File10:地獄からの道標

 カーミラはその日も指名によるエスコート業務を終えた所であった。いつものようにモーテルを待ち合わせ場所に指定し、合うなり即本番・・。今日の客は40絡みの未婚のキャリアウーマンであった。


 結婚・出産を経験していないので実年齢よりかなり若々しく、そして貪欲であった。この歳まで未婚だと特に女には良くある事だが、性欲が異常に亢進する場合がある。いわゆる、熟れた身体を持て余して……という奴だ。


 本人も色々な風俗サービスを経験してきており百戦錬磨のつもりであったようだが、500年を生きるカーミラにとってみれば赤子のようなものであった。


 カーミラのテクニックで散々に絶頂させられ、ついでに「吸血」までされて、息も絶え絶えな様子でベッドに突っ伏し人事不詳に陥っていた。以前までのカーミラならそれでも多少手こずったかも知れないが、今の彼女は心身共に充足しており、出来ない事など何もないような万能感を得ていた。


 その理由、というか原因は明白だ。カーミラは帰りの車の中で思いを馳せる。



(うふふ……今夜はもう帰ってるかしら? ああ……早く会いたいわ、ローラ)



 自分の帰る場所に愛しい恋人が待っている。その事実だけでカーミラは己の身体に常にない活力が漲るのを実感していた。


 恋人がいるのにエスコート業務を続けているのもどうかと思われるだろうが、これはあくまで仕事・・であり、カーミラの中ではプライベートとは全く切り離されたものだった。ローラも理解を示してくれた。


 そもそも吸血鬼は定期的な頻度で人間の生き血を吸わなければ生きていけないので、これは文字通り食っていく・・・・・為に必要な事でもあった。ローラ1人の血では賄いきれない量なのだ。そしてカーミラが平和的・・・に生き血を摂取するのに、このエスコート業は非常に都合が良い職業であった。


(ローラの血と言えば……)


 カーミラは2人の初めての行為・・の日を思い出していた。それはあの『ルーガルー』事件が終息してしばらくの後の事であり、カーミラがローラの部屋で同棲生活をスタートさせた最初の夜だった。


 ローラは繰り返し絶頂して自失状態になってしまっていたが、カーミラもまた演技無しに本気で絶頂してしまっていた。あれ程に昂ったのはいつ以来だろうか。いや、冗談抜きで500年前の同じ名前の『あの子』以来だったかも知れない。それは体の相性・・・・だけでなく、その後に吸わせてもらった血に関しても同じ事であった。


 一口吸った瞬間、カーミラはまるで脳天を突き抜けるような甘い痺れが走ったのを自覚した。余りにも美味で、余りにも香ばしく、カーミラは吸い尽してしまわないよう必死に自制しなければならない程だった。



(あれ程の極上の血は、それこそ『あの子』以来……いえ、もしかすると……)



 『あの子』以上だったかも知れない……。それ程の衝撃だった。同時にこれは危険・・だとも感じた。これに病みつきになってしまったら、他の人間の血が吸えなくなってしまう。いつか自制が効かなくなって、ローラを吸い殺してグールに変えてしまうかも知れない。そんな恐怖を感じたのも事実であった。


 その為ローラの血を吸ったのは、今の所初夜・・の一回こっきりだ。血を吸わなくともそれ以外の行為・・・・・・・だけで十二分に満足できているので、余り欲張りすぎると碌なことにならないと自らを戒めていた。


 そんな事を考えている内に、ローラの……いや、今は自分達のアパートへ着いていた。少しウキウキした気分で玄関を開けるが、残念ながら人のいる気配がなかった。どうやらローラは『ディープ・ワン』事件の捜査に精を出しているらしい。


 もう夜の10時を回っている。カーミラとしてはローラに余り根を詰めすぎて欲しくはなかったが、事は彼女の元相棒のダリオの安否にも関わっている為、どうしても熱が入ってしまうのだろう。ローラの気持ちを思うとカーミラに止める事は出来なかった。


 仕方なくカーミラは溜息を付いてソファに身を埋めて、見るとはなしにTVを見ながらウィスキーを嗜んでいた。



 1時間程もそうしていた頃だろうか。一向に帰ってこないローラに、少し心配になったカーミラは彼女に電話を掛けようか迷った。しかしもし張り込み捜査の途中などだったりしたら、捜査の邪魔をしてしまう事になる。


 同棲生活の条件として、お互いの仕事には干渉しない事をルールに定めていた。相談には乗るが干渉はしない。だからローラもカーミラも互いに仕事の予定などを一々相手に連絡したりはしていない。2人共家にいる時が、お互いに自由な逢瀬・・の時間。そういう決まりだ。


 同棲1ヶ月にしてその決まりを破るのも如何なものかとカーミラが思案している時だった。





 ――何の前触れもなく部屋中の全ての電気が一斉に消えた。照明もTVも全てだ。





「――!?」


 カーミラは咄嗟に立ち上がって身構えた。おかしい。ブレーカーが落ちるような電気は使っていないし、窓の外からは周囲の建物の明かりが覗いている。区画の停電でもない。


 ではこの建物だけの停電? カーミラの直感が違うと告げていた。微かだがあの『ルーガルー』の時にも感じた陰の気・・・のような物を感じ取ったのだ。微かと言っても、それは「弱い」のではない。巧妙に隠蔽されているのだ。


 カーミラは自分の頬に汗が伝うのを感じた。胸の動悸が緊張で早くなる。いきなり電気が消えた事からも、『何者か』が既にこの部屋の中に侵入しているのは間違いない。なのにカーミラには全くその気配を察知する事が出来ない。


 まるで自分が無力な赤ん坊で、全く抵抗できないまま刃物を突き付けられているような……こんな感覚はあのヴラドや『ルーガルー』と対峙した時にすら感じなかった物だ。冷や汗の量が増える。



(ど、どこ……? 誰なの……!? 何が目的なの!?)



 想定外の未知の状況に、カーミラはまるで無力な人間の女性のように怯えた。500年以上の間……ヴラドによって吸血鬼にされて以来忘れていた感情……。


 それは目に見えないモノに対する根源的な『恐怖』の感情だ。カーミラは思わず頭を抱えてその場にうずくまってしまいたい衝動に駆られる。


 と、その時唐突にカーミラの背後で禍々しい気配が膨れ上がった。


「……!」


 カーミラは金縛りから解放され、弾かれたように後ろを振り返った。そして……


「ひっ!?」


 やはり吸血鬼となって以来一度も発した事の無かった、押し殺したような悲鳴を上げてしまう。




 ――暗闇の中に、ボウっと髑髏どくろが浮かび上がっていた。




 そう。それは一見して髑髏――即ち人間の頭蓋骨のように見えた。だが……違う。その髑髏には只の骨格標本にはない、明確な意思・・の存在を感じさせた。その黒々と空いた両の眼窩から、確かに自分を見据える『視線』を感じ取ったのだ。


 それは一見、闇の中にただ髑髏だけが浮かんでいるように見えたが、よく見ると真っ黒い、それこそ闇に溶け込むかのような漆黒の、ローブのような物を纏っているのが解った。


 左手に禍々しい形状をした柄の長い大鎌のような物を携えていた。その鎌を持つ『手』もやはり骨だけである。どうやらローブの下の『全身』が骨だけで構成されているようだ。


 全身骸骨に黒いローブ。そして大きな鎌……。その姿はカーミラにある単語を連想させた。



(し……死神……?)



 それは正に古典的な伝承に登場する死神そのものの姿をしていた。このような存在が現実にいるという事も、それが自分の前に現れたという事も、何もかもが想定外であった。


 自分は今からこの死神によって命を絶たれるのだろうか。自然の摂理に反して生き続ける自分に対して、神がその呪われた生を終わらせる為に遣わしたとでも言うのか。


 500年も生きてきて、何故今この時なのだろうか。今までなら達観して或いは唐突な死も受け入れられたかも知れない。だが、今は駄目だ。カーミラには死ねない……死にたくない理由が出来ていた。


 念願叶ってローラと晴れて恋人同士となり、全てはこれからという時に理不尽に何もかもを奪い去られるというのか。


(ふざけないで……そんな事、絶対にさせない。私は……こんな所で、死ねないのよ!)


 カーミラは恐怖と絶望に折れそうになる心を、怒りによって奮い立たせて、目の前の地獄からの使者を必死に睨みつける。



『……毒ヲ喰ラエ……。新タナル毒ヲ喰ライ、昇華セヨ……』


「え……?」



 唐突に『死神』が喋った・・・。まるで地の底から響くような不気味な声。髑髏の顎は動いていない。にも関わらずカーミラには、その『声』が目の前の存在が発した物だと解った。


(毒ですって? 何の事……?)


 カーミラの当然の疑問には構わずに死神は空いている右手をそっと上げてテーブルを指差した。するとテーブルの上に置いてあった空のグラスが音を立てて砕け散った。


 思わず身構えるカーミラだが、死神はそれも無視して言葉を続けた。


へ急ゲ……。汝ガ求メルモノハ其処ソコニアル……』


(し、島……? 一体何を言っているの……?) 


 訳の分からない状況だったが、どうやらこの死神が自分を殺そうとしているのではないらしい事が解って、多少物事を考え判断する余裕が出てきた。


「島とはどこの島の事? 私が求めるものって何の話? それに毒というのは……?」


『……急ゲ。急ゲ……。島ヘ急ゲ。残サレタ時間ハ少ナイ……』


 死神はカーミラの質問には答えずにそれだけを繰り返しながら、再びテーブルを指差した。そして……その姿が徐々に輪郭がボヤけ、闇に溶け込むように消えていく。


「あ……ま、待って……!」


『急ゲ……急ゲ……急ゲ…………』


 うわ言のように繰り返す声も徐々に小さくなっていき……姿が完全に消えるのと同時に聞こえなくなった。

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