Side storys:Ⅷ

The beginning ~悪徳の発端(前編)

 ホワイトリバー国立森林公園。コロラド州内のやや西寄りに位置する広大な自然公園だ。コロラド州の州都にして最大の都市であるデンバーから比較的近い位置にある事でも有名だ。


 そんな広大な森林の比較的奥まった場所に、3人の人間が歩いていた。歩いているといっても明らかに一般のトレッカーではない。


 何かを警戒するような慎重な歩き方、油断なく周囲に視線を走らせる挙動にもそれが現れている。



「ふぅ……しかし随分奥まで来たものだね。これが無駄足でない事を心から祈るよ」


 3人の内の1人……FBIデンバー支局・・・・・・の捜査官、ニコラス・ジュリアーニが些かうんざりしたような口調で呟く。


「もう、ニックったら、またそんな事言って……。ちゃんと調べて裏付けも取ったんですから間違いありません!」


 ニックの不真面目な態度に口を尖らせるのは、同じくデンバー支局の捜査官にしてニックの相棒であるマリアンヌ・レスコーだ。相棒と言っても年齢は若くキャリアもまだまだ浅い新人捜査官であった。しかしそれだけに熱意と正義感は人一倍だ。


「こうしてパークレンジャーのマッカラムさんの協力も得られたんですし、絶対に見つけられますよ!」


 マリアンはそう言って先頭を歩く人物を示す。レンジャーのレニー・マッカラムは彼等のやり取りには構わず、緊張した面持ちで先導を続けている。



 最近コロラド州内の複数の街で凶悪な殺人事件が発生していた。被害者は主にキャンパーやトレッカーで、夜テントや山小屋で寝ている所を襲われ惨殺。被害者は全員舌を切り取られて持ち去られている事から、同一犯の仕業と断定。いくつもの市や郡を挟んで事件が発生している事から、FBIにお鉢が回ってきた。


 事件の担当となったニックとマリアンは、調査を進める内に事件がこのホワイトリバー国立公園を中心に起きている事を突き止めた。そしてパークレンジャーのレニーから、今は使われていない森の奥の古いコテージに最近使用された痕跡があったという情報を得た。


 そして現在協力を申し出てくれたレニーの案内の元、そのコテージの廃墟に向かっている所だったのだ。



「でも一体どんな犯人なんでしょうね? 若者ばかり狙ってその舌を切り取って持ち去るなんて尋常じゃありませんよ」


 緊張を紛らわす為か、マリアンが話しかけてくる。ニックは肩を竦めた。


「尋常な連続殺人鬼がいるなら見てみたいけどね。プロファイラーによると子供の時に言葉によるいじめや虐待を受けて、それで相手の舌を切り取るという行為に繋がったとの事だけど、何とも型通りの分析だねぇ」


「じゃあニックはどんな犯人像だと思うんですか?」


「そうだねぇ……。恐らくだけど犯人は――」



「――! 着いたぞ。あれが例のコテージだ」


 ニックとマリアンが暢気に会話していると、レニーの緊張をはらんだ声がそれを遮った。全員で急いでその場に身を潜める。


 草むらに身を隠しながらレニーが指し示す方向を見やると、確かに荒れ果てているがやや広い敷地に、半分朽ち果てて周囲の木々に浸食された小屋が一軒建っているのが目に入った。


「あれか……如何にもスプラッター映画に出てくる殺人鬼の棲み処って感じだね」


「あそこに……使用された痕跡が?」


 ニックの軽口に構わずマリアンが確認すると、レニーが頷いた。


「ああ。ここ数か月の間のようだな」


 とりあえず隠れながら様子を窺う事にする。肝心の犯人がいなければ意味がない。今はいなくても戻ってくるかも知れない。そして犯人の姿を確認した時点で突入だ。


 場合によっては長丁場の『張り込み』も覚悟したが、幸い?にもそう待つ事無く事態は動いた。



「ニ、ニック、あれ……」

「ああ、どうやら当たりだね」


 彼等の視線の先……廃屋から1人の男が出てきたのだ。マリアンがその姿を見て息を呑んだ。


 それはかなり異様な風体の男であった。体格はかなり大きく、7フィート近く(2メートル以上)はありそうだ。ボロボロで垢じみた服を纏い、身体には縄なのか鎖なのかよく分からない太い紐状の物体を幾重にも巻き付けている。


 しかし何よりも異様なのはその頭部・・であり、体格に比しても明らかに肥大しており、しかも目鼻口などのパーツが歪んでいて一目で奇形と解る醜い面貌であったのだ。


 極めつけにその男は、何かの血でべっとりと汚れた巨大な鉈のような刃物を手に持っていた。



「ま、まるで化け物ね……」


 マリアンが呟くと、何故かレニーがピクッと反応したが何も言わなかった。


「さて、色んな意味で恐らくアレが犯人・・で間違いないだろうけど、どうしようか? 何だか剣呑そうな様子だし、一旦戻って応援を呼んでくるべきかな」


「……! ニック、本気で言ってるんですか!? 目の前に犯人がいるんですよ!? 応援を呼んできても、その時にまだアイツがここにいるとは限りません。いえ、もしかしたらその間にも誰かが犠牲になる可能性だってあるんです。私達は法の執行者ですよ? 今すぐに突入して奴を確保すべきです!」


 正義感に燃えるマリアンの言葉に、しかしニックは消極的だ。


「いやでも、アレが大人しく逮捕されるようなタマに見える? 絶対暴れて抵抗してくるよ」


「犯人の抵抗が怖くて警察官が務まりますか!? 逮捕が難しいと判断したら、その時は射殺するまでです。いずれにせよこの州を恐怖に陥れている凶悪殺人に終止符を打てます」


 ニックが何を言っても彼女に退く気はないようだ。最悪1人で突入すると言い出しかねない。ニックは溜息を吐いた。


「はぁ……解ったよ、マリアン。ただし一度突入したらもう後には引けない。やるなら徹底的に、だ。いいね?」


「……! はい、勿論です! ありがとうございます、ニック!」


 マリアンが喜び勇む。当然レニーはここで待機していてもらう事になり、2人の捜査官は銃を構えて目線で頷き合うと、一気に小屋に向かって駆け出した。


 当然大男はすぐに気付いた。パーツの歪んだ顔をこちらに向けると、鉈を掲げて威嚇するようなポーズを取る。乱杭歯の並んだ口から唸り声が漏れる。どうやらまともに言葉を喋れないらしい。



「う、動くな! FBIよ! 複数の殺人の容疑であなたを逮捕します! その鉈を置いて地面に伏せなさい!」


 マリアンが銃を突きつけて、精一杯気丈に警告する。勿論ニックも大男に銃口を向けている。


「ウゥ……オォォ……!」


 だが大男は向けられている銃を認識しているのかどうか、マリアンの方を見て大きく目を見開いたかと思うと、興奮したように身体を揺すって唸り声が大きくなる。


「な、何……?」

 マリアンが慄いたように一歩後ずさる。ニックは舌打ちした。どうやら彼の相棒はこの知恵遅れの大男の『獲物』に認定されてしまったらしい。


「ウガアァァァァッ!!!」


 大男が雄叫びを上げながら、鉈を振り上げてマリアン目掛けて突進した。その異常な迫力にマリアンは身体が硬直して動けなくなってしまう。このままでは彼女は殺される。


 だがそこにニックの銃が火を噴いた。至って冷徹に大男の急所に弾丸を命中させる。大男が呻いて動きが鈍った所に、その胴体を更なる追撃の弾丸が何発も撃ち抜いた。


 大男がその場に崩れ落ちる。マリアンは我に返ったようにニックを見やった。


「ニ、ニック……」


「ああ、マリアン。正義感と熱意があるのは結構だが、それには相応の覚悟が伴っていないとね」


「……っ」

 マリアンが恥じ入ったような表情で俯く。ニックは彼女に苦笑を向けて慰めの言葉を言おうとするが、その時射殺されたはずの大男が呻き声を上げて身じろぎするのを見て、目を見開いた。


「驚いたな。まだ死んでいないようだ。大した生命力だね。止めといきたい所だけど……残念ながらそう簡単には行かないようだね」


「え……?」


 ニックの嘆息にマリアンは訝し気な顔になる。しかしその答えはすぐに提示された。



「……動くな。銃を捨てろ」



「マ、マッカラムさん……?」


 待機していたはずのパークレンジャーのレニーがこちらに銃を向けていた。マリアンは混乱した。


「な、何で……」


「うるさい! さっさと銃を捨てろ! お前もだ! この女を殺すぞ!」


 レニーが怒鳴る。かなり興奮しているようでいつ暴発してもおかしくない。ニックは肩を竦めた。


「ふぅ……仕方ない。マリアン、ここは言われた通りにしよう。今、彼を刺激するのは悪手だ」


 ニックは躊躇う事無く銃を手放した。マリアンは混乱しながらも、自らに向けられた銃口を意識してやはり銃を放り捨てた。



「お前らに……警察なぞには殺させん」



「な……お、弟!?」


 驚愕するマリアンにレニーは昏い笑いを浮かべる。


「そうだ。カイル・・・は病気なんだ。なのにあの女・・・は……自分で産んだカイルをいつも、醜い、生まれてこなきゃよかったと口汚く罵って虐待して……。だから俺が・・あの女の舌を切り取ってやったのさ」


「……!!」

 マリアンが息を呑む。だがニックは取り乱した様子も無く落ち着いていた。


「なるほど。いくら寝込みを襲ったとはいえ、複数の若者グループがほとんど抵抗や逃走の痕跡も無く皆殺しにされていたのは奇妙だと思っていたんだが、これで謎が解けたよ。最初から君達兄弟・・の犯行だったんだね」


 銃を手放して絶体絶命のはずの状況でも余裕を崩していないニックの態度に、レニーが眉を上げる。


「随分余裕だな? 言っておくがお前達をここから生かして帰す気は無いぞ。ここがFBIに突き止められた以上、お前らを殺してその間に弟を連れて、別の拠点・・に移らないとならないんでな」


 レニーがニックに銃口を向ける。そして彼の弟の大男……カイルが、銃で撃たれたにも関わらず唸り声を上げて、再び鉈を手に立ち上がった。驚異的な生命力だ。


「ウゴォォ……」


 カイルはまだマリアンを狙っているらしく、鉈を掲げながら彼女に近付いていく。マリアンが青ざめる。


「ニ、ニック……」


「……マリアン。僕が合図したら、とにかく何も考えずに僕に向かって跳ぶんだ」


「……え?」

 彼女が目を見開く。対照的にレニーが警戒するように目を細める。



「何をする気か知らんが無駄だ! 死ねっ!」


「――今だっ!!」

「っ!!」


 マリアンは条件反射的にニックへ向かって跳んだ。そこからは全てが一瞬だった。レニーの物とは別の銃声が轟き、レニーが頭を撃ち抜かれてその場に倒れる。


 ニックは跳んできたマリアンを受け止めつつ、彼女が跳んだ事で鉈の一撃を空振りしたカイルに向けて、懐から予備の銃を抜き放ってその額を正確に撃ち抜いた。驚嘆すべき早業であった。


 脳を撃ち抜かれたカイルがその場に再び倒れ伏した。今度は流石に死んだようだ。




「……ふぅぅぅ。上手く行ったね。マリアン、もういいよ。全部終わった」


「ニ、ニック……? な、何が起きたの……? レニーは誰が……」


 マリアンはニックの腕から離れると、唖然としたようにマッカラム兄弟の死体を見下ろす。


「ああ、実は君には内緒だったんだけど、ここにいるのは僕達だけじゃないんだ」


 ニックが手を挙げると少し離れた場所にある大きな木の影から、スナイパーライフルを構えた男が1人姿を現した。


「彼はうちの支局の中で一番腕利きの狙撃手さ。レニーに気付かれない距離から僕等の後を尾けてもらっていたんだ」


「……!」

 そんな事をする理由は一つしかない。彼は最初からレニーを疑っていたのだ。マリアンだけがそれを知らなかった。


「君に内緒にしていたのは悪かったよ。でも君に教えたら多分挙動が不自然になってレニーに怪しまれていただろうからね」


「う……」

 反論できずに俯くマリアン。彼女は新人という事もあるが、腹芸のような物に向いていないという自覚があった。


「マリアン。君も捜査官の端くれなら、目に見える物だけが真実じゃないと覚えておくんだ。あらゆる事象を疑ってかかり、どんな事態にも対応できるように備えておく。それが出来るようになった時、君は一人前の捜査官になれるはずだ」


「……!」

 マリアンがハッと目を見開いて、それから表情を引き締めた。ニックは彼女に捜査官としての心構えを実地・・で教えてくれているのだ。


「ニック……今回はありがとうございました。お恥ずかしい所を見せてしまいましたが、私……今回の事も教訓にして、必ずニックに認められるような捜査官になってみせます!」


「うん……期待してるよ、マリアン」


 素直なマリアンの反応に彼は薄く微笑んだ。





 こうしてコロラド州内を騒がせていた連続殺人事件は、ニックの機転によって幕を閉じた。先輩捜査官ながらその消極的で不真面目な態度を苦々しく思っていたマリアンは、この一件でニックを見る目が変わり、積極的に彼に教えを乞うようになった。


 彼と心の距離が近づいた気がしたマリアンは個人的にもニックと親しくなっていき、男女の関係を持つまでになっていた。


 仕事上でも尊敬する優秀で切れ者の先輩捜査官と恋人同士になれて浮かれるマリアン。仕事にも張り合いが出て、ニックと共にそれからいくつもの事件を解決した。



 こんな日々がずっと続くと……本気でそう思っていた。だが……

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