第6話 紅葉と母鹿
男は歯車の中にいた。
かち、こち。かち、こち。
どこからか機械鳥のさえずりが聴こえてくる。ぽちゃん、ぽたん。誰が閉め忘れたのか。……開いたままの蛇の口から、水が落ちていく。
「何の用だ」
『開口一番がそれか。まったく……相変わらず不機嫌そうだな?どれ、上手い煎餅でも送ってやろう!』
「……」
『何だ、その顔は』
「見えてないだろう」
男の脳裏に、芯のある女の声が聞こえてくるが、ここに姿はない。
『“ちょこれいと”やらが良い、と言うんだろう。残念だったな。生憎私は“ちょこれいと”やらを知らんのだ。今度あいつに聞いておこう。』
ぶつぶつとまだ何か呟いている女に、男はすぐに消えるため息をつく。
「……で、何の用だ」
『……“目”は痛むか?』
「痛みはしない。」
女は、まだ芽吹くには早い梅の枝を指で撫でながら、『……そうか』とただ一言だけをこぼす。
『私が言うのも何だが……奴等はしつこいぞ。お前の月の一族と、武力で互角だったほどだ。』
「……それは別にいい。俺しか残らなかったのだから。狙われるのは俺一人でいい」
男にとって“一族”の一部は“家族”だった。あらゆる術を、生きる術を。教えを施してくれた老。まだ知らなくていい、周りの目は気にしなくていいと、小さい自分を守ってくれた最後の長。
決して彼らは消えることはない。命の炎が尽きた今でも、煌々と整然と煙を起こし、懐かしい故郷の香りを広め続けている。
『己を粗末にはするな。……お前は、喜びの内に生まれ、今日まで生き、生かされたのだ。お前の幸せを願い消えていった者たちを忘れるな』
女の手の中で、蕾のなかに眠っていた梅が、ゆっくりと花開いていく。
「……わかっている」
かちり。男の背後で、歯車がまた一つ止まる。
『お前はもう、自分だけのものではないのだ。私はお前を見守ることしかできないが……これからどう歩いていくのか、見届けさせてもらう。』
そうして、女の声はふっ……と煙のように消えていった。
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