File36:異次元の荒野

「ローラ、お前はもうちょっと人の事を思いやれる人間にならないとな」


 ローラの養父・・であるフランク・ギブソンがそう言って彼女を嗜める。


 ローラは既に小学生の頃から美少女の片鱗を見せ始めていて、中学生になってからは増々美しく成長し、持て囃してくる周囲の反応に気を良くして、かなり驕慢な性格となっていた。


 そして中学校ではスクールカーストの上位として君臨・・し、そこからあぶれた底辺・・の同級生たちを、取り巻きを使って苛めたりして楽しんでいた。


 彼女は当時、そんな人間だったのだ。



「何よ、パパ。私の関心を買いたい奴等が勝手にやってる事よ? 別に私が悪いんじゃないわ」


 父から注意されたローラが露骨に顔を顰める。恐らく学校か、相手方の親から何か言われたのだろう。中学生になってからというもの、父はこういう小言が多くなった。小学生の頃は何でも言う事を聞いてくれる優しい親だったのに。


「まさにそういう態度だ。お前ももうじき大人になるんだ。今のままでは碌な人間にならないぞ」


 父から頭ごなしに叱られ、ローラの中に反発心が芽生える。彼女は皮肉気に唇を歪めた。


「碌な人間にならない? パパに言われたくないわ。知ってるのよ、パパが本当はどんな目で私を見ているのか。本当は私が欲しくて・・・・堪らないんでしょう? 血は繋がってない――」


「――ローラッ!」


 パシィィィンッ!!


「……っ!」


 父の平手がローラの頬に炸裂した。彼女は頬を押さえてショックから目を見開いて硬直する。一方フランクの方も反射的に娘を殴ってしまったらしく、やや呆然としていた。



「ローラ、私は――」


「――パパなんて大嫌いっ! 死んじゃえばいいのよ!」


 父が何か言い掛けるのを遮るように叫んで、彼女はそのまま家を飛び出した。そして友達の家に転がり込んで2、3日過ごした。


 殴られた腹いせに少し心配させてやろうと家出したが、そろそろ帰ってあげようかと思って家に行ってみると、家の周りを大勢の警官やパトカーが囲んでいた。


 そして彼女は自分が本当の意味で天涯孤独になってしまった事を知るのだった。「死んじゃえばいい」。そう言って喧嘩して家を飛び出した。そして実際にその通りになり、それが家族との最後の会話となってしまったのだ。仲直りの機会は永遠に失われた。


 ローラは自らを襲った理不尽に怒り、涙し、そして父との最後の会話にあのような言葉を投げかけた事を後悔し、懺悔し続けた。




「ローラ、彼が君の後見人を請け負ってくれたウォーレン神父だ。神父様はこの街にも色々な貢献をして下さっている素晴らしい人なんだ。きっと君の力になってくれる」


 ローラの家族が殺された事件で、最後まで親身になって捜査を継続してくれた刑事……リチャード・マイヤーズ部長刑事が、そう言って伴ってきた1人の男性を紹介する。


 40絡みの落ち着いた雰囲気の男性だった。ローラは初めて会うにも関わらず彼の雰囲気とその柔らかい微笑を見て、ささくれ立っていた心が安らぐような感覚を覚えた。


「やあ、君がローラ・ギブソンだね。私はウォーレン・ラトクリフ。ここの教区を担当させてもらっている。フランクとセシリーの事は残念だった。彼等は良くミサにも来てくれる熱心な教徒だったんだよ」


 ウォーレンが手を差し出す。その顔は本当に悲しみと労りに満ちていた。ローラは茫洋とした目で彼の顔を見つめながらその手を取った。


 以前にマイヤーズが、このままだと君は孤児院に送られる事になってしまうので、それを防ぐ為に後見人となってくれる人を見つけると言っていたのを思い出した。彼は約束を守ってくれたのだ。



「刑事さん……ありがとうございます。し、神父様、わ、私……私……」


「ああ、いいんだよ、ローラ。何も言わないで。親を失って平静でいられる子供はいない。今までよく頑張ったね。もう大丈夫だ。君は……泣いていいんだ」


「……っ。う、うぅ……ああぁぁ……うわあぁぁぁぁぁっ!!」


 今までは両親の死を頭では解っていても、どこか現実離れした架空の話のように感じていた。それは一種の防衛本能の為せる業だったのかも知れない。だが後見人としてウォーレンが目の前に現れた事で、ローラは両親の死を、彼等と二度と会えない事を現実として実感したのであった。


 すると今まで無意識に押さえつけていた箍のような物が外れて、悲しみが一気に溢れ出てローラは慟哭した。涙が止まらなかった。


 ここにはウォーレン以外には、彼女が信用しているマイヤーズ刑事しかいない。彼女は恥も外聞も無くウォーレンに取り縋って泣き続けた。ウォーレンは何も言わずに、ただ優しくローラを抱き留め続けてくれた。


 これがローラとウォーレン神父の出会いであった。




*****




「う…………っ。はっ!?」


 ローラは目を覚ました。何か懐かしい夢を見ていた気がするが、内容は朧気で思い出せなかった。しかしすぐにそんな事は頭から吹き飛んだ。


「え……な、何? ここ、どこ?」


 彼女は赤茶けた荒野のような場所に横たわっていた。全く見知らぬ場所だった。彼女は慌てて上体を起こして周囲を見渡す。


 空は赤黒く発光した分厚い雲に覆われており、まるで夜のような夕方のような、それでいて日中でもあるような、何とも言えない不気味な天候を作り出していた。


 地面は草木の一本も見当たらない不毛の荒野で、周辺には大きな地割れや岩山が点在していた。いや、それだけではない。



(あ、あれは何……。まるでドーム・・・みたいに見えるけど……)



 実は辺りを見渡した時に一番最初に目に付いたのはソレだった。ローラがいるのは恐ろしく広大な荒野のような場所であるらしく、その荒野は地平線の果てまで続いており、全く終わりがないようにも見えた。


 だが……その地平線の彼方に、明らかに人工物・・・と思われる完全な球体をした黒っぽい色のドームのような構造物が確認できた。そう……確認できるのだ。地平線の彼方にあるはずなのに。


(い、一体……どれくらいの大きさなのかしら、アレ)


 少なく見積もっても直径数キロはあるように見える。遠近感がおかしくなりそうだ。だがこの距離からでもそのドームに何となく不穏で不吉な物を感じた。


 あれは良くないモノだ。少なくともこの世界・・・・の住人ではない自分達にとっては。



「……!」


 そこまで考えた時、ローラは今の自分の現状・・に関して意識が回った。


(そうだ、皆は!? ミラーカは……!?)


 覚えているのはハリウッド貯水池の湖上に開いた『ゲート』が急速に拡大して、ローラもミラーカも、仲間達も全員が膨張した『ゲート』に呑み込まれた所までだった。そして気付いたらこの荒野に倒れていたという訳だ。


 あの『ゲート』はモニカによると、人間界と魔界・・とを繋ぐ穴であるとの事。それに呑み込まれたという事は、普通に考えたらここは……『魔界』という事になる。



「…………」


 ローラの喉がゴクッと鳴る。とりあえず普通に呼吸したりは出来るようだが、魔界であると意識すると急に空気が重くなったように感じた。


(皆も……どこかにいるのかしら? 捜すべき? それとも……)


 周囲はだだっ広い荒野と岩山しかない。見渡す限りに他の誰かが倒れている様子はないし、この荒野で人探しをするのはかなり骨が折れそうだ。そもそも本当にここにいるかも解らないのだ。ローラには他人の魔力や霊力を探知できるような力はない。


(だったら……とりあえずアレ・・を目指して進むべきね。他の皆もどこかにいるなら、向こうから見つけてくれるかも知れないし)


 ローラは地平線の向こうにある巨大なドームを見据えながら、とりあえずの方針を定める。ずっとここで途方に暮れていても何の解決にもならない。行動しなければ。



(でも……あそこまでどれくらいの距離があるのかしら? 水も食料も何も持っていないのに……)


 それはより切実な問題だった。今の彼女が持っているのはグロックやデザートイーグルなどの武器とその弾薬だけだ。いや、スーツの内ポケットにコーヒー味のガムが入っていたが、こんな物は食料とは言えない。


 まさかこんな事態になるなど想定すらしていなかったので、当然と言えば当然である。


 そしてあのドームは、どう見ても1時間や2時間で行けそうな距離ではない。いや、下手すると24時間歩いても辿り着けていない可能性すらある。


 そもそもとりあえずの目的地としているだけで、あのドームが何なのかも全く分からないのだ。辿り着けた所で水や食料があるとは限らないし、あってもそれが人間であるローラが摂取できる物なのかどうかすら不明だ。


 更に言うなら、ここが『魔界』であるという事を考えると、あのドームにもし何らかの『住民』かそれに類する存在がいたとして、それが友好的・・・である保証が一切ない。否、その逆の可能性・・・・・の方が遥かに高い。


 それとも『住民』も何もいない、ただのオブジェクトの可能性だってあるのだ。悪い要素を考えればきりがない。それを考え始めると何も出来なくなってしまう。


(何であっても行動しなければ何も始まらないわ。行くしかないんだ)


 ローラは決意してドームに向かって歩き出した。

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