Interlude:大罪

 ロサンゼルスに籍を置くバイオテクノロジー企業、ラムジェン社。そのCEOであるトーマス・ゴールドバーグは自社の所有する山奥にある極秘研究所へと足を運んでいた。


 ここは一般の社員は立入禁止となっており、敷地の入口には専属のガードマンが常駐している為、迷い込んで入ってしまうという心配もない。


 建物に入り廊下を進んでいくと、やがて電子ロックの掛かった大きな扉の前に到着した。専用のIDカードをスキャンするとドアが開く。このカードはトーマスを含めてこの極秘棟に出入りできる限られた人員だけが持っている物だ。


 電子ロックのドアを抜けるとそこは真っ白な壁と、種々の機械類、研究用の機器などが所狭しと並ぶ研究室となっていた。トーマス自身が選び抜いた20人以上の優秀な研究員やその助手達が忙しそうに動きまわっている。


 奥には強化ガラスを隔ててもう一つ部屋があり、そのガラス窓の前で何かを話し合っている3人の人物の前まで歩いていく。



「ミス・パーカー。準備・・は出来ているかね?」


 その内の1人、眼鏡を掛けた30絡みの女性に声を掛ける。


「社長……。やはりアーチャー主任が抜けた穴は大きいかと。もう少し時間を掛けて安全性・・・のテストを行ってからの方が……」


 主任研究員補佐・・のアンドレア・パーカーがそう苦言を呈してくるが、トーマスは首を横に振った。


「ミス・パーカー。その件は以前にも話しただろう。このプロジェクトには巨額の資金を投じているんだ。目に見える実績が無ければ株主総会を納得させられない。もうこれ以上待てないんだ」


 総会がトーマスを罷免したがっている事は感じていた。あの連中は目に見える利益しか求めていない。この研究にどれ程の歴史学的、生物学的価値があるかなどどうでも良いのだ。


 そして連中が求める利益を出す為には、もう時間的猶予はないのだ。他の2人も会話に参加してくる。


「ミス・パーカー。私はCEOに賛成だね。会社の経営的な事は良く分からんが、早く『アレ』が実際に生きて動いている所を見てみたい。正直もう我慢の限界だよ」


 古生物学者のジョー・グレアムだ。このプロジェクトの初期から協力を仰いでいるオブザーバーの1人で、今も子供のように目を輝かせてガラス窓で仕切られた奥の部屋にある『モノ』を見ている。その様子に苦笑しつつもう1人もトーマスに賛意を示す。


「そうだな。トムがくびになるのは僕にとっても痛い。最悪この研究自体が頓挫して闇に葬られてしまう可能性があるからな。ここはやはり実績が必要だと思うよ」


 そう言って笑うのは考古学者のダンカン・フェルランド。年齢は40を過ぎているのだが、長年のフィールドワークで鍛えられた肉体と精悍な顔立ちはまるで映画に出てくる考古学者のようで、彼を主人公にしたアドヴェンチャー映画でも作れそうな程だ。


 トーマスの友人であり、このプロジェクトを持ちかけてきた張本人でもある。トーマス自身、彼の計画に夢を感じてこのプロジェクトを自主的に推し進めてきたので、運命共同体という奴だ。



「……はぁ。解りました。まあデータでは問題ないはずではありますから、何とかやってみます」


 アンドレアが溜息を吐きながら折れた。プロジェクトの決定権は彼女には無いのでこれは既定路線だ。


 トーマスはガラス窓に歩み寄って奥の部屋を覗き込む。


「…………」


 その部屋は他に何もない空間でただ一つ、いくつものチューブに繋がれ中が培養液で満たされた巨大なカプセルがあるだけだった。そのカプセルの中で目を閉じて眠っている『モノ』……。それがトーマスに莫大な利益を齎してくれるはずなのだ。


 唯一の誤算、そして不安要素は、この研究について誰よりも詳しく、また他の研究員を纏める立場であったサイモン・アーチャー主任研究員が、数少ない休日に港へ趣味の釣りに出掛けたまま行方不明になってしまった事だ。


 その後からTVで連日のように報道される渚の殺人者『ディープ・ワン』によって殺害されていた事が後に判明した。これはプロジェクトにとって大きな痛手となった。だが今更後には引けないのだ。多少の不測事態があったとしても予定の変更は許されない。




「よし、じゃあ準備が出来次第始めてくれ」


 トーマスが研究員達に指示を出す。アンドレアがモニター類をチェックしている。


「……バイタルに異常はありません。理論上・・・は問題なく目覚めるはずです」


 研究員の1人が頷いて、奥の部屋のカプセルに接続されたPCを操作する。警告音のような音が鳴り響く。同時に縦に置かれたカプセルから徐々に中を満たしていた培養液が抜かれていく。完全に液の排出が終わると、カプセルの蓋がゆっくりと開いていく。



「…………」



 誰も、何も、喋らない。皆、固唾を飲んで経過を見守っている。中に納められていた『モノ』が……ゆっくりと目を開いた・・・・・。 



「おお……!」



 感極まった声を上げるのはジョーだ。トーマスも正直興奮を抑え切れなかった。成功だ。太古の……神代の時代の生物・・・・・・・・をこの現世に甦らせる事に成功したのだ!


 古生物学、考古学的な価値は計り知れないものがある。この生物の研究を独占できれば、トーマスの名は間違いなく歴史に刻まれる。そしてそれだけではない。この生物が持つ真の価値。それは……


「ミス・パーカー。事前の実験結果には問題なかったんだね?」


 アンドレアも緊張した面持ちで頷く。


「はい……。あの生物・・・・の生きた血液から造られた抗体は、あらゆる種類のがん細胞を正常な細胞に戻す効果を見込めるはずです」


 そう。これこそがトーマスがダンカンの誘いに乗った本当の理由。この抗体を実用化できた日には、億万長者どころではない。文字通り世界一の金持ちになる事だって夢ではない。


「……! 動き出します!」


 研究員の誰かの声にトーマスは現実の世界に戻ってきた。見ると『ソレ』はカプセルの縁に手を掛け・・・・、ゆっくりと這い出てくる所だった。『ソレ』は両足・・で床に降り立つ。


「おお……骨格や筋肉もしっかり重力に抗しているようだ。素晴らしい……!」


 ジョーが熱に浮かされたような口調で喋っている。その横ではダンカンが唸っていた。


「凄いな……。まさにインド神話・・・・・に伝えられている通りの姿だ。これは……トム、解るかい? 僕達は今まさに神話をこの目で見ているんだ」


 『ソレ』はしばらく戸惑ったように自分の身体や周囲の景色を眺めていた。が、やがて耐圧ガラスの向こう側にいるトーマス達に気付いたのか、まじまじとこちらを見つめてくる。人間とは明らかに異なる双眸に射抜かれ、トーマスは急に不安に苛まれる。


「ミス・パーカー。鎮静ガスの用意を……」


 そう言い掛けた所で「異変」は起こった。




 ――ギイェェェェェェェェッ!!




 密閉された強化ガラス越しでも尚耳に響く奇声。『ソレ』は突如として雄叫びを上げると、こちらを威嚇するように……背中の翼・・・・を大きく広げた!


「……!」


 それは視界一面が覆い尽される程の、鳥のような羽毛の生えた巨大な翼であった。トーマスは敏感に『ソレ』の敵意を感じ取った。いや、この様子を見れば一目瞭然である。


「ミス・パーカー! 何が起きている!?」


「わ、解りません。身体面、バイタル面では異常は見られませんでした! 精神面に関しては……アーチャー主任が専任していましたから……」


「……ッ!」


 アーチャーがあのような事態になった事で、当然引継ぎなども出来ていない。トーマスも早期の結果を求める余り、精神面に関して特に誰かに引き継がせる事も無く研究を急がせた経緯がある。


「おお、あの翼は……猛禽類のようだな。形はイヌワシに似ているが、倍以上は大きいぞ……!」


 ジョーが『ソレ』の様子など目に入っていないかのように興奮してまくし立てている。それには構わず早急に指示を出す。


「早く鎮静ガスを放散し給え!」

「は、はい……!」


 研究員の1人が慌ててPCを操作すると、部屋の壁に取り付けられた噴射口から薄い緑がかった気体が噴射される。それは忽ちその生物がいる部屋を埋め尽くし、ガラス越しの視界が緑色のスモッグで覆い尽され、『ソレ』の姿が見えなくなる。


「や、やはり主任の抜けた穴をきちんと埋めてから実行するべきだったのでは……」


「今更な話だろう。狂暴な生物であるなら仕方ない。鎮静と拘束で対応するまでだ」


 不安がるアンドレアにピシャリと言い放ってから、部屋の換気システムを作動させる。あのガスは即効性なので既に倒れているはずだ。緑のスモッグが晴れた時そこには……



「な……ば、馬鹿な……!」



 屈み込むような姿勢をとっていた『ソレ』がスクッと立ち上がった。まるでガスが効いている様子が無い。ただ何か不快な事をされたという事は解ったのか、『ソレ』の目には先程までは無かった明確な「憤怒」が芽生えていた。


(馬鹿な。アフリカゾウだって一瞬で眠らせる程の量だぞ!? あり得んっ!)


「……万病に効く血液の持ち主だ。きっと……毒を中和出来るんだ」


 ダンカンが再度唸る。彼はソロソロと後ずさっていたが、それに気付く余裕のある者はいなかった。


「もう一度だ! 今度は麻酔の量をもっと増やして――」


 言い掛けた時、それが目に入った。再び翼を大きく広げた生物……。その翼の中の羽毛がモコモコと蠢いていた。思わず目をやったトーマスは、その羽毛の一つ一つが……まるで刃のような形状・・・・・・・をしているのに気付いた。


「――ッ!?」


 本能的に危険を察知してトーマスがその場で伏せるのと、『ソレ』が開いた翼を一気に振り抜くのはほぼ同時であった!




 ――ガシャアァァァァァァァンッ!!!




 機関銃の掃射を受けても割れない筈の強化ガラスが粉々に砕け散る音が鳴り響いた。研究員達の悲鳴や怒号。慌てて何かを蹴倒す音。様々な音が入り乱れて場をかき乱す。


(まずい。まずい。まずい。まずい。まずい……!)


 客観的な思考が出来なかった。とにかくマズいという事と、今すぐにこの場から離れなければという生存本能だけがトーマスを支配していた。這いつくばってその場から離れようとするトーマスの手に、何かヌルッとした物が触れた。自分の手を見ると、それは赤い色をした「何か」だと解った。切断された人間の……腕。


「ひっ!」


 慌てて視線を巡らせると、床に倒れている・・・・・・・ジョーと目が合った。いや、合ったように錯覚した。


「……博士?」


 ジョーは答えなかった。答えられる訳が無かった。首から下が……消失していた。胴体も四肢もバラバラに切断されて床に転がっていた。この赤い色の……血は、ジョーの物だったのだ。  


 ボールのように無造作に転がったジョーの頭がトーマスの方を向いていた。その目は興奮なのか驚きなのか、大きく見開かれたままだった。  

   

「ひ、ひぃぃぃっ!」


 トーマスは四つ這いの姿勢のまま出口に向かって這いずった。腰が抜けて立つ事が出来なかった。壁や機材もズタズタになり、悲鳴や呻き声がそこら中から聞こえる。ジョーの他にも死傷者が出ているようだが、構っている余裕など一切無かった。  


(何故だ! 何故だっ!? 何故こんな事に……!)


 株主総会からの催促。主任研究員の突然の離脱。それに構わず尚急がせた結果。いや、そもそも―― 



 四つ這いで進むトーマスの目の前に、巨大な鳥の足・・・・・・のような物が立ち塞がった。トーマスはゆっくりと視線を上げた。


「あ…………」


 見上げた視線の先には、鋭い鉤爪を備えた手を振り上げている『ソレ』の姿……。



 ――人間が神の領域に立ち入るべきではなかったのだ。きっとこれはその「天罰」なのだろう。



 自らに向かって振り下ろされる鉤爪を眺めながら、トーマスは最後にそんな事を考えていた…………




****




 ロサンゼルス北部の山奥で起きた、ラムジェン社所有の保養所・・・の「爆発事故」は、CEOのトーマス・ゴールドバーグ以下、ラムジェン社所属の研究員14名、そしてトーマスの友人である古生物学者のジョー・グレアム博士の計16名が死亡する大参事となった。

 

「爆発事故」の数少ない生存者である研究員アンドレア・パーカーは、神の御業がどうとか天罰がどうとか意味不明な証言を繰り返すばかりで、おそらく「爆発事故」のショックで正気を失ったのだろうと判断され、精神病院送りとなった。


 この「爆発事故」の後から、付近では通り掛かった人間の失踪などが相次ぐようになる。これらの失踪が正式に「事件」として警察の元に届くまでには今しばらくの時が必要であった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る