File46:鬼

 そして地底湖の広場を後にして、再び迷宮を進み始める一行。ジェシカは再び狼少女の姿に変身している。


 しかし広大で尚且つ複雑に分岐している回廊は中にいる者の方向感覚を狂わせて迷わせる。勿論進みながらもセネムの霊力感知やジェシカの嗅覚感知は行っていたが、目ぼしい収穫は得られなかった。


 それどころか化け蜘蛛の群れや巨大ムカデに襲われたりして、その都度撃退は出来ているものの先の見えない暗澹たる気分は増幅される。



「……一体どこまで続いているのだ、この洞窟は。本当に『外』があるのか? ここが魔界だとすると、我々の世界の常識は通用せぬかも知れんぞ」


 セネムがその声に僅かな不安を滲ませる。鍛えられた戦士とはいえ一行の中では彼女のみが人間であり、魔物に比べるとどうしても飲食や睡眠などといった生理的な問題が付き纏う。


 無論カーミラ達3人にしても人間よりは耐久性が高いとはいえ、完全に不眠不休で延々と動き続けられる訳ではないので、程度の差こそあれ同じような漠然とした不安は感じていた。


 このままでは全体の士気にも関わるとカーミラが焦りを覚え始めた頃……



「……っ!」


 シグリッドが急に立ち止まった。余りにも唐突であった為に、全員思わず何歩か行き過ぎてから慌てて立ち止まった。


「シグリッド? どうしたの、急に?」


 カーミラの問いにもシグリッドは目線を前方に固定したままだ。



「……今、あの角にルーファス様・・・・・・の姿が見えました」



「え!?」


 全員がギョッとしてシグリッドが注視している方角に目を向ける。そこは回廊の突き当りで曲がり角になっている場所であった。当然というかそこにはルーファスの姿など影も形もない。


「……シグリッド、気持ちは分かるけど焦っても状況は良くならないわ。こういう時こそ気を強く持って……」


「幻覚などではありません! 確かにルーファス様が居たんです!」


「あっ! シグリッドッ!?」


 シグリッドが願望の余り幻覚を見たのだと判断したカーミラが諭そうとするが、彼女は常ならぬ強い調子で否定すると1人で走り出した。


 一瞬唖然としたカーミラだが、シグリッドは1人でどんどん走っていってしまうので、慌ててその後を追い掛ける。勿論セネムとジェシカもその後に続く。


 途中また化け蜘蛛の群れに遭遇したが、シグリッドは文字通り蟻を踏み潰すような勢いで、一顧だにする事さえなく蹴り、殴り潰していた。もう誰にも止められない暴走列車のような物だ。


 何故か彼女にだけは先を行くルーファスの姿が見えているらしく、迷いなく迷宮の回廊を走り抜けていく。カーミラ達はひたすらその後に付いて走るだけだ。



 そして時間にして20分ほどもその『追跡劇』が続いた後、シグリッドに先導された一行は先の地底湖があった空間にも劣らない広大な空間に辿り着いていた。


 更に天井は優に数十メートルはあろうかというくらいの高さで、無数の尖った岩が突き出ており、まるで恐ろしく巨大な鍾乳洞のような印象を与えていた。


 またここには人工的な石壁が全くなく、四方全てが淡く発光する岩盤に覆われている。空間の所々にまるで岩山のような大きな岩塊が聳えており、かなり凹凸に富んだ地形を形作っていた。


 そしてそんな岩塊の合間にある、やや広くなったスペース。その中央に……こちらに背を向けるような形で1人の男・・・・が佇んでいた。



「な…………」


 呆然と目を剥いたのはセネムだが、カーミラもジェシカも心境は同じであった。その姿には見覚えがある。まさかシグリッドが言っていた事が本当だとは思わなかった。


「ル、ルーファス、様……。ご無事だと信じていました。やっと……」


 シグリッドが感極まった様子で、背を向けて立つ男――ルーファスにフラフラと歩み寄ろうとする。だがその肩をカーミラが掴んで制止する。シグリッドは視線だけで人を殺せそうな目でカーミラを振り返る。


「何ですか? 離して下さい。邪魔するなら――」


「――待ちなさい、何か様子がおかしいわ。というより明らかに不可解な状況よね?」


「……!」

 シグリッドの抵抗が弱まる。彼女も心のどこかでは同じ疑問を抱きつつも、そこから敢えて目を逸らしていたはずだ。


「うむ。仮にルーファス氏が我々と同じようにこの世界に放り込まれたのだとしても、あんな危険な生物共がうろつくこの洞窟に今まで1人でいて無事なのはおかしいと思わんか? それにこの異常な状況下にも関わらず、慌てたり動揺したりしている様子も全く無い」


「……っ」


 セネムもカーミラに同意して、ルーファスの背中に警戒した目を向ける。シグリッドの抵抗が完全に止まる。そしてゆっくりとルーファスに視線を戻す。


「ル、ルーファス……様?」



「――ああ、とうとうこの時が来てしまったな。残念だよ、シグリッド」



「……っ!!」


 ルーファスが初めて喋った。それはまさに彼自身の声であった。そして彼はゆっくりとこちらに振り向く。その顔もカーミラ達の記憶にある通りの、映画スターのルーファス・マクレーンその人であった。だが……


(……違う!?)


 そこにいるのはルーファスであってルーファスではない。カーミラは本能的にそれを悟った。セネムやジェシカも同様に、明らかに警戒の度合いを引き上げている。だがシグリッドだけは動揺から声を震わせている。


「ル、ルーファス様? 一体何を仰っているのですか?」


「シグリッド、下がりなさい! アレ・・はもうあなたの知っているルーファスじゃないわ」


 夢遊病者のような足取りでルーファスに近付こうとするシグリッドを強引に引き寄せて、代わりに前に進み出て刀を構えるカーミラ。その横にセネムとジェシカも臨戦態勢で並ぶ。


 その様子を見たルーファスが苦笑する。


「おいおい、アレとか酷い言い草だな、ミラーカ? 俺の繊細な心が傷付いたぞ」


「黙りなさい。茶番は沢山よ。お前は一体何者? 正体を現しなさい!」


 カーミラが一切の油断なく刀の切っ先を突き付けると、ルーファスは肩を竦めた。


「ふぅ、やれやれ、余裕のない事で。まあ俺としてもその方が手っ取り早い。特にミラーカ。『蟲毒』であるお前は必ず殺さなきゃならないんでね。それによって『ゲート』は完全な物になり、二つの世界が融合した全く新しい世界が誕生するのさ」


「……! やはりあのアルゴルという男の一味ね?」


 『蟲毒』や『ゲート』という単語を用いるからには間違いないだろう。果たしてルーファスはあっさり肯定した。


「如何にも。お前達が斃したデュラハーンは、一応俺の仲間・・に当たる存在でね。俺も仲間の仇討ち・・・ってヤツをやってみようかね」


「……!!」



 言い終わると同時にルーファスの身体から、爆発的なまでに強大な魔力が噴き上がった。そしてルーファスの身体が……肥大・・した。


 盛り上がり膨張する筋肉の圧力に耐えきれず、着ていた服が弾け飛ぶ。筋肉の膨張は尚も止まらず、骨格から変形を繰り返して見る見るうちに巨大なシルエットを形作っていく。


 数瞬の後、そこには異形の存在が屹立していた。


 基本的には人型のシルエットだ。だがその体長は確実に3メートルを超えており、それに比例するように横幅と筋肉の厚みも凄まじい事になっており、少なく見積もっても体重は400……いや、もしかすると500キロ近くあるかも知れない。


 その筋肉が隆起した肌は暗い赤銅色に変わっており、人外の怪物らしい印象を補強していた。


 そしてその面貌は……額からは太い3本の角が隆起しており、その口からは顎に収まりきらない程に巨大で武骨な牙が突き出ている。目は白濁し、口からはまるで蒸気のような呼気が漏れ出る。


 そこだけは元のルーファスの面影を残した色合いの髪は、乱れた蓬髪となって頭部を覆っている。



「お……おぉ……な、何という圧力だ……」


「グ……ゥ……」


 正体を現した『ルーファス』の姿に、歴戦の戦士であるはずのセネムがやや気圧されたように後ずさりかける。ジェシカも本能的に委縮したように小さな唸り声を上げる。


『ふぅぅぅ……この姿になるのも久しぶりだ。力加減を忘れているかも知れんから、容赦は期待するなよ?』


 武骨な牙が生え並んだ口から呼気を吐き出しながら『ルーファス』が変質した重低音で喋る。カーミラはセネム達と同様に気圧されつつも、この『ルーファス』の姿に心当たりがあった。


 それは彼女がまだ清と呼ばれていた頃の中国や、日本に滞在していた時期に読んだ伝奇などに登場する、とある存在を連想させた。


「……鬼?」


 それは地獄に落ちた罪人たちに責め苦を与え続けるという役目を負った極卒の総称。目の前にいる存在はそれらに非常に類似する外見的特徴を備えていた。



『ほう、流石に500年生きていないな。当たらずとも遠からずだ。俺の本当の名はオーガ・・・。【エリゴールの三戦士】の1人にして、洋の東西を問わず目の前に立つあらゆるものを捻り潰し粉砕する破壊の象徴よ』



 『ルーファス』――オーガが一歩を踏み出す。それだけで地面が揺れたような感覚があり、圧力が倍増する。


 戦いは避けられそうもない。カーミラは刀を構えて魔力を高める。勿論戦闘形態に変身済みだ。セネムとジェシカも既に臨戦態勢を取っていた。だが……


「ル、ルーファス様……何が……。これは、何が、どういう……」


「シグリッド! 目を覚ましなさい! アレはルーファスではないわ! オーガという名の、全く別の怪物よ!」


 未だに目の前の現実を受け入れられずに茫然自失としているシグリッドに、カーミラは鋭く警告する。だが彼女は現実を拒絶するように首を振るばかりだ。


 カーミラは舌打ちした。シグリッドは使い物になりそうにない。つまり実質3人だけでこの化け物と戦わなくてはならないという事だ。

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