File8:ローゼンフェルト

 ロングビーチ市の警察筋で情報が漏れたらしく、翌日には新聞に大見出しで『ディープ・ワン』捕獲作戦の失敗と、警部補を含めた大勢の警察官が「返り討ち」に遭って死亡したという衝撃的な記事が載る事となった。


 特に沿岸部に居を構える市民達の動揺は大きく、ネイプルズやサンセットビーチなど直接水路に面している地域の住民達は、家に閉じこもったり内陸に親戚などが住んでいる者達は大半が「疎開」してしまい、街は閑散たる有様となっていた。


 ローラ達は再び病院の捜査に戻ろうとしたが、ダリオの主治医であったクラウス・ローゼンフェルトは、以前にローラ達と面会したその日に病院を辞して行方を眩ませてしまっていた。折悪くロングビーチ市警の勇み足の作戦と被ってしまった為に後回しとなり、監視がおざなりになっていたのは事実だ。クラウスを取り逃がしたのは痛恨のミスであった。 


 


「高速で射出される即効性、致死性の毒針、屋外でありながらかなり広範囲に渡って撒き散らせる毒ガス。そしてライフルの掃射を受けてもビクともしない頑強な肉体……。『ディープ・ワン』の総合的な脅威度は『ルーガルー』を上回ると推測されるわ」


 次の非番の日。ローラは自宅にクレアの訪問を受けていた。先日垣間見た『ディープ・ワン』の脅威について話し合う為である。この場にはミラーカも同席していた。事が人外の怪物に関わる案件だけに、彼女にも聞いてもらった方がいいとクレアが判断したのだ。


「加えて普段の生活の場が海というのも厄介ね。逃げる場所、隠れる場所は選り取り見取りよ。こちらはどうしても後手に回らざるを得ない」


 クレアの言葉にローラも頷く。


「そう、ね。『ディープ・ワン』が人間並みの知能を持っているとするなら、囮作戦も2度目は通用するか解らないしね」


「ええ、それに今回の失敗でロングビーチ市警自体が相当な及び腰になってしまっているようだしね。まあ無理も無いけど」


 ロサンゼルス市警の方も他所の管轄でそこまで大掛かりな捜査は出来ない上に、責任者のネルソン警部自体がこの捜査に消極的なので、どうしても出来る事は限られてくる。FBIは以前の『ルーガルー』事件での失敗によって元々慎重になっているので、今もクレアはほぼ孤軍奮闘状態のようだ。


 状況はかなり悪いと言って良かった。このままでは手をこまねいている内に、また新たな犠牲者が増えてしまう。



「……クソ! あのクラウス・ローゼンフェルトを取り逃がしたのがやっぱり痛かったわね! ネルソン警部に任せたのが失敗だったわ……」


 ローラが悔し気に毒づくと、今まで黙っていたミラーカが反応した。


「ローゼンフェルトですって?」


「え? え、ええ。ダリオの主治医だった男の名前よ。何か心当たりでも?」


「そのクラウスという男自体は知らないわ。ただ……第二次大戦中、私がまだ欧州にいた時に関わったナチスの若い科学者が同じ苗字だったのを思い出したのよ」



「だ、第二次大戦中……ナチスですって!?」


 クレアが呆然と口を開けて固まっている。ミラーカが500年生きている吸血鬼である事を頭では解っていても、まだまだその実感は薄いらしく、こうしてその実例を目の当たりにするとショックが先に出てしまうようだ。


「ええ。ただ苗字が同じだけなら、他にも同じ苗字の人間はいるし、別に何とも思わなかったんだけど……。その科学者――エルンストという名前なんだけど。ナチスが極秘に進めていた、海洋型生物兵器・・・・・・・の開発に携わっていたのよ。これって偶然なのかしらね?」


「……!!」


 今度はクレアだけでなくローラも唖然としてしまう。何故ミラーカがナチスの極秘計画や、それに携わっていた科学者を知っているのか、等の疑問は当然あるが、それは「ミラーカだから」で何となく済んでしまうので脇に置いておく。


 ローゼンフェルトという名の科学者が関わっていた海洋型生物兵器の開発……。そしてあの奇怪な半魚半人の『ディープ・ワン』の姿。毒針や毒ガスなど人間の殺傷に特化した能力。何よりダリオという人間を改造・・・・・した事で誕生した怪物……。


(これらが全て偶然? いや、偶然の方がむしろ不自然よね)


「クラウスはその……科学者と何か関係があると見て間違いないわね」


 年齢的に孫かそれに近い血族だろう。クレアが眼鏡をクィッと押し上げる。


「逃げたのならもう越境している可能性もあるわね。クラウスの足取りの追跡はこっちで受け持つわ」


 確かにそうした追跡捜査は、管轄を飛び越える事の出来るFBIが得意とするものだろう。ローラは頷いた。


「頼むわ。私はもう少し『ディープ・ワン』自体について調べてみる。とにかくこれ以上の被害の拡大を防がないと……」


「解ったわ。くれぐれも気を付けて」


「ええ、あなたも」


 そう言い合ってローラはクレアと握手を交わすのだった……


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