File9:白昼の襲撃

 翌日。ローラはジョンと共に『ディープ・ワン』の犯行現場を回っていた。クラウスの方はクレアが追ってくれている。ローラは何か少しでも手掛かりが無いか現地を調べて回っているのだ。


 『ディープ・ワン』は陸上にも上がれる事が解っている。何か痕跡でも残っていないかと期待して調べるが、やはりそうそう都合よくは行かない。



 2人はロングビーチの海水浴場にも足を運んでいた。ここでも早朝、愛犬を散歩していた女性が愛犬を残して失踪。後に離れた場所にある海岸で「残骸」となって発見されている。それらの事件に加えて、今回のロングビーチ市警の作戦失敗により今現在この海水浴場はほぼ開店休業状態となっていた。今のシーズンからすると考えられないような状態だ。



「……これは確かにロングビーチ市が焦る理由も解るな」


 ジョンの言葉にローラも頷く。このままの状態が続けば遠からずロングビーチ市の財政は立ち行かなくなるだろう。それがすぐに解る程に酷い有様だ。


「ま、でも完全に無人って訳じゃないみたいだな。全く、こんな時までご苦労なこったな」


 このような状況では運営側も無駄な経費を極力削る為に、監視員等のスタッフはその殆どが休みを取らされているようだが、見るとまばらではあるが開いている監視塔が幾つかあった。


 ローラは最寄りの監視塔に見知った顔があるのに気付いた。


「あら、あれは……ヴェロニカじゃないかしら。彼女まだここで働いていたのね。彼女と話しているのは……ジェシカ!?」


 監視塔の下に誰かいて、上にいるヴェロニカと話をしているようだった。よく見るとそれはあのジェシカであった。意外な取り合わせに興味を持ったローラは彼女らに近付いていく。


「ハイ、ジェシカ。それにラミレスさんも」


「ローラさん!」


 ローラに気付いたジェシカが駆け寄ってくる。ヴェロニカも会釈していた。


「意外な場所で会ったわね。2人は知り合いなの?」


「え? あ、ああ……。同じ高校の先輩だったんだ。あたしが以前クスリに手を出し掛けた時に、凄い怒って止めてくれたのが切欠で……」


「まあ……そうだったのね。世間は狭いっていうのは本当なのね……」


 きっとヴェロニカは自分の過去の体験から、同じ過ちを犯し掛けていたジェシカを止めたのだろう。


「ローラさんこそ、先輩と知り合いなのか?」


「え? あ……そうね。その、『ディープ・ワン』絡みでちょっとね……。ほら、前に教会で話したでしょう? ダリオの知り合いの情報提供者っていうのが、まさにそのラミレスさんなのよ」


「そ、そうだったのか!?」


 ジェシカが驚いてヴェロニカを見る。ヴェロニカは苦笑しつつ監視塔から降りてくる。一応監視員としての勤務中なので、ライフガードの赤いワンピース型の水着姿であり、彼女の抜群のプロポーションを際立たせていた。ジョンの目線があからさまに吸い寄せられるのが解った。


 ローラは肘で軽くジョンに牽制を入れつつ、ヴェロニカに向き直る。


「精が出るわね、ラミレスさん。でもこの時期にビーチの監視員なんて危なくないの?」


「どうぞヴェロニカと呼んで下さい。『ディープ・ワン』は日中には出ないとされていますから、それで割り当てられたんでしょう。それに……これ以上の被害を防ぐという意味での監視業務みたいなものです。自分にも何か出来る事はないかと思っていたので、進んで引き受けたんです」


 これだけ世間で騒がれていれば、賢明な人々はまず海辺に近寄る事自体ないだろう。だが残念な事に、世の中賢明な人間ばかりではない。SNSの承認目的や好奇心優先の物見高い命知らず達。自分だけは大丈夫だという根拠のない自信に溢れた若者達。またはまだそうした判断の付かない子供達……。


 危険だと解っている場所に敢えて近付く愚か者は一定の割合で必ず存在する。恐らくヴェロニカはそういった人間達を監視、場合によっては警告・退避させる目的で、監視員の業務を続けているのだろう。


「とても立派な心掛けだと思うわ、ラミ――ヴェロニカ。でもあなた自身の安全も考慮されていなければ駄目よ?」


 ヴェロニカは解っているとばかりに頷く。


「大丈夫です。この『監視業務』も4時には上がりですから。流石に日中以外の時間帯にここを訪れようという人はいないと思いますし」


 本当は例え日中であってもこんな場所にいて欲しくなかったが、恐らくヴェロニカはこの「監視業務」を辞める事はないだろう。と、そこにジェシカが口を挟んできた。


「そうなんだよ、ローラさん。だから先輩が出る日はあたしが先輩を守るって言ってるんだけど、中々首を縦に振ってくれないんだ」


「守るって、ジェシカ……」


 確かにジェシカにはその力がある。だが少なくとも今の外見からは想像が付かないだろう。ヴェロニカにそんな事を言ってしまってもいいのだろうか。


「え? ああ、大丈夫だよ、ローラさん。先輩はあたしの秘密・・を知ってるんだ」


「ええ!? そ、そうなの!?」


「あ、ああ……その……一度だけクスリをやっちまった時に、自制が効かなくなって変身・・しちまった事があって……。その時に先輩があたしを見つけて庇ってくれたんだよ。それからの付き合いって訳さ」


「そ、そうなの……」


 ジェシカのあの姿を見てヴェロニカは何とも思わなったのだろうか? 普通なら忌避するか、良くても誰かに話してしまっているだろう。


「ああ、それなら大丈夫さ。秘密・・があるのはあたしだけじゃ――」



「――ジェシーッ!!」



 ふいにヴェロニカが大きな声でジェシカの言葉を遮る。ジェシカはビックリして一旦言葉を切ると、きまり悪そうに鼻を掻いた。


「あ……そうか。ごめん、先輩。でもこの人達なら大丈夫だよ。あたしの事も知ってるし、もっと凄い人・・・とも知り合いなんだよ」


 凄い人というのは、もしかしてミラーカの事だろうか。何か妙な成り行きになってきたと思ったローラは、ヴェロニカの方を向く。


「ヴェロニカ。別に無理に聞き出すつもりはないわ。ただその子の言う通り、私は今まで色々な体験・・・・・をしてきてるから、大抵の事には驚かないし理解があるつもりよ。何か悩みがあるんだったら――――」 



「――ッ! おい!」


 その時、今まで黙って周囲を警戒していたジョンが鋭く警告を発する。ジェシカ達だけでなくローラもビクッとして振り返る。


「ジョ、ジョン? どうしたの?」


「今、何か海面から覗いたような気が……」


「ええ!?」


(『ディープ・ワン』は日中には姿を現さないはずでは? それとも誰かの悪戯? いや、ジョンの見間違いって事も……)


 ジョンも一瞬の事で確信は持てなかったようで、少し自信の無さそうな表情だ。



「確認してくる。お前達はここから動くな。もし何か異常を感じたらすぐに逃げろ」


 ジョンはそう言って銃を抜く。


「ちょ、ちょっと、危険よ! 私も――」


「いや、ただの気のせいだったかも知れん。念のため見てくるだけだ。お前は彼女達を頼む」


 首を振ってローラを制したジョンは、銃を構えながら慎重に波打ち際に近付いていく。固唾を飲んで見守るローラ達。



「…………」



 銃を向けながらしばらく浅瀬を睨んでいたジョンだが、やがて異常が無い事を確認したのかこちらを振り向いて手を振った。ローラ達もホッと肩の力を抜く。


「はぁ……何よ、全く。人騒がせ――」 


 そこまで言い掛けた時、こちらに歩いてこようとしていたジョンの身体がビクンッと跳ねて、その場に滑るように突っ伏した。


「ジョン!?」


 あの倒れ方は先日のロングビーチ市警の警官達を思い起こさせた。慌てて駆け寄ろうとしたローラは、そこで初めて違和感に気付いた。



(足が……重い!? これは……まさか!)



 これも先日の夜に覚えがあった。『ディープ・ワン』の毒ガス攻撃だ。だがあの時と同じ臭いなら嗅げばすぐに気付いたはずだ。先日の夜とは微妙に臭いが違う事に気付いたが、その事を深く考えている余裕は無かった。



「ジェシカ……ヴェロニカ……に、逃げ、なさい……!」



 重い頭を必死に動かして振り返ると、ヴェロニカは既にその場に倒れていた。ジェシカは狼の血の影響か、多少は効きが鈍いようだが、やはりその場で四つ這いになってえずいていた。少なくとも走って逃げたり、助けを求めて叫んだりできる状態ではなさそうだ。


(油、断……した! まさか、こんな……白昼に……!)


 日中とは言え、今までの事件の影響で人通りは極めて少なく、特に今の時間帯は付近に他の人影は皆無であった。『ディープ・ワン』が人間並みの知能を持っているなら、例え日中であろうと襲撃に現れる危険性は充分にあったのだ。


 先日その怪物じみた姿を直接見たせいで、動物のような本能で動く生物のように錯覚してしまっていた事も油断の原因と言えた。



 足から力が抜けて、ローラもその場に倒れ込む。ビーチの砂の感触が頬と口に当たる。身体中が痺れて手も足も指一本動かす事が出来ない。動かす事の出来ない視界は海のある方に向けられていた。


 やがて浅瀬からヌッと顔を突き出し、徐々に陸に上がってくる異形の姿が見えた。だが見えているのに身体が動かない。ローラは絶望に喘ぐ。


(ミ、ミラー、カ……) 


 徐々に霞んでいく視界の中でローラが最後に思い浮かべたのは、やはり愛しい恋人の美しい顔であった……

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