File7:半人半魚の悪魔

 時刻は夜。ロングビーチの外れにあるアナハイム湾という小さな港の外縁部。昼間でも人通りはほぼなく、港を横切る車が通るだけの寂れた場所だが、夜となると人影は全く途絶え、ただ所々に設置された街灯が照らすだけの無人地帯となる。


 しかし今夜は殺気立った大勢の人間がその場所に詰めかけていた。建物や木の陰、散在する岩などに身を隠した武装した男達……。ロングビーチ市警に所属する警察官達だ。


 このアナハイム湾は厳密には隣のシールビーチという街にあるのだが、群保安局を通して今回の作戦の許可を取っていた。




「……結局止められなかったわね。まあ仕方ない事だけど」


 現場にはローラ達だけでなくクレアも来ていた。


「ええ……でも何か出来る事があるかも知れないし……」


「どうかしらね? まあロングビーチ市警のお手並み拝見と行きましょうか。『ディープ・ワン』が意外と大した事なくて、案外簡単に成功するって可能性も皆無じゃないし」


 言いながらクレアもその可能性を考慮していないように思えた。ローラも今までの一連の流れからどうしても楽観的になれなかった。


 『ディープ・ワン』は『ルーガルー』にも匹敵する怪物であるという予感が拭えないのだ。もしこれに『黒幕』が関わっているなら間違いなくその予感は当たるはずだ。



 そんなローラ達の元に近寄ってくる人物が1人……


「ふん、FBIまでお出ましか。物好きな連中だな。これはウチの作戦だ。ロサンゼルス市警にもFBIにも邪魔はさせん。約束は守ってもらうぞ?」


 シュミット警部補だ。防弾ベストを着た武装姿だ。クレアが肩をすくめる。


「別にお邪魔はしないわ。ただ作戦の概要くらいは教えて貰えるんでしょう?」


「こっちには武器と人員がいるんだ。20人からなる警備部の精鋭が身を潜めている。奴が囮に惹かれてノコノコと姿を現したら即座に確保する。抵抗したり逃げたりするようなら問答無用で蜂の巣にしてやるまでだ」


 シュミットの視線の先では、囮役の男女二名の警察官がカップルを装って渚を散策している。ローラはハラハラした気持ちになる。


「あの……囮役の安全は考慮されてるんですよね?」


 シュミットが不快気な表情になる。


「勿論だ。彼等も拳銃を忍ばせてあるし、危険だと思ったらすぐに我々が突入する。作戦への口出しは無用に願おう」


「…………」


 その答えを聞いてローラは増々不安になるばかりであった。更に言い募ろうとした所で、シュミットが片手を上げて制する。耳に仕込んであるレシーバーに集中する雰囲気。何か通信が入ったようだ。


「何か海面に動きがあったらしい。君達は約束通りここにいて貰うぞ」


 それだけ言うとシュミットはさっさと持ち場に戻っていった。ローラは咄嗟に追いかけようとしてジョンに肩を掴まれて制止された。


「よせ、無駄だ。前も言ったがこれ以上は連中の自己責任だ。俺達がやるべきなのは、『ディープ・ワン』の姿やその能力の把握だ」


「……!」


 それはつまりロングビーチ市警の犠牲を容認するという事だ。ローラは思わずジョンの正気を疑った。だがそこにクレアも口添えしてくる。


「彼の言う通りね。ここでこれ以上私達に出来ることは何もない。それよりはきちんと敵の戦力を把握しておく事が、今後のより多くの犠牲を減らす事に繋がるはずよ」


「く……!」


 ローラも頭では解っている。ここでローラが何を言っても彼等は増々意固地になるだけだろう。さりとてローラが現場に無理やり出張っても何が出来るとも思えない。連携を混乱させて余計な犠牲を増やしてしまう恐れすらある。


 ただみすみす人が死ぬのを黙って見ていられないだけだ。ローラがそんな風に葛藤していると……


「あっ……!」


 クレアの短い叫び。ローラもハッとして渚の方に視線を向けると、カップル役の男性の方が地面に倒れ伏していた。女性の方が必死に呼びかけて揺り動かしているが反応がない。


 その姿に慌てたらしい何人かの隊員が飛び出してきてしまう。重火器と耐弾装備で武装している。


「馬鹿、まだ早い……!」


 クレアが思わず毒づく。すると駆け寄っていた3人程の隊員も急にビクンッと跳ねたかと思うと、その場に突っ伏すように倒れ込んでしまう。起き上がってくる気配は……ない。ついでにカップル役の女性の方もバタッと倒れてしまう。


 ローラはその光景に息を呑む。飛び出しかけて再びジョンに止められる。


「お前が行ってどうなる! 何も考えずに飛び出しても奴等の二の舞になるだけだぞ!」


「……!」


 その言葉に足を止めざるを得ない。確かにローラが飛び出して何が出来る訳でもない。精々倒れた警察官達を安全な場所に引きずってくるくらいだが、それはローラでなくても出来る。


(でも……でも、それじゃあ死人が出てるのに、ここで見てるしかないの!?)


 ローラが歯がゆい思いに苦しんでいると、クレアが息を呑む気配が伝わってきた。


「ちょ、ちょっと、あれ……!」


 その調子にローラ達はクレアの指差す先……波打ち際を見て、絶句する。


 浅瀬の海面から「何か」がヌッと頭を突き出した。それはどんどん陸地に近づいてきて……それに伴って徐々に海面より姿を現しその全容が明らかになっていく。




 ――それは一言で表すなら、やはり『半魚人』という単語が最もしっくりと来た。




 ただし『大アマゾンの半魚人』のような、どことなく間抜けでユーモラスのある姿では断じて無い。


 頭部はホホジロザメに似ていた。鼻先の尖った頭に、口には凶悪そうな牙がぎっしりと生え並んでいる。背中にはやはりサメのような大きな背ビレ状の突起が付いていた。首から下は人間に近い形状をしているが、その胴体や四肢にはサメには無い丈夫そうな鱗がびっしりと生えていた。手と足には水かきのような膜が付いており、指の先には鋭い爪も備わっていた。


 体長は……目算で8フィート近くありそうだ。あの『ルーガルー』よりも大きいかも知れない。


 アメリカ西海岸を恐怖に陥れている渚の殺人者、『ディープ・ワン』が遂にその姿を現したのであった。



「サ、サメ人間……? いや、でも……」


「ば、化け物だな……」


 クレアとジョンが呆然とその姿を凝視している。だがローラは別の事が気になっていた。



(ダリオ、あなたなの……?)



 状況証拠から考えて、今海から現れた怪物はダリオの成れの果てであるはず。警察署での今までの彼とのやり取りを思い出す。またマコーミック邸での負傷。あの時彼はローラに今までの態度を謝ってきた。


(一体、何故……こんな事に……)


 ローラがそんな思いを抱いている間にも『ディープ・ワン』は海から完全にその姿を露わにし、倒れているカップル役の2人に近づいていく。やはりと言うか陸上での動きは『ルーガルー』に比べると大分鈍いようだ。



「何してんだ、あいつら! 勇み足したかと思ったら、今度は縮こまってでもいやがるのか!?」



 一向に突入してこない隊員達にジョンが苛立った声を上げると、クレアが何かに気付いたように目を見開く。


「これは……この臭い……。ッ! いけない! すぐにハンカチで口と鼻を塞ぐのよ!」


「え?」


「早くしなさいっ!」


 クレアに促されてローラとジョンもとりあえずその指示通りにする。その時点でローラもようやく気付いた。


(この刺激臭は……!)


 実際には刺激臭という程の臭いではなく、かなり注意していないと解らないくらいの微かな違和感……。だが先程まではこんな臭いは無かった。これは……


 その時ローラ達の見ている先で、潜伏している岩陰から隊員が出てきた。やっと突入かと思われたが、何か様子がおかしい。まるで泥酔しているかのような千鳥足でふらふらと数歩進んだかと思うと、その場に突っ伏して動かなくなった。


 よく見ると他の潜伏先でも同じように倒れている隊員の腕や脚などが見えた。何人かは最初に出てきた隊員と同じく、苦しげにまろび出てきてそのまま倒れ伏している。


(こ、これはまさか……)


 毒ガス。その単語が頭に浮かんだ。毒針を飛ばすというのはクレアから聞いていたが、海中でなくとも飛ばせるというのは想定外であったし、更にはこんな毒ガス散布紛いの能力を持っているなど完全に予想の範囲外の事である。


 ローラは歯噛みした。やはりもっと慎重に情報を集めてから動くべきだったのだ。


 『ディープ・ワン』は悠々と倒れている二人組に近づいていく。このまま何も出来ずに見ているしかないのだろうか? とローラがもどかしく思ったその時、小屋の影からふらついた足取りながら進み出てくる人影があった。口と鼻をローラ達のようにハンカチで覆って巻き付けている。



(シュミット警部補……!?)



 他の隊員達よりやや後方にいた為応急処置が間に合ったらしいが、その足取りを見る限り毒ガスの効果は充分表れてしまっているようだ。非常に重そうに持っているライフルを『ディープ・ワン』に向ける。


 その動作はもどかしい程にゆっくりだったが、『ディープ・ワン』は無防備にその巨体を晒していた。


 シュミットの持っているライフルが火を噴く。タタタッ銃口から火花と共に発砲音が轟く。アサルトライフルの直撃を浴びた『ディープ・ワン』は…… 


 まるで人間が玩具の銃で撃たれたかのように煩わしげにシュミットの方に顔を向けると、スッと手を掲げた。 


(まずい……!)


 とローラが思った時には、シュミットの身体がビクンッと跳ねて硬直した。銃を手放して苦しげに喉を掻き毟りながら倒れるシュミット。やがて彼も動かなくなった。


「…………」


 ローラ達3人は息を潜めてその光景を眺めている事しか出来なかった。


 圧倒的だった。


 『ルーガルー』とはタイプの異なる強さだが、武装した大勢の精鋭部隊が手もなく「正面から」全滅させられたという意味では、或いはその脅威度は『ルーガルー』以上かも知れない。


 ローラ達は離れた場所から見ていたので被害を免れたが、何の備えもなく不用意に近付けばシュミットの二の舞になるのは想像に難くない。



 『ディープ・ワン』は勝者の余裕でカップルの男の方を抱えあげると、悠々と海の中へと戻っていった。


 時間にして10分にも満たない僅かな時間で、シュミット警部補を含めて20名以上の警察官が死亡した。『ディープ・ワン』は予定通りに「餌」を手に入れての悠々の凱旋。



 ロングビーチ市警の……いや、人間・・の大敗であった……

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