The beginning ~悪徳の発端(後編)
デンバー市内にある韓国焼肉店。ニックは現在この店の4人席に1人で陣取って、卓に据え付けられた鉄板で焼かれる肉と野菜から上がる煙を見るとはなしに眺めていた。
彼はここに1人で寂しく焼き肉を食べに来た訳ではなく、とある人物との待ち合わせの為に来ていた。といってもその相手は最近
「ニコラス、早いな。もう来ていたのか」
と、そこにその待ち人がやってきた。それはマリアンとは似ても似つかない、大柄で筋肉質な男性であった。極端な鷲鼻と、やはり猛禽類を連想させるような鋭い目付きが特徴的だ。
「ああ、
ニックはその男性――イゴールに向かって親しげに微笑みかける。イゴールは対照的にニコリともせずに黙ってニックの対面の席に着く。彼の性格を知っているニックは特に気を悪くする事もなく苦笑する。
「それで……本当なのかい、兄さん?
「ああ、ルーマニアのチェルクという小村の地下に隠されているらしい。どの家の地下かまでは解らんが。2人の寵姫の聖灰も一緒に封印されているようだ」
イゴールが頷くとニックは目を細めた。
「2人の寵姫、ね。【ゴーゴンの三姉妹】のうちの2人……『金』と『赤』か」
「そうだ。そして
「それに関しては問題ないさ。『黒』は現在ロサンゼルスに住んでいる。特定の住所はなく、街中のホテルなどを転々としているようだけどね。まあ元々用心深い性格なんだろうね」
「LAか……。まあホームタウンが解っただけでも上出来だ。では一週間後にはルーマニアに飛ぶぞ。
「それはいいんだけど……。その……
ニックの懸念はある意味では当然だ。彼はその
「お前の疑念は理解できる。が、その点に関しては問題ない。奴は信用できる。少なくともこの件に関してはな。そもそもこんな事で我々に偽の情報を掴ませて、奴に何の得がある?」
「まあ、それはそうだけどね……」
確かにそう言われればそうだ。金なども一切要求されていないらしい。だが只より高いものはない。ニックはどうにもそのアルゴルという人物の掌で踊らされているような落ち着かなさを感じた。
「やつを信用せずとも良い。私を信用しろ。この情報に間違いはないと私には確信がある。とにかく決行はもう決まっている。一週間後だ。準備しておけ」
「解ったよ、兄さん」
イゴールは
*****
「え? 実家に帰省? 来週に?」
FBIのデンバー支局でマリアンは、ニックからの話に目を丸くする。ニックが頷いた。
「ああ、急な話で悪いね。僕のルーツが東欧にあるのは知ってるよね? まあだから実家というより親戚なんだけど、ちょっと一族の集まりがあってルーマニアまで行ってこなきゃならないんだ。
「そ、そうなんですね。解りました。でも……なるべく早く帰ってきて下さいね?」
「勿論だよ。ありがとう、マリアン」
ニックは微笑んで、彼女の額にキスをする。マリアンは顔を赤らめて彼にハグを返した。
そして数日後、彼女に見送られてニックはルーマニアへと飛び立っていった。
*****
そしてルーマニアのトランシルヴァニア地方にあるチェルクという小村。兄や他の
それは文字通りの虐殺であったが、ニックの表情は露ほども動かなかった。そして村人を殲滅すると、構成員達は聖灰を探す為に村中を物色していく。その間にニックはイゴールと共に
やがて構成員達が聖灰を見つけて戻ってきた。全部で3つある。確かにそのアルゴルとやらの情報通りであった。ニックはまたあの何とも言えない落ち着かなさを感じた。
イゴールは事前に入手していた『封印の書』を火に焚べて、『復活の儀式』を行う。村人達を生贄に見立ててその血を灰に振りかけ、『封印の書』を燃やした炎を燃え移らせる。すると、やがてその炎から
「……!」
それを見たニックやイゴール達は反射的にその場にひざまずいて伏する。まず炎から現れたのは圧倒的なプレッシャーを発する人の形をした怪物であった。
(こ……これが、ワラキア公王ヴラド3世……!)
当然直に姿を見るのは初めてであったが、ニックには一目で理解できた。というより解るしかなかった。続いて現れた金髪と赤毛の寵姫2人と比しても、その凄みというかカリスマ性とでもいうか、とにかくそういう物がまるで違っていた。
単に吸血鬼の真祖というだけではない、それは生まれついての王者の風格という物を漂わせていた。
「お帰りなさいませ、我が主よ」
イゴールが一同を代表して語りかける。中央にいるヴラドがチラッとイゴール達に視線を向ける。ニックはそれだけで何か名状しがたい感覚が身体を突き抜けるのを感じた。
「……お前は?」
ヴラドが口を開く。イゴールが増々平伏する。
「かつて主の使用人であったイゴールの子孫……同じくイゴールと申します」
イゴールとニックは500年前にヴラドに仕えていた使用人の子孫であり、先祖代々ヴラドの封印を解いて復活させる事を至上の命題としてきた。彼等の代でようやくそれが叶ったのだ。特に代々同じ名を受け継ぐ長子のイゴールの感慨は相当な物だろう。
イゴールが現状を説明した後、話は予想通り
既に洗脳済みであった構成員達の命を
そしてそれこそがニックの目的であった。
*****
最近になってデンバーを中心に新たな連続殺人が発生していた。被害者は老若男女区別無しで、共通点は全員が体中の血を一滴残らず吸い尽くされていた事。
最初は東海岸のボストンから始まったと言われており、ニューヨークやシカゴなどの大都市を経由して現在はこのデンバーで被害が多発していた。
『犯人』は大都市に沿って西進を続けていると見られており、複数の州を跨いでの犯行である事からFBIに捜査権が回ってきていた。
ニックも戻ってきて彼と一緒に久々の大物捕りに逸るマリアンであったが、肝心のニックがどうにも消極的なのが気になっていた。
「ニック、どういう意味ですか? この事件を捜査するなって……」
市内のホテルの一室。ベッドの上で身体を重ねながら、マリアンが訝しげに問いかける。
「そのままの意味さ。犯人は西進を続けていて、このデンバーがただの通り道なのは明らかだ。しばらく放っておけば勝手にいなくなるさ。後は他の街の連中に任せればいい」
「本気で言ってるんですか、ニック? 既に街の人が何人も殺されているんですよ!? こういう凶悪犯を捕まえるのが私達FBIの存在意義じゃないですか!」
マリアンとしては尊敬する先輩でもあるニックがこんな事を言い出すのが信じられなかった。だがニックはかぶりを振る。
「今回の犯人は警察の手に負える相手じゃない。僕達に出来るのはとにかく黙って嵐が過ぎ去るのを待つ事だけさ。嵐が過ぎ去ればまたいつも通りの日々が戻ってくる。ねえ、マリアン。君はちょっと働きすぎだ。今は休暇と思って少し休むんだ。それが君の為だよ」
「ニ、ニック、あなたは……」
マリアンはそこで初めて、彼に対して小さな疑いを抱いた。そして……それが彼女の運命を決定づける事となった。
*****
デンバーの隣街であるレイクウッドの更に郊外にある寂れた自動車解体工場。夜になってニックは車を走らせると、この工場の敷地の中に入っていった。そして車から降りると建物の中へと入っていく。
中は古い蛍光灯が点灯しているだけの薄暗いガレージとなっており、ニックの他には誰も居なかった。ニックはそこで1人しばらく黙って佇んでいたが、やがて大きく嘆息してかぶりを振った。
「……マリアン、居るのは解っている。出てきたらどうだい?」
「……!」
ニックに声を掛けられて観念したのか、マリアンが姿を現してガレージに入ってきた。彼女はニックの行動に不審を抱いて彼を尾行していたのだ。そしてニックはそれに気付いていた。
「ニック、あなたは何を隠しているんですか? この事件の犯人を知っているんですか?」
開き直ったマリアンは堂々と疑問をぶつける。ニックの顔から表情が消える。
「……君がもっと職務に適当な性格であれば良かったと思うよ。ここでもしばらく待っていたが結局君は思い直して立ち去らなかった。これが最後のチャンスだったのに……」
「……! 動かないで下さい!」
本能的に危険を察知したマリアンは、素早く銃を抜き放ってニックに向けて構える。
「あ、あなたに事件の重要参考人として任意同行を求めます。従わない場合、逮捕も――」
「――ほほ、いつまで遊んでおるのじゃ、ニコラス。煩わしい小虫など早う始末せんか」
「……っ!?」
突如真後ろから聞こえてきた女の声に、マリアンは驚愕して振り向いた。そこには時代掛かった衣装を身に纏った淡い金髪の美女が佇んでいた。つい今の今まで後ろには確かに誰も居なかったはずだ。
「シルヴィア様……何もわざわざお出でにならずとも」
ニックが彼にしては
「……! ニ、ニック、この女は誰ですか!? あなたと何の関係が……」
「マリアン、彼女が君が捕まえたがっていたこの事件の犯人だよ。まあ、正確には犯人の1人、だけどね」
「っ!? う、動くな!」
マリアンは驚愕しつつも慌ててシルヴィアに銃を向ける。だがシルヴィアは銃口など目に入っていないかのように薄笑いを浮かべながら近づいてくる。
その姿に何か説明しようもない恐怖を感じたマリアンは、一瞬の躊躇いの後、銃の引き金を引いた。
乾いた銃声が響き渡り、シルヴィアの身体が着弾によろめく。だが……
「ほほ……初めて受けてみたが、これがこの時代の
「……え?」
何事も無かったように体勢を立て直す彼女の姿に、マリアンは唖然として目を瞬かせる。
「だが我ら……
「……っ!!」
シルヴィアが嘲笑しながら歯を剥き出した。否、それは歯というには余りにも長く鋭すぎる……
マリアンはここに至ってようやく、何か尋常ならざる事態が起きている事を悟った。
「く……あぁぁぁぁっ!!」
叫びながら銃の引き金を連続して絞る。全ての銃弾がシルヴィアに命中し、中には額を撃ち抜いた銃弾もあった。しかし……
「ほほほほっ! 無駄じゃ、無駄じゃ! 人間めが!」
何とシルヴィアは、額に風穴が空いた状態で平然と高笑いを上げていた!
そして次の瞬間、まるで消えたと錯覚するほどの速度で動いた。マリアンが反応する間さえ無かった。
――ドシュッ!!
「あ…………」
マリアンは……自分の
「ニ、ニック……」
この一幕を黙って眺めていた
「……こんな事になって残念だよ、マリアン」
「…………」
その言葉を受けて彼女は最後に何を思ったのか。それを知る事はもう永遠に叶わなかった。
「ふん……男であれば血を吸い尽くしてやった所じゃが、女の血は不味くて好かぬ」
シルヴィアがマリアンの死体から腕を引き抜く。そしてニックの方に振り返った。
「ほほ、しかしこれでお前に付く
シルヴィアは佇んだままのニックに近づくと、彼の背中や肩に手を回し脚を絡め、顔に舌を這わせてくる。
「ふふ、ほんに良い男じゃ。お前の兄もアンジェリーナと宜しくやっておるようじゃが……全く、あやつの男の趣味は私には理解できぬわ」
蕩けたような淫靡な表情を浮かべて、ニックの首筋や顔に舌を這わせるシルヴィア。絶世の美女に密着され淫らな抱擁を受けるニックの顔はしかし完全な無表情のままで、その視線はシルヴィアではなく床に倒れて冷たくなっていくマリアンの死体にのみ向けられていた……
*****
それから数カ月後。ニックはロサンゼルスに裏切り者の粛清に向かったヴラドの一味が返り討ちに遭って全滅したという驚愕の事実を知る事になる。ヴラド達に付き添っていた兄イゴールもまた帰らぬ人となった。
彼がマリアンを含めた様々な物を犠牲にしてでも得ようとした不老不死の存在への
その事に対する昏い怒りと……どうしても諦めきれない進化への夢を模索する為に、ニックは支局へ転属願いを出してLAへと渡った。
そして更にその数年後……自らの夢を異なる形で叶えた彼は、イゴールやマリアンに対するせめてもの
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