第17話 紫のオルゴール

「なぁに。お腹空いたの?」

こてっ、と首を斜めに傾け、くすっと笑うその人は、美しかった。私は高揚する頬をごまかしたい一心で、首を左右にがくがく振った。


「あんまり物欲しそうに見るから、あのこのこと思い出しちゃった」

前に話していた、猫のことだろうか。そう思って尋ねてみると、彼女はやさしい視線を扉の方へと動かし、頬づえとため息をついていた。

「もしわたしがいなくなっても、探してはダメよ」

夜に見る歌姫の姿ではない。昼の質素な給仕の格好で、その人は私にサンドイッチを手渡しながらさらりと言った。



「わたしには、即興は向いてないわ。覚えた歌を繰り返す――ただそれだけなのだから」

「知ってる」

人気の無いピアノの椅子に腰掛けて、一人の舞踏人形が足を伸ばしていた。甘さの強いチョコレートのような、白いピアノの蓋は閉まっている。どこかしんみりと項垂れる人形にたった四つの音で返事した男は、カウンターでグラスを磨いていた。


「……ここのバー、カウンターに立ってるのはいつも貴方だけなのね」

「おかげで仕事が捗っちまって、その筋じゃすっかり有名になったもんさ。……いいんだか、悪いんだか」

男の声には、“気が楽でいい”という安心よりも、“面倒ごとが多い”とそのスリルすら楽しんでいるような――飄々とした性格が滲み出ているようだった。


「ねえ。どうしてわたしを拾ったの?」

「またそれを聞くのかい」

「……だって、答えてくれないから」

人形の少女はぷっと頬を膨らませ、意地悪なバーテンダーの態度に少しだけすねて見せた。

「……目をそらせないくらい、光って見えたのさ。ごみ溜めに居たアンタがな」

対するバーテンダーは懐から煙草を取り出し、じゅっと音立てるライターをカウンターに置いて、ゆっくりと煙を吐いていた。それをぼぅっと眺めていた女の唇が、何か言いたげに薄く開かれた。


男は一秒だけ、目を伏せた。

「すき」

真っ直ぐ響く和音。そのかすかな存在が男の耳に届くまでに、三ヶ月はかかった。

「難しい言葉はわからないから」

わたしにできるのは、歌うことと踊ること。少女は、段々と世界を知っていった。

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