Last case:『ゲヘナ』

Prologue:集大成

 ロサンゼルス北部にあるハリウッド公園湖。その只中にあるハリウッド貯水池。この小さな湖の付近で最近夜になってから奇妙な光が明滅したり、怪しい人影が出入りしているという情報が寄せられていた。


 何度かの苦情や通報の電話が寄せられ、ロサンゼルス市警はとりあえず最寄りの分署からパトロールを派遣して警戒と監視に当たらせる事になった。一定期間巡回して何もなければ終了という訳だ。


 そして今夜も巡回の警官達が公園内を見回っていた。といっても不確かな通報の為に人員を割く余裕はなく、基本的に巡回は警官の二人一組のみであった。




「今夜で一週間になるな。怪しい光だの人影だの……結局一度も見ないし、やはり悪戯目的の通報か。このご時世に勘弁してくれよな」


 広い公園内を巡回している二人組の1人、ジョナス・マグワイヤ巡査が相棒に愚痴をこぼす。ジョナスに水を向けられた相棒のグレタ・リチャードソン巡査は苦笑して肩を竦める。


「まあ、それが私達の仕事だし仕方ないわよ。でもそれも今夜で終わりだし、少なくとも私達がパトロールしてる間は平和だったって事で満足して家に帰りましょう」


「へ、新婚ほやほやの所はいいよな。愛しの旦那さんが家で待っててくれるもんな。こっちは独り寂しくPPVのスポーツ観戦がお供だってのによ」


 ジョナスが少し皮肉気に口の端を歪める。グレタは意外そうな表情を相棒に向けた。


「あら? 例のロースクールに通ってるっていう恋人はどうしたのよ? この前2人でカナダに旅行に行ってきたって言ってたじゃない?」


「いつの話してんだよ。もうとっくに終わってるぜ。お偉い弁護士先生の卵には俺みたいなしがない警官はお呼びじゃなかったって事さ。今頃は研修先の弁護士事務所のインテリ野郎と宜しくやってるだろうさ」


「まあ……そうだったの。知らなかったわ。ごめんなさい」


 グレタが同情的な調子になる。職務上とはいえ相棒だというのに、そんな大事な事に気付かなかった自分を反省した。


「へ、いいさ。でも同情してくれるんなら、これが終わった後に帰りに一杯付き合えよ。寂しい相棒を慰めると思ってさ」


「ええ? ジョナス、本気? 私、結婚したばかりなんだけど……」


 グレタは少し困った様子になるが、ジョナスは意外に食い下がってきた。


「解ってるって! そんなんじゃねぇよ。勿論只の職場の同僚、友人としてさ。それならいいだろ?」


「うーん、そうね……。OK、ジョナス。恋人に振られて落ち込んでる同僚を慰めるのも友人・・の務めね」


「そうこなくちゃ! これでこの後が楽しみになってきたぜ」


 指を鳴らして喜ぶジョナスの姿にグレタも悪い気はせず、苦笑するに留めた。


「はいはい、それじゃ楽しい夜の為にも、とにかくこの仕事をきちんと終えちゃいましょう」


 俄然やる気になってきた現金なジョナスを促して、2人は巡回を再開する。といってもこの一週間何も無かったのだ。今日も何事も無くこのまま終わるに決まっている。ジョナスだけでなくグレタもそう信じて疑っていなかった。だが……



「……!!」

「お、おい、あれ……」


 ジョナスが呆然とした声を上げるが、グレタも既に気付いていた。森の木々の間を縫うようにして、ぼんやりと赤く・・光る光球が浮遊しながら動いていた。光球の直径は大体2フィート(約60センチ)程度。それがスゥ――……と、まるで人が歩くくらいのスピードで木々を避けながら動いているのだ。


 2人は顔を見合わせると頷き合ってベルトから銃を抜いた。そして慎重な足取りで赤い光球の後を尾行していく。すると……


「お……」


 ジョナスがまた声を漏らした。光球は一つではなかった。いつの間にか他に同じような光球が何個も出現していた。それらの光球も最初に発見したものと同様にゆっくりとした速度で、全く無音のまま動いていた。


「こりゃあ、一体……何だ?」


 ジョナスが呟くが勿論グレタにも見当が付かない。だがそれらの光球群を眺めていて、彼女は一つの事実に気付いた。


「解らない。けど……こいつら皆同じ方向に向かって進んでいるみたいね」


 進んでいるというより、どこかに向けて集まっている・・・・・・という感じだ。集まった先には何があるのだろうか。



「お、おい、どうするよ? 何かヤバそうな気もするが……。応援呼んだ方が良くないか?」


「いえ、これだけじゃ何とも言えないわ。とりあえずこのままあの光の後を付いて行ってみましょう。その先に何があるのか……状況を判断するのはそれからでも遅くないわ」


 直接的な危険があるかも分からない怪奇現象だけで応援を要請するのは色々な意味で問題がある。グレタの判断は一般的・・・に考えれば妥当と言えただろう。そう思ったジョナスも特に反対する事無く頷いた。


 どこかに向かって集まっていく光球群の後を尾行する2人。やがて森が開け、ハリウッド貯水池がある場所へ到達した。そしてそこで……



「あ、あれは……」

「光が……集まって?」


 その小さな湖の湖面の上空にそれらの光球が集まって、より大きな光球を形成していたのだ。大きくなってもぼんやりとしたどこか非現実的な淡い赤光を相変わらずで、それは得も言われぬ幻想的な光景を形作っていた。



 2人はしばし周囲の状況も忘れて、その非現実的な光景を呆然と眺めていたが、


「……! ジョナス、あそこ……誰かいる」


「何……ん? あれは……」


 グレタがふと気づいて相棒の注意を促した。貯水池の湖岸に佇んでこの怪現象を見上げている人間がいる事に気付いたのだ。数は全部で4人。


 それもこの巨大な光球に驚いたり唖然として見上げているという様子ではなく、その光景を当たり前としているかのように自然体であった。明らかに不審だ。


 しかし遠目にその4人の顔を確認したグレタ達は驚きに目を見開いた。その4人のうち2人・・は、グレタ達が良く知っている人物と非常に似た顔をしていたのだ。


「お、おい、あれって……ルーファス・マクレーンじゃないか?」


「ええ……。それに、あれは……ドレイク本部長!?」


 恐らく大多数のアメリカ人が最低でも顔と名前だけは知っているだろうハリウッドスターのルーファス・マクレーン。


 そしてグレタ達が所属するLAPDのトップであるジェームズ・ドレイク本部長。グレタも何回か顔を見た事はあり、見間違えるという事はあり得ない。


「どういう事? 何であの2人がこんな所に……」


 他にも2人の人間が居たが、グレーのスーツにフェルト帽姿の男性と黒い祭服を纏った神父か牧師のような男性は、どちらも彼女達が知らない顔であった。


 目の前の怪現象もさる事ながら、ルーファスとドレイクの接点が解らず困惑するグレタ。しかも彼等はこの怪現象に驚いている様子が無い。


 グレタ達はとりあえず近くの木陰に身を潜めて成り行きを見守る事とした。






「いよいよです。もう間もなく『ゲート』が開きますよ。見なさい。少し中心・・を設定してやるだけで、この街中から面白いように霊達が集まってきます。くくく……魔物の被害で殺され、魔力に汚染された人間達の霊魂がね!」


 ハリウッド貯水池。ルーファス達の『主』であるアルゴルが両手を広げて仰ぎ見る上空では、彼の魔力によって可視化した無数の霊魂が湖面の上で寄り集まって、一塊の巨大な魔力の渦を形成していた。


 ルーファスでさえ肌が粟立つ程の恐ろしく濃密な魔力が渦を巻いている。恐らく空間・・にすら影響する程の膨大な魔力だ。


 渦を形成しているのは無数の人間達の霊魂。ただし只の人間ではない。これは全て数年前の……『サッカー』から始まる、この街で起きた幾多の人外の魔物達やその眷属達による殺人の被害者達の霊魂だ。勿論数か月前に起きた【悪徳郷カコトピア】なる魔物達による被害者達も含まれている。


 魔物やその眷属によって殺された人間の魂は魔力によって穢れる・・・。そしてその穢れた魂はアルゴルの目的を果たす為の大事な燃料・・となるのだ。今目の前で起きているこの光景の為の燃料という訳だ。


 彼等が『特異点』を使って今までの事件を間接的に引き起きしていたのは、勿論『蟲毒』を完成させる為というのが主目的だが、副次的な目的としてこの穢れた魂の集積もあった。そして今、その目的はどちらも・・・・達成されつつある。



 その時、渦の中心に変化があった。中心部分が大きく広がると、そこにぽっかりと黒い『穴』が開いたのだ。『穴』の奥は闇が蟠った深淵となっており、全く見通せない。


 周囲の景色とは明らかに異なっている。確かに今は夜だが、月や街の灯りによってある程度の明るさは存在していた。しかしその『穴』は一切の光が存在しない、真の暗黒そのものであった。


 と、その深淵の向こう側から何か・・の気配が、こちらに向かって殺到・・してくるのを感じた。


「ほ! まだこんな小さい状態の『ゲート』でも潜れる連中が群がってきているようですねぇ! 堪え性のない奴等です。でも折角なので、この街を更なる混乱に陥れる為に利用させてもらいましょうか」


 その気配を感じたアルゴルが口の端を吊り上げる。それと同時に上空に開く『穴』から複数の影が飛び出してきた。


 一部の人間からは魔界・・と呼ばれる、この世界とは異なるもう一つの世界・・・・・・の住人達だ。その中では最下級とも言える魔界の尖兵、ビブロス達だ。


 一部の人間には小悪魔、またはレッサーデーモンなどとも呼ばれたりする種族で、今この不完全な『ゲート』を潜ってきた事からも解るように召喚・・がしやすく、何かの事故や拍子にこちらの世界に来てしまう事もある為、中世やそれ以前の時代にも頻繁に姿を現しており、人間達が持つ『悪魔』というイメージの雛型ともなっているのは余談だ。



 ビブロス共は奇声を上げながら、貯水池の上空を飛び回る。アルゴルは彼等に向かって両手を広げる。そして魔界の言語で語り掛ける。


『ははは! ビブロス共、人間の血や肉が欲しいか!? 食い意地の張った奴等だ! ならばこれから存分に味わわせてやろう! まずは……そこに隠れている2匹の人間からだ!』


 アルゴルが指差す先……木の陰から、自分達の存在がとっくにバレていたと悟ったらしい2人の警官が慌てふためいて立ち上がった。男女の2人組だ。この場に居合わせたのは運が悪いとしか言いようがない。


 ビブロス共が翼をはためかせながら、2人の警官に殺到していく。警官達は銃を撃って牽制しながら逃げようとする。咄嗟にしては悪くない判断だが、如何せん相手の数と機動力が違い過ぎる。


 瞬く間に追いつかれて複数のビブロスに群がられた警官達は悲鳴と共に埋没していった。そしてすぐにその悲鳴も聞こえなくなった。



「やれやれ、愚かな連中だ。身の丈に合わん事に首を突っ込むからこうなる」


 その光景を見ていたドレイクが苦笑してかぶりを振った。


「……一応組織上は君の部下に当たる人間達が、目の前で骨まで食い殺された感想がそれかい?」


 黒い祭服姿のサリエルが問い掛けるが、ドレイクは肩を竦めただけだった。


「どの道これから全ての人間が同じ運命を辿る事になる。遅いか早いかの違いでしかない。これから先、生き残れるのは真に強い者だけだ」


 ドレイクの言葉にルーファスも頷いた。


「そうだな。これより先は生きるか死ぬか……。俺達も、そして……あの女達・・・・も、な」


 話している3人の元にアルゴルが近付いてきた。



「さあ、皆さん。大変長らくお待たせしました。いよいよ『蠱毒』を回収し、『ゲート』を完全に開く為の作戦・・に取り掛かります。準備は宜しいですね?」


 主からの確認に3体の使い魔・・・は一様に頷いて膝を折った。アルゴルは再び『ゲート』を見上げる。


「『特異点』の成長は想像以上でした。まさかあのような奇跡・・を起こすとは。くくく……私も実の娘・・・とようやく直に会えるのが楽しみですねぇ! くくく!」


 アルゴルはその時を想像して、堪え切れないような含み笑いを漏らし続ける。そしてそんな主の様子をルーファスは、どことなく乾いた冷たい視線で仰ぎ見るのであった……





 この日を境としてLAの街では、まるで伝承上の悪魔のような姿をした謎の怪生物の目撃情報が度々寄せられるようになっていく。それと同時に行方不明者の届け出の数も飛躍的に増大していく。


 そしてローラにとって自らの運命と向き合う最後の事件が始まろうとしていた……

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