第18話 桜の葬列
水に浮かぶ桜の花弁は、小石のようだった。風雷の時に落ち、どこへ流されるのかなどと人が知ることはない。
「おめぇさん、もういっちまうのかい」
白いガードレールの上で、とあるカラスがぽつりと呟いた。下に見下ろす川は丸いクラゲに溢れており、空気は夜風に乾いている。
まるで葬式だ、とカラスは思った。参列者は天の三日月と星たちで、葬儀屋は細長い川。BGMは風の音。静かで忙しない、一夜で終わるセレモニーだ。四角い箱に鍵をかけ、作られた道を走り連ねていく人間たちは、この葬列を知らない。
しばらくして、晦冥を行き交うただ通りすぎていくだけだった白色の中に、ひときわ目立つ青があった。
「ありゃあ、精霊の目だ。……きれいだ――不気味なぐれぇに」
カラスは瞬きすら放棄して、じっと目をこらした。
「主。先客がいらっしゃいます」
「あぁ。わかっているよ」
深海のように、どこまでも透き通った青。それは鬼火のように薄明るく、主と呼ばれた男の顔に宿っていた。
「……以前訪れたときには、もっとたくさんの集いでしたが」
「群れはいつか半減し、絶滅する――それが自然の理としても、わたしは君たちを忘れはしないよ」
男の背は高く、その傍らには漆黒の付き人が控えていた。そちらの瞳は赤色で、静かに燃える彼岸花に似ていた。
「さぁ。鬼が来ないうちに、お行き」
青の男は急かす風でもなく、ただそっと桜の小舟に囁いた。男の声に答えるように、白磁色の波はそよそよと向こう岸に流れ始める。
「……何故戦火をここに持ち込んだ。おかげで川の水は無惨に渇き、罪なきはずの桜を、愛でた人々は殺された」
花の行く末を見送った、穏やかな音とは違う。鬼火の声に、体に滲んでいるのは、静かな怒りだ。
「……っ」
後ろから、するりと首筋に刀を当てられているような恐怖を、カラスは感じ取った。触れなくとも火傷を負ってしまうことがわかるほど、刃は熱を帯びている。けれども、ひゅっと一息空気を吸い込んで、カラスは固くなっていたくちばしを開いた。
「……旦那さん、水の化身か?」
「こんばんは、カラスの君。すんなりと言い当てるひとは初めてだ」
刃の熱がすっと引いた。涼しい顔で、夜風に心地よさを感じているような笑顔で。男はカラスの問いに答えた。
「……旦那さん、さぞモテるだろう?色男は大変さね」
「わたしの添い人は、たった一人だよ」
「もうこの世にゃいないのかい」
「……」
今度の問いには、男は何も答えなかった。けれど雰囲気からして、話したくない、というよりも“話せない”が正しいような気がした。これ以上、踏み込んではならない。
「すまねぇ、旦那さん。無粋なこと聞いちまった」
カラスが早口ぎみに、けれど男の目を見てまっすぐ告げたのを、男はふわりと微笑みで受け取った。
「どうか生き延びて、カラスの君」
その一言を残したきり、隣に並び立つ赤目の従者に「行こう」と声をかけた。従者はすっと、丁寧に一礼した。
*
カラスの脳裏に、歌が聴こえた。
息を吐ききり次の酸素を吸い込むまでの一瞬。歌い手の存在そのものが消えていってしまいそうな――そしてそれを、惜しい、手放したくないと思ってしまうほどに美しい声だ。
無機質でいて何にも邪魔されない、白の美術館がよく似合う。そうして聞き入っている内に、足元が心地よく冷えてきた。波打ち際で、やさしい水揺れを受けているかのようだ。ゆっくり、またゆっくりと打ち寄せて、近付きと離れを繰り返す。
「まただ――なんでアンタの声は泣きそうで、遠くに行っちまう?」
『……飛びたくても、飛べないから。――“あのひと”のところへ』
彼女の言う“あのひと”を、自分は知っているような気がした。
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