File20:潜入作戦開始!

 そこはロサンゼルスから西に進んだ場所にある、小さな国立公園がいくつも集った山林地帯。すぐ南には海が広がり、山と海に挟まれた僅かな沿岸と山の麓に人家が立ち並んでいるという地域だった。


 件の『病院』はそれら国立公園の一つに半ば食い込むような形で、山の中にひっそりと佇んでいた。この辺りに来ると日中でも人通りは少なく、まれに山岳を縦断する車が通り過ぎるのみ、といった有様だ。



「……何か都合の悪いモノを隠しておくにはうってつけの場所って訳ね」


 施設が見える位置に車を止めた一行。ローラは助手席のフロントガラスから上目遣いに施設を覗き込んで呟いた。運転席に座るナターシャが頷く。


「ええ、そして人知れず誰かの口を封じたい時にもね……」


「…………」


 ローラだけでなく後部座席にいるヴェロニカとジェシカも真剣な表情で気を引き締める。


「で、ここまで来たけど、どうするの? 施設はラムジェン社の息が掛かってる。正面から面会を求めても、何のかんのと理由を付けて断られると思うわよ?」


 それどころか余計に警戒されてしまうだろう。ローラも現在休職中なので、バッジを片手に強制的に踏み入るという訳にも行かない。いや、仮に休職中でなくとも、令状を盾に取られたらどの道強制捜査は難しかっただろうが。


「とにかく何らかの手段でアンドレアを施設から連れ出す必要があるわ。一旦連れ出してしまえば、連中も後ろ暗い事がある手前通報したりも出来ないはずだから」


 問題は如何にして彼女に接触するか。そしてその後、無事に施設を脱出するかである。施設そのものがラムジェン社の影響下にある以上、最悪あの中は治外法権と考えた方がいいかも知れない。完全に脱出完了するまで油断できない。


「私が一度だけ中に入って見た所、正面玄関に警備員が2名、1階のロビーに2名。病棟へ続くと思われるエレベーターや階段は奥の廊下の先にあって、カードキーを差し込むタイプの電子扉でロビーとは仕切られていたわ。まず間違いなく職員用のIDカードが無いと進めないと思うわ」


「か、かなり厳重ですね」


「刑務所かよ……」


 ヴェロニカとジェシカが眉を顰める。


「そうね。それに病棟内部にもどれだけ警備員がいるか……病棟にまで入れなかったから解らないけど……」


「加えて、アンドレアがどこの『病室』にいるかも聞き出さないといけないわね」


 正攻法で尋ねても、アンドレアの名前を出した時点で警戒されてしまう可能性がある。ならば……


 考え込むローラを他の3人はじっと見守る。元々ジェシカもヴェロニカも素人だし、ナターシャも荒事となると門外漢だ。この『作戦』の指揮はローラに一任されている。


 やがてローラは顔を上げた。


「……皆、それなりに危険な荒事になるかも知れない。皆の命、私に預けてくれるかしら?」


 すると3人は躊躇いなく頷いた。


「勿論さ! その為に一緒に来たんだから、あたしに出来る事なら遠慮なく使ってくれよ」


「そうですね。ここで尻込みするなら最初から付いてきてません。覚悟なら出来てます」


「私は言うまでもないわよね? ラムジェン社の行った研究……そして『エーリアル』の真実を明らかにする為に避けては通れない道だもの。帰れと言われたって付いていくわ」


 三者三様の答えにローラは少し感動しつつも神妙に頷く。


「皆、ありがとう……。じゃあ、手筈を説明するわね」


 4人は車内で手早く『作戦』の打ち合わせに入った。



****



 そこは病院という名前は付いているが、実質的には重度の認知症を患った者や重い病気やその後遺症で、家族が自宅で介護できなくなった者などを格安で引き受けて劣悪な環境で生かしているだけの、医療現場とは程遠い収容施設であった。


 何と言っても高額医療が社会問題となっているアメリカの事。生命を維持するだけ、死を看取るだけのターミナルケアにも莫大な費用が掛かったりする事は珍しくない。


 この『病院』は、そうした問題に頭を悩ませる低所得者の世帯を主な対象としており、破格の費用で患者を受け入れる代わりに、この施設で何らかの理由で患者が『死亡』しても、家族は絶対に訴えないという誓約書にサインさせられる。


 ラムジェン社は、そうやって得た選り取り見取りの『被験者』に様々な新薬の治験を行っている……。そんな噂がメディア関係者の間ではまことしやかに囁かれているのだそうだ。



 この警備の厳重ぶりを見る限りは、その噂もあながち見当外れではないのかも知れない。施設の殺風景なロビーを見ながら、そんな事をローラは考えていた。


(……あのクラウスやエルンストが聞いたら、それこそ死ぬほど羨ましがってそうな環境ね……)


 そんな不謹慎な事も思い浮かんだ。


 先に施設へと入り込んだローラとヴェロニカは、ヴェロニカが腹痛を訴えたというていで連れ立ってトイレに入った。


(さあ、いよいよね。頼むわよ、ナターシャ、ジェシカ……)


 ローラは祈るような気持ちで、ロビーの方に耳を傾けた。



****



 1階ロビーの受付。U字型のデスクに女性が1人座っているだけのこじんまりした『受付』に詰め寄る女性が1人……ナターシャだ。


「あなたじゃ話にならないわ! いいから責任者……もっと上の人間を呼んで来なさいって言ってるのよ! 今日こそ中を取材させてもらうまで絶対に帰らないわよ!」


 受付嬢が対応に困るように、そして警備員達の注意を引きやすくする為に、わざと大声でまくし立てるナターシャ。彼等が聞き取れないロシア語のスラングも混じえて、受付嬢を怯えさせる。


「で、ですから、本日は院長が不在でして……」


「じゃあ副院長でも部長でも誰でもいいから呼びなさい! このLAタイムズのナターシャを甘く見てると痛い目見るわよ!?」


 以前にも何度か訪れて門前払いを食らった経験のお陰で、不自然さは全くない。ロビーにいた2名の警備員が、またかという感じで近付いてくる。


「おい、記者さんよ。こっちはあんたの会社から何も話は来てないんだ。あんたの独断って事は分かってるんだよ。仕事の邪魔だ。とっととお帰り願おうか」


 いかついアフリカ系とヒスパニック系の大男2人だ。アフリカ系の方がナターシャの肩をむんずと掴む。今まではここで強制的につまみ出されてお終いだった。だがこの日は……


「その汚ぇ手を離せよっ!」

「ぐえっ!?」


 いつの間にか至近距離にいたジェシカが、アフリカ系の警備員の鳩尾に拳を突き入れる。狼少女ジェシカは、人間の状態でも見た目を遥かに上回る身体能力を発揮できる。


 その力で急所を殴られた警備員は白目を剥いて昏倒する。


「な、何だ、このガキ!」


 ヒスパニック系の方が掴みかかってくるがジェシカは身軽に躱すと、ショートパンツから露出したしなやかな脚を振り上げて男のこめかみにハイキックをお見舞いする。


「何の騒ぎだ!?」


 2人目の男も昏倒すると同時に玄関のドアが開き、外にいた2人の警備員が駆けつけてくる。倒れた同僚達を見て目を丸くすると共に、急いで警棒を引き抜く。


「はっ! そんなモンであたしをどうにか出来ると思ってんのか? かかって来いよ、おっさん共!」


「こ、この小娘がぁっ!」


 高校生の少女であるジェシカに挑発された警備員達は、頭に血を昇らせてジェシカに殺到する。ナターシャはそれを尻目に、顔を青くしている受付嬢の胸倉を掴む。


「ひっ!?」


「さあ、これで分ったでしょう!? 私は本気よ! とっとと責任者を呼びなさいっ!」


「……!」


 ナターシャは視界の隅で、受付嬢がデスクの裏側に設置されているボタンを押すような動作をしたのを見逃さなかった。内心でほくそ笑む。今の所は順調・・だ。


 ジェシカと警備員達の戦いは、不意打ちでなかった事もあって最初より苦戦したが、何とか返り討ちにする事が出来ていた。


 しかしそう間を置かずして、奥のカードキーで仕切られた電子ドアの向こう側……つまり病棟側から5、6人ほどの警備員がゾロゾロと駆けつけてくるのが目に入った。


 ナターシャはジェシカに目配せする。ジェシカも頷いた。後は派手に暴れて注意を引き付けながら、連中を出来るだけ釘付けにしておく必要がある。



 内側から電子ドアを開けて殺到してくる警備員達を相手に、ジェシカ達の大立ち回りが始まった。

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