File21:アンドレアの『救出』

 ローラとヴェロニカはトイレの陰から一部始終を見ていた。奥の電子ドアが開き、大勢の警備員がロビーに駆け込んでくる。最後尾の警備員がドアを潜ってロビーに入った瞬間を見計らってローラは合図を出す。


「今よ!」

「はいっ!」


 ヴェロニカが電子ドアの天井に取り付けられている監視カメラに向かって手を翳す。弱い『衝撃』が放たれ、カメラが一時的に機能停止する。



 2人はトイレから出てなるべく足音を立てないように注意しながら、電子ドアの方に忍び寄っていく。警備員達は勿論、受付嬢もジェシカ達の乱闘に気を取られてこちらに気付いていない。


 しかしやがて電子ドアが自動的に閉まり始める。警備目的だけあって間隔が短い。このままでは到底間に合わない。一度閉まったら、もう二度とこんなチャンスは作れない。ジェシカとナターシャの奮闘が無駄になってしまう。


 ローラは無言のまま電子ドアを指さして、後ろに追随するヴェロニカに合図を出す。彼女も心得たもので、電子ドアに向かって『力』を放出すると、閉まりかけていたドアの動きが止まった。いや、正確には閉まろうとしているのだが、それをヴェロニカの『力』が押さえているという状態だ。ドアは小刻みに揺れ動いている。


 2人は素早くドアを潜って、施設の内側・・に無事潜入した。ヴェロニカが『力』を解除すると、電子ドアは何事も無かったかのように完全に閉まった。これでもう後戻りは出来ない。



 通路を進むとすぐにエレベータホールに行き当たった。更に奥には階段も備わっている。エレベーターの表示を見ると病棟は5階まであるようだ。潜入中という事もあり、とりあえずエレベーターは避けて階段で2階まで上がる。


 まずはアンドレアの部屋を聞き出さなくてはならない。一応病院である以上、警備員以外の職員もいるはずだ。


 ローラはそっと階段のドアを開けて中の様子を覗き見る。殺風景な内装の廊下に部屋がいくつも続いているのが垣間見えた。これを一つずつ、4階分当たっていくのは現実的ではない。



 と、その時、廊下を歩いていた職員が丁度階段に用があるのか、こちらに向かって歩いてくるのが解った。女性だ。衣装からすると看護師だろうか。


 ローラはヴェロニカに合図して2人で、丁度ドアが開いた時に死角になる位置に身を隠す。ドアが開き看護師が出てくる。



 ドアが閉まった瞬間を見計らって、ローラは後ろから看護師を羽交い締めにする。



「ひっ!? な――」

「――シッ! 静かに!」



 左手で素早く看護師の口を塞ぎ、右手をポケットの中に入れてキーホルダーを掴み、鍵を束ねて服越しに押し付ける。看護師の身体が硬直する。素人には咄嗟に銃かどうかの判断など付かないだろう。


「……ゆっくりと手を離すけど、絶対に騒がないで。大声を出されると反射的に撃っちゃう・・・・・かも知れないから。オーケー?」


 看護師が首を縦に振るのを確認してからローラはゆっくりと手を離す。


「あ、あなた達一体……」


「質問するのはこっちだけよ。ここに先日ラムジェン社の保養所の『爆発事故』で入院した、アンドレア・パーカーという女性がいるはずよね? 私達彼女に用があるんだけど、部屋番号を教えてもらえないかしら?」


「……! そ、それは……」


 言い淀む看護師。この反応で彼女がアンドレアの部屋を知っている事を確信できた。


「勿論だけど下手な誤魔化しはナシよ。あなたはここに拘束させてもらうから、もし違っていたらすぐに戻ってくる・・・・・事になるわね」


「……! わ、解ったわ。教えるから乱暴しないで……」


 どうやらそれ程荒事に耐性がある訳でも、忠誠心がある訳でもないらしい。看護師からアンドレアの部屋を聞き出したローラは、スタンガンを取り出すと彼女の首筋に押し当てた。


 気絶した看護師を先程自分達が隠れていたドアの死角に押し込めると、ローラはヴェロニカと頷き合う。部屋の場所さえ特定できれば後は一直線だ。どの道部外者であるローラ達は、この閉塞的な施設内ではどうしても目立ってしまうし、スパイ映画のような潜入技術がある訳でもない。


 せっかくヴェロニカ達が協力してくれているのだから、その力を有効利用して強引にアンドレアを攫ってしまうという方向性は最初から決まっていた。



 アンドレアのいる最上階の5階まで上がってきた2人は、意を決するとドアを開けて病棟内に入り込む。中は2階と同じく前時代的な殺風景な廊下と病室が連なっていた。どうやら内装に余計な費用を掛ける気は一切無いらしい。


 突然現れた部外者2人に、通りかかったスタッフ達がちらちらと注目している。どうやらロビーの騒ぎとは結び付いていないようだ。だが時間の問題だろう。騒ぎが大きくなる前に、ローラ達は素早く目を走らせ病室の部屋番の並びを確認する。


 当たりを付けた2人は脇目も振らずにアンドレアの病室に向かって歩き始める。



「あの……ここは関係者以外立ち入り禁止なんですが、失礼ですが身分証を……」


 と、そこに不審を抱いたスタッフの1人が呼び止めてきた。ローラは舌打ちする。隠密行動・・・・はここまでのようだ。


 2人はスタッフを無視して一気に走り出す。



「ふ、不審者だ! 警備を呼べ!」



 にわかに病棟全体が騒めき始めた。足音や大声などが病棟中に飛び交う。


「おい、待てっ!」

「……!」


 もう少しでアンドレアの病室という所で、後方から追い縋ってくる足音と怒号。警備員だ。ジェシカ達が大半を引き付けてくれたが、まだ少数は残っていたらしい。見ると前方からも1人、警備員が向かってくるのが見えた。


 前後に挟まれた形だ。ここは強行突破しかない。


「ヴェロニカ、後ろはお願い!」

「はいっ!」


 指示だけ出して目の前の相手に集中する。警備員は既に太い警棒を抜き放っていて臨戦態勢だ。話し合いが出来る雰囲気では当然ない。どの道そんな時間も余裕もない。


 警備員が警棒を振り下ろしてくる。女相手だからという容赦は全く感じられない強烈な一撃だ。ローラは横に跳んで危うくながらそれを躱す。お返しにスタンガンを突き出してやると、相手はギョッとしたように飛び退って回避した。


 スタンガンを警戒して中々攻めてこなくなった。このままでは膠着状態だ。余り時間を掛けると警備員の増援が現れる可能性が高い。ここはこちらから攻めるしかないだろう。


 ローラは躊躇いなく警備員に向かって突進する。相手は警棒を振りかぶる。あれを躱せればこちらの勝ちだ。ローラは警棒に全神経を集中させた。


 斜め上の軌道から薙ぎ払うように迫ってくる警棒を、大胆に屈み込んで回避した。屈み込んだ姿勢から前に飛び出すようにしてスタンガンを突き出す。警備員は慌てて後ろに下がろうとしたが、その時にはスタンガンが相手の股間にぶち当たった!


「……ッ!!!!」


 声すら上げずに悶絶しながら昏倒する警備員。ローラとしては別にそこ・・を狙った訳ではなかったが、運が悪かったようだ。心の中で謝罪してからヴェロニカの様子を確認すると、彼女も『力』を用いて警備員を無事撃退したようだった。


 少し血の気の引いた顔をしていたので、どうやら危うい場面があったようだ。彼女の『障壁』は銃弾などの小さな質量の物を防ぐのは得意だが、逆に大きな質量で突進してこられると弱い、という側面がある。


 警棒を持って殴りかかってくる大男というのは、彼女にとっては若干相性の悪い相手だったらしい。


「ヴェロニカ、大丈夫!?」

「え、ええ……大丈夫です。先を急ぎましょう!」


 確かに今は1分1秒でも惜しい。ローラは頷いてからアンドレアの部屋に向かって走り出した。程なく部屋の前に着いた2人だが、部屋は分厚い頑丈そうな扉で施錠されていた。取っ手をガチャガチャと引っ張るが開けられそうにない。今は時間が惜しい。


「ヴェロニカ、頼める!?」 

「は、はい!」


 ヴェロニカが取っ手に手を翳して何かを念じるように目を瞑る。するとガチャンッ! という何かが外れるような音が鳴った。もしかしてと思ったローラが取っ手を引くと、扉は嘘のようにすんなり開いた。どうやら鍵穴を操作してロックを解除したようだ。


(……今こうしてその力を利用してる私が言うのも何だけど、悪用されたら大変な事になりそうね、これは)


 クレアが警戒していた理由が分かった気がしたローラであった。


 気を取り直して扉を開けて中へと踏み込むローラ。やはり殺風景な内装の部屋に簡素なベッドが置かれており、そこに病衣を着た1人の若い女性が寝かされていた。写真で見た顔と同じ。彼女がアンドレアで間違いないだろう。


「ひっ、だ、誰!? 会社に言われて来たの!? わ、私の口も封じる気!?」


 怯えた様子で逃げようとするアンドレアだが、両腕をベッドに拘束されていて逃げられない。


「落ち着いて! 私達は敵じゃないわ! アンドレア・パーカーね? あなたを助けに来たのよ」


「……え?」


「ヴェロニカ。これもお願いできる?」


 彼女は黙って頷くと『力』を込めて、アンドレアの拘束を外した。アンドレアは不可思議な現象に目を丸くする。どうやら別のインパクトを与えたらしく、最初の怯えは鳴りを潜めていた。


「こ、これは……。あなた達は一体……?」


「話は後! 今は急いでここを脱出するわよ!?」


 廊下から聞こえてくる騒ぎは大きくなる一方だ。複数の足音が駆け寄ってくるのが聞こえる。ローラがアンドレアを起こしている間に、ヴェロニカが廊下の様子を確認する。


「……! ローラさん! 警備員が大勢来ます!」


「ち……! もう時間は無さそうね。ヴェロニカ、本当に行ける・・・のね?」


 ローラの確認にヴェロニカが力強く頷く。


「任せて下さい! 絶対にやり遂げてみせます!」


 それはつまり実際にやるのは初めてで保証は何もないという事だが、それは最初から解っていた事だ。事ここに至って尻込みする理由はない。どの道このままでは捕まってしまうだけだ。


「解ったわ! それじゃあお願い!」


 ローラは部屋の窓を全開にする。山の外気が部屋に流れ込む。ヴェロニカが窓の縁に足を掛け、飛び降りる・・・・・ような体勢になる。ローラは黙ってヴェロニカの胴体にしがみ付く。


「アンドレア、あなたも彼女に掴まって!」 


「ま、待って、何をする気? ここは5階よ!? 無茶だわ!」


「さっきの彼女の『力』を見たでしょう!? 私達を信じて! どの道ここにいても殺されるだけよ! それはあなたが一番よく分かっているでしょう?」


「……ッ! わ、解った! 解ったわよ、もう!」


 進退窮まったアンドレアが、ヤケクソのようにヴェロニカの胴体にしがみ付く。それとほぼ同時に増援の警備員達が部屋に踏み込んできた。


「いたぞ!」「おい、何をする気だ!?」「観念しろ!」


 喚きながら殺到してくる警備員達を尻目にヴェロニカは、一気に窓の外へと……5階の高さから飛び出した!



「行きます!」


「――――ッ!!!」



 一瞬の浮遊感。そして次の瞬間には恐ろしい勢いで自分の身体が地面に向かって引っ張られていく感覚。これは理屈ではない。人間の本能的な部分に、高所からの落下という現象に対して根源的な恐怖が刻まれているのだ。


 覚悟していたローラですら、凄まじい恐怖で生きた心地がしなくなった。アンドレアに至っては聞くに堪えないような意味不明の叫び声を上げ続けていた。


 実際の時間は恐らく1秒あるかどうかといった刹那の瞬間だっただろう。ローラには永遠のように感じられたその自然落下の後、ヴェロニカが急速に迫る地面に向かってありったけの『衝撃』を叩きつける!



「はあぁぁぁぁぁっ!!!」



 ドドオォォンッ! という地響きとも異なる轟音が鳴り響き、大量の土埃が辺りを覆い尽くした。土埃が晴れた時そこには……



「ふぅ……どうにか無事みたいね……。良くやってくれたわ、ヴェロニカ。間違いなくあなたが今回のMVPよ」


「じ、自分でも必死でしたけど……ありがとうございます、ローラさん」


「うそ……こんな……こんなのって……。非科学的だわ……」



 2人の脇で、地面にへたり込んだままのアンドレアが若干焦点の合わない目で、青白い顔のままブツブツ呟いていた。


 上から怒号が聞こえてくる。見やると5階の窓から顔を覗かせた警備員達が、こちらを指さしながら何かを怒鳴っていた。悠長に腰を抜かしている暇はなさそうだ。


 そう思った時、ローラ達に物凄い勢いで近付いてくる車が一台。アンドレアが反射的にビクッとするが、ローラは手で制する。


「大丈夫よ、あれは――」


「ローラ! 作戦成功みたいね! 早く乗ってっ!」


 ナターシャである。ローラ達のいる場所に素早くスピンさせながら車を横づけにすると、後部座席のドアが開いた。


「ローラさん! 先輩! 無事だったんだな! こっちだ!」


 ジェシカだ。ローラは強引にアンドレアを立ち上がらせると、急いで車に乗り込んだ。ヴェロニカは助手席に飛び込む。


「全員乗ったわね!? 行くわよ!」


 ナターシャは全員が乗り込んだ事を確認すると、エンジンを掛けたままだった車を急発進させる。アクセルを限界まで踏み込んだ車は猛スピードで病院から遠ざかっていった……

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