Awakening ~獣の目覚め(後編)

 目を覚ますと、そこは見知らぬ倉庫の内部であった。それなりに広いスペースがある。身を起こそうとしてリチャードは自分が太い鎖のような物で、文字通り雁字搦めにされている事を悟った。


「……! もう目覚めたの? やはりあなたは……」


 聞き慣れた女の声。リチャードは声のした方に視線だけを巡らす。


「カトリーヌ……! やはり君か! これは一体何の真似だ!?」


 そこにいたのは昼にも会ったフランス人、カトリーヌ・ドラン。そして彼女の他にも10人程の男達の姿があった。恐らく全員フランス人で、カトリーヌと同じ組織・・・・に属する連中だろう。


「もう解っているでしょう? あなたにその意思がないのなら、強硬手段を取るまでよ。もうそういう段階なの」


「……!」


 カトリーヌ達はとある秘密結社のメンバーだ。過去、フランスで人狼・・の被害に遭った者達の子孫、またはその親類らによって構成された組織で、その目的は「人狼によるあらゆる被害から人々を守る」という物で、その為ならどんな過激な手段も厭わない。


 フランスでは人間社会に紛れて隠れ住む人狼が現実に存在しており、結社は過去にも自分達が危険と判断した多くの人狼達を人知れず抹殺してきた。


 リチャードの父方の祖父もまた人狼であり、彼等の監視の目を逃れてこのアメリカへと移住したのであった。祖父もその息子(リチャードの父)も結社に見つかる事無く穏やかに人生を終えた。


 だがリチャードの代になって何故か彼等は嗅ぎ付けた。カトリーヌの言う所の『陰の気』とやらが、リチャードは他の人狼と比べても桁違いに強いらしい。それで見つかったのだ。


 それでも強い自制心を持って刑事として働くリチャードの姿に、とりあえず監視だけに留めるとして一度は姿を消した彼等だが、今再びこうして現れ、勝手な理由でリチャードの人生を破壊しようとしている。



「ふざけるな……君達に何の権利があるんだ」


「権利?」


 カトリーヌは不思議な単語を聞いたかのように首を傾げる。


「権利とは人間・・の為にある言葉よ。人狼に権利なんてないのよ。ロシアやアラスカなんかでも人里に近付き過ぎた熊は駆除されたりするでしょう? それと同じよ。私達人間には自分達の安全を守る権利・・があるの」

 

「……!」


 ここに至ってリチャードは話し合いによる和解が不可能な事を悟った。彼等はこちらを対等な人間と認めていない。話し合いの余地など最初からなかったのだ。


「さあ、無駄話はここまでよ。目覚めてしまったのなら仕方ないわ。今からここで浄化の儀式・・・・・を開始する」


 カトリーヌが合図すると男達が懐から……を取り出した。大仰な装飾の施された、を混ぜ込んだ西洋剣である。



 彼等は自分達の殺人・・を、「浄化の儀式」と呼んで正当化している。



 人狼が銀を苦手とするというのは、リチャードからすれば全く根拠のない出鱈目なのだが、何故か彼等は頑なに銀が人狼を浄化・・するのだと信じていた。


 だが銀が混ぜ込まれていようがいまいが、あんな剣を針鼠のように何本も突き刺されては死は免れない。


(くそ、くそ……! どうする!? 『力』を解放するしかないのか! だが、それ・・をしてしまったら私は……!)


 妻や娘の顔、部下達や自分を尊敬していると言ってくれたローラの顔が頭を過る。それら全てと永遠に訣別する事となる。ここで物理的に死ぬか、変身・・して社会的に死ぬかの違いでしかなかった。


 決心が付かないままのリチャードを男達が取り囲む。そして一斉に剣を逆手に振り上げる。


「――ッ!!」


 人としての自分を諦めきれなかったリチャードが観念して目を瞑る。だが……




「――何を迷う事があるのです? あなたには人間など比較にならない超常の力がある。こんな人間達など軽々と一掃してしまえるような、ね。もっと自分の心に正直になりましょうよ」




「……ッ!?」


 目を見開いたリチャードだけでなく、カトリーヌや他の男達も全員が倉庫の入り口を注視した。



 見知らぬ男がそこに立っていた。品の良いグレーのスーツ姿に目深にフェルト帽を被っていた。



 場違いな男はカトリーヌ達を無視してただリチャードだけを見つめていた。その視線は何故かリチャードの心の隙間にスルッと入り込むような感覚で、リチャードは目を逸らす事が出来なかった。


「馬鹿馬鹿しいと思いませんか? 何故狩る側・・・であるあなたが、こんな獲物共・・・に唯々諾々と殺されてやる必要があるのです? あなたは彼等より優れた存在なのです。ただ自然の摂理に従って、正しい・・・事をすればいいのです。結果は後から付いてきます」


「正しい……事……。それが、自然の……摂理?」


「ええ、そうです。だから何も迷う必要などないのです」


「……!」


 その時、予想外の闖入者の存在に呆気に取られていた男達の1人が、剣を片手に謎の男に近付く。


「おい、何だお前は? この儀式を見られたからにはただで――――はがっ!?」


 近付いた男の首が180度回転していた。当然即死だ。カトリーヌ達は勿論、リチャードにも一体謎の男が何をしたのか全く分からなかった。男の手はスーツのポケットに入れられたままであった。


「私は彼と話しているんです。生贄・・は黙っていなさい」


 場を支配した男は再びリチャードに視線を向ける。


「どうです? あなたに与えられた祝福・・、存分に発揮してみたくはありませんか?」


「しゅ、祝福……?」


 リチャードはドクンッ……と、自分の心臓が大きく跳ねたのが解った。


「そう……人間達は怖れからあなた達のそれを呪いだと決めつけてきました。しかし真実は違います。それは祝福なのです。それもあなたの得た祝福は他の人狼達すら比較になりません。あなたは選ばれし存在なのです」


「……ッ!!」

(祝福……そうだ。こんなにも強大な力が呪いのはずはない。これは……祝福なんだ!)


 リチャードの心の隙間に入り込んだ悪魔の誘惑は、抑圧され暴発寸前だった精神を容易く塗り潰した。


「下手に抑圧するから暴発した時が怖いんです。適度に発散・・・・・すれば、その力を制御する事は可能なんですよ? さあ、早速実践・・してみましょう!」



「う……う……おおぉぉぉぉっ!!!」



 その瞬間リチャードは、今までの人生でずっと押さえ続けていた『枷』を自ら取り払った。遂に夢の中の『獣』が彼に追いついたのだ。


 ほぼ同時にリチャードを拘束していた、あれだけ強固そうだった太い鎖の束が、嘘のようにあっさりと千切れて弾け飛んだ。着ていた服も弾け飛び、替わりに黒っぽい剛毛が全身を覆っていく。そして……


「くっ!? し、しまった……! 早くあいつを浄化するのよ!」


 謎の男に気を取られて呆けていたカトリーヌは、リチャードの変化・・を目の当たりにしてハッと正気に戻って、慌てて男達に指示する。しかしその指示は些か遅きに失した。


 リチャードに剣を突き立てようとした男が、逆に顔を巨大なカギ爪の生えた手で鷲掴みにされる。


「……! ……ッ!」


 本能的に暴れようとした男は、次の瞬間には顔ごと頭を握り潰されていた。返り血がリチャード・・・・・の顔や身体に降りかかる。しかしリチャードはそれを何ら厭う事無く、むしろ心地良いとさえ思った。


 高揚した気分のまま、その口から咆哮を発する。それは人間の声帯では決して出せない、まさに獣の咆哮であった。リチャードの頭は完全なる獣……巨大な狼のそれに変化していた!


「くそ、怯むな! 殺せ! 殺せぇっ!!」


 最早言葉を取り繕う余裕も無くなったカトリーヌが、口から唾を飛ばしながら命令する。どの道この化け物を殺さなければ、自分達に生きる道はない。覚悟を決めた男達は、剣を構えて一斉にリチャードに殺到する。


 のろい。余りにも鈍すぎる。男達の動きを見たリチャードはそう思った。男達が剣を振りかぶる前に、一瞬にして距離を詰めたリチャードは、その巨大な腕を無造作に横薙ぎにした。前列にいた3人の男達が反応すらできずに腕ごと胴体を両断された。夥しい血液や千切れた内臓が飛び散る。


 もろい。余りにも脆すぎる。自分は今までこんな奴等を恐れていたのだろうかと馬鹿馬鹿しくなった。


 その暴威の前に明らかに残りの男達が怯む。リチャードは両手を振り上げて、男達の頭を叩き潰す。叫びながら斬りかかってくる男の胴体を貫手が貫通する。左右から同時に襲ってくる男達を煩い蝿でも追い払うように振り払う。男達はそれだけで胴体をザックリと切り裂かれて絶命した。


「ひ、ひぃぃぃっ!?」


 残った2人の男が戦意を喪失して逃走する。当然逃がす訳がない。リチャードは恐ろしい程の跳躍力を発揮して、逃げる男達の背中に圧し掛かるように着地。600ポンドはある体重と腕の力で2人の男の背中を圧し潰した。



「…………ッ! あ、あり得ない……。これ程の……」


 リチャードはただ1人残ったカトリーヌの方をゆっくりと振り返る。カトリーヌは拳銃を構えていた。人間・・であれば、充分脅威となる武器……。しかし今のリチャードにとってそれは幼児の水鉄砲と大差無かった。


 唸り声を上げながら突進するリチャード。カトリーヌの銃が連続して火を吹く。射撃技術は確かだったようで全弾命中したが、リチャードは僅かに足を止める事さえ無かった。


 魔獣の剛腕が振るわれる。鈍い音と共に、カトリーヌの首を失った身体・・・・・・・がゆっくりと倒れ込む。リチャードの右手には、未だに目を見開いたままのカトリーヌの頭が丸ごと残っていた……



****



「長年溜め込んでいたモノ・・を発散した気分はどうですか?」


 血と臓物が飛び散る倉庫内。人間の姿に戻ったリチャードに、スーツの男が問い掛けてくる。


「……実に爽快だ。文字通り生まれ変わった気分だよ。何故もっと早くこうしなかったのか不思議な位だ」


 それは本心であった。今までの鬱屈して行き場のなかったストレスや精神的な重圧が、リチャードの中から綺麗に消え去っていた。


 今なら何だって出来そうだ。家庭も仕事も何でもござれだ。だがそこでふと気が付いた。


「……しかし、これ・・をどうしたものか……」


 倉庫内にはカトリーヌを含む、10人程の惨殺死体が散乱・・していた。間違いなく大量殺人だ。カトリーヌ達は表向きは普通のフランス国民なのだ。



 男がフェルト帽をクイッと傾ける。


「心配には及びません。今回だけは私の方で上手く処理しておきます。流石に焚き付けておいて後は知らんぷりという訳にも行きませんしね。その代わりこれ以降・・・・は自分で処理して下さいね? まあ現役の刑事であるあなたなら抜かりなくやれるとは思いますが」 


「……世話になった、というべきかな? 君は一体何者なんだ? まあ素直に聞いて教えてくれるとも思えないが」


 リチャードは苦笑混じりに問う。自分も怪物として覚醒・・したからこそ解る。目の前の男は見た目通りの存在ではない。その正体は恐らくリチャードですら及びもつかないような化け物だ。


 人狼の突然変異体・・・・・である自分さえ及びもつかない存在。それは最早……


悪魔・・、か……)


「……私が何者かはあなたのご想像にお任せします」


 男はやはりはぐらかすようにそう答えた。そして話題を変えるように言った。


「それより家族が心配しているでしょうから、早く帰ってあげては如何ですか? 上手く衝動を発散させる事が出来れば、あなたは何の問題もなく人間としての生活を続けられますよ」


 確かに今日は早めに帰ると妻に連絡していたのだった。変に騒ぎになるのは避けたい。


「あなたの車は倉庫の外に置いてあります。その連中が隠蔽の為にここまで乗ってきたようですね。キーは付けっ放しのようでしたよ」


「……!」


 確かトランクに洗濯に出す暇がなかった服が突っ込んであったはずだ。リチャードはホッと息をついた。どうやらストリーキングのリスクは犯さずに済みそうだった。


「……行く前に名前だけでも聞かせて貰えるか? 今後会う機会があるかは解らないが」


「……ふむ、まあいいでしょう。私の事はアルゴルとお呼び下さい」


「アルゴル、か……。世話になった」


 リチャードはそう言って、後は振り返らずに車まで走っていった。彼にとっての日常に戻るのだ。尤もその日常は今までとは見える景色・・の違う日常になってはいるだろうが。


 しかしリチャードは最早その事を後悔はしていなかった。彼は自分の生き方・・を正確に理解したのだから。



 来るべき『狩り』の予感に、彼は喜び打ち震えるのだった……

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