第10話 果実鳥の少女

「ごめんなさい。あなたに手紙を書くときは、“待ち合わせの時間を書いちゃいけない”って聞いたんだけど……」


男の手には、少女が宛てたであろう手紙があった。その終わりに描かれた挿し絵は、太陽の中で眠る猫……“夜には起きています”のメッセージだ。


「具体的な数字を出されるのが嫌なだけだ」

男は静かに、首を左右に軽く振り答えた。そして、ある方向を指差してこう続ける。

「“声の消えた友達”は、それか?」


少女は黙って頷き、壁に立て掛けていた“友達”を手に取り、男の目前に運ぶ。

「おじいちゃんが、私に作ってくれたものなの。私が生まれてからずっと一緒よ。」

木目の美しい、7本の弦が張られた楽器だ。それに触れる少女の手つきだけを見ても、どれだけ繊細で大切なものかがよくわかった。


「おじいちゃんが弾くのを、側で見るのが楽しくて。……弾き方を、習っておけばよかった……」

ただうつむくことしかできない少女の頭を、男の静かな声がなでた。

「俺にも、うまく弾けるかはわからない。弾くよりも、聞くほうが多かったから」

貸してくれるか、と小さく問うと、羽根冠の少女は揺れる水面のような瞳をこすり、どうぞ、と男に友達を手渡す。


男は両の手袋を丁寧に外し、楽器と向き合う。

少女も私も、はっとした。男の手は、線で溢れていた。 血の跡はない。ぽつんと残された無数の傷だけが、彼の軌跡を物語っているようで。


視線に気付いたのか、男は薄く微笑んで眉根を下げた。

「あまり見るものじゃないな」

「そんなこと……」


言葉を濁すシンガーの隣で「いいえ」と鮮明な声が聞こえ、

「生きてきた人の手。自分の手で、探し歩いてきた人の手よ。」

少女がぎゅっと男の手を握り、確かにそう言った。


「きっと……あなたに弾いてもらえたら、この子も幸せだと思う」

無の部屋に、音が生まれた。

少女が音に合わせて遠い祖国を歌い、ゆるやかな窓辺の風と共に、どこか懐かしい煙の匂いがする。

シンガーも、そっと目を伏せ音だけの世界に耳を傾けた。


“言葉がない世界は寂しかった”

“でも、そばに居てくれる人が居た”

“そっとなでてくれる人”

“雨の日も晴れの日も”

“暖かかった”

“そして知った”

“あたしを作ってくれた人は、もういないんだと”


音が消えては生まれていく様が、美しかった。

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