File11:霧の迷宮


「皆、後退するぞ! 殿は私が引き受ける!」


 セネムはデュラハーンから視線を外す事無く、後ろのナターシャ達を促す。幸いというかナターシャもゾーイも腰を抜かして動けないという事態には陥っておらず、青ざめた顔でコクコクと頷いて街のある方向へ逃げ始めた。モニカが彼女らを護るような位置でそれに追随する。そしてセネムは……


(……どういうつもりだ? 何故動かん?)


 デュラハーンがどんな追撃をしてきても対処できるように油断なく睨み据えていたセネムだが、何故か首なし騎士は彼女らが明らかに退却しようとしているのに、全く追撃する事無くその場に佇んでいる。


『どうした? お友達が逃げていくぞ? お前は後を追わなくていいのか?』


「…………」


 こちらを揶揄するようなデュラハーン。セネムはその真意が図れずに眉を顰める。よもやこちらが退却しようと背を向けた瞬間に襲い掛かるつもりか。だが正直この怪物の強さなら、そんな姑息な手段を使う必要すらないはずだ。


 相手の真意が解らず、さりとてこのままここで睨み合っている訳にも行かず、セネムもモニカ達の後を追うように撤収を始めた。勿論最大限の警戒は維持していたが、結局デュラハーンはセネム達が森の中へと逃げて姿が見えなくなるまで、その場を動く事はなかった。





「ふぅぅ……! な、何とか逃げ切れたの、かしら? 正直生きた心地がしなかったわ」


 デュラハーンの姿が見えなくなる所まで逃げてきて、ようやくといった感じでナターシャが一息吐いた。


「で、でも、何で追って来なかったのかしら? あそこから追い払えればいいって事?」


 ゾーイも同じように大きく息を吐き出しながら汗を拭っていた。彼女の疑問にモニカはかぶりを振った。


「解りません。私達はローラさんの職場のボスが強力な魔物だと知ってしまった。そんな私達をすんなり帰すとは思えないのですが……」


「ちょ、ちょっと、怖い事言わないで頂戴」


 ゾーイは恐怖から身体を震わせて文句を言った。


「奴の目的が何かは解らんが、とりあえず我等のやる事は変わらん。まずは急いで街まで降りるぞ。出来ればそのままローラ達のアパートまで直行しよう。ミラーカがいてくれれば良いが」


 追いついてきていたセネムがそう言って皆を促す。それに異論のある者はおらず、全員が頷いて森を抜けてLAの街に出るべく先を急ぐ。しかし……




「……妙だな。この森はこんなに広かったか?」


 それから約30分後。かなりの速さで走っているにも関わらず一向に森を抜ける気配が無く、セネムが違和感を覚える。


「はぁ……はぁ……、く、来る時は10分くらいで湖まで出たわよね……?」


 ナターシャが息を切らしながらも疑問を呈する。ハリウッド公園湖はそれほど大きな自然公園ではなく、貯水池から少し歩けばすぐに住宅街の端に行き着くはずだ。そもそもLAの只中にある公園なのだ。遭難するほどの広さは最初から無い。


 ましてやセネムは戦士としての訓練の一環で、任務中に遭難などに陥らないように方向感覚も鍛えられている。こんな小さな森で迷う事など絶対にないと言い切れる。



「ね、ねぇ……それに何だか、妙に霧が多くない? この時期、この地域でこんなに霧が発生する物なの?」


「……!」

 ゾーイの言葉に、セネムとモニカはハッとして周囲を見渡す。確かにいつの間にか森は霧に覆われていて、そろそろ黎明を迎えようかという時刻でありながら、殆ど先を見通す事が出来なくなっていた。


「ぬぅ……これは、まさか……!?」


「ええ、迂闊でした……。私達は気付かない内に、奴の罠の中へ飛び込んでしまったようです」


「え……わ、罠ですって!?」


 モニカが悔し気な調子で呟くと、ナターシャとゾーイがギョッとして振り向く。そして彼女の言葉を肯定するように……



 ――土を踏み鳴らす蹄の音・・・が一行の耳に響いてきた。急いで駆けるのではなく、ゆったりと余裕をもって歩く音。


 霧に覆われた木々の間から……首なしの馬ヘッドレスホースに跨ったデュラハーンが姿を現した。霧に覆われた黎明の森の中から姿を現す首なしの騎士。それは自分が恐怖小説や都市伝説の世界に迷い込んでしまったような本能的な恐怖を呼び起こした。



「……っ!! 皆、逃げるぞ!」


 恐怖で硬直しかけていたゾーイとナターシャがセネムの一喝に正気を取り戻して、慌ててデュラハーンと反対方向に逃げ始める。セネムとモニカもデュラハーンを警戒しつつその後に続く。



「ふぅ……ふぅ……はぁ……はぁ……!」


 霧の森の中に女達の荒い息遣いと乱れた足音が響く。既に30分以上森の中を走り回っている。最初の30分と合わせれば1時間以上という事になる。セネムはまだ何とか体力を残しているが、他の3人は慣れない悪路を走り続けていた事もあって、体力が限界に来ているようだ。


 また単に走り回っているだけでなく、自分達が疲れて休むと、それを見計らったようにデュラハーンが姿を現すのだ。


 結果として4人はデュラハーンに追い立てられるように、霧の森の中を延々と走り続ける羽目になっていた。当然どれだけ走っても森から抜けられる事はなかった。


 ナターシャが携帯で助けを呼ぼうとしたが、電波の類いも完全に遮断されているらしく、どこにも繋がらなかった。またこの霧の中ではモニカの力も制限を受けているようで、彼女は思うように力を使えなくなっていた。


 セネム以外の3人がその場に崩れるようにして止まってしまう。激しく息を乱している。体力が限界に近付いているのだ。だが彼女らが立ち止まると容赦なく……



「あ……あぁ……も、もう、嫌ぁ……」


 ナターシャが絶望の呻きを上げる。彼女が半泣きの視線を向ける先から、霧を割るようにして首なし騎士が出現したのだ。もう何度目になるのか数えていなかった。


「く……お、おのれ……」


 セネムが歯軋りする。このまま嬲られるくらいならいっその事、玉砕覚悟で戦いを挑もうかと思ったが、ナターシャ達がいるのでそれも出来ない。ここでセネムがやられれば確実に他の3人の命もないからだ。


「皆、立て! 立つんだ! 何としてもこの森から脱出するんだ!」


 結局既に限界を迎えている3人を叱咤して、再び絶望の逃避行を再開する他なかった。



(くそ……まさかこんな事になろうとは……! 済まない、ローラ、ミラーカ。不甲斐ない我等を許してくれ……! 偉大なるアッラーフよ! 願わくば、どうかこの3人だけでも救い給え……!)


 よろよろと今にも倒れそうな3人を追い立てるようにして走りながら、セネムはひたすら心の中でローラ達に謝罪し、自らの信ずる神に祈り続けた。もう、それしか出来る事が無かった……

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