかった。だが、自分の首は自分で守ってくれ」
森の男は二度めの忠告をすると、黒い川に突き立てたナイフをゆっくりと抜き、女の上から体を退いた。
*
「くっくっ……あの男、やはり、探らせてはくれなかったな」
つい数刻前に森の男と牙を交えた姫は、今、男の連れ添いであるシンガー――黒蜘蛛の前で笑っていた。
それよりも、とはじめて一度笑みを崩すと、姫はただ目を細めて言った。
「先ほどの非礼、すまなかったな。こちらの勘違いとはいえ、そなたたちに刃を向けようとは……」
「いえ、貴女は村を守ろうとしただけでしょう。領主ならば当然のことと思います」
蜘蛛は何も濁さず、まっすぐ姫を見ていた。
蜘蛛の声を初めて耳にした姫は、ほう、と息をついた。すぅっとどこからか降り注いでくるような――人知れず囁き続ける、星の林のようだと。こうして目に見える範囲、視界の先に姿があるのに、姫には遠い存在のように感じられる。だからこそ、より美しく映るのだろう。
「人には戻らぬのか?」
「今は、まだ……けれど、この姿も気に入っていますから」
蜘蛛の姿で情報屋の首筋をつつ……と歩くと、普段あまり表情を変えない男が“くすぐったい”と何処か困ったように笑う――そんな、“ちょっとしたイタズラ”ができるから、という理由は姫には内緒だ。
「“星の一族”をご存知だったのですね……どちらで?」
一拍置いてから、今度は蜘蛛が尋ねた。
「――四十もの村人が殺られた。私の内には、静かなる憎しみが渦巻いている。今、この瞬間もだ」
寂れた社に火を灯すように、歪んだ斜陽が女の顔をまだらに飾っていた。
「……だが、決して飲まれはしない。私は、私の為すべきことをするまでだ」
刀を握る女の肌は、差し込む夕日のようにうっすらと黄色く、あたたかな血が通っていた。
まるで同胞と身を寄せあい、風に揺れる木の葉のような人だと、蜘蛛は切なくも力強く思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます