暗黒神の再臨
~19時過ぎ。ボロアパート203号室~
「むー!」
「ご、ごめんって……」
パンツ事件で散々泣いた後、杏子ちゃんはすっかりご機嫌ナナメになっていた。まあおっさんにパンツ見られた後にニコニコしてろって言うのも無理な話だけど。
「あんこくしんさまー……?」
「ごまかされないもん」
「うぐっ……」
ちょろくもなくなってる……少しは仲良くなれたかと思ってたんだが。
今のところ『パンツは見ていないけれど、見てドキドキするものだった』というシュレディンガーもびっくりの理論で納得してもらっている状態だ。ちなみに納得こそすれど、許してはもらっていない。
~暗黒神、腕を組んでお説教~
「……たしかに
「そうだね。食い入るように読んでたもんね」
「だがそれでも眷属が我のぱ……魔力を抑える
え? 魔力って下半身から出るの?
たぶんそう言うとまた泣かれてしまうだろう。
つーかあの脳内異種討論は傍から見ればそんな風に映ってたのか。
「そもそも眷属は我への忠誠がだな……」
プンプンと音が聞こえそうな顔で怒る杏子ちゃん。
どうしたものかなあ……もう19時過ぎてるし、上手く帰してあげないと親御さんも心配すると思うんだけど。
「じゃあどうすれば許してもらえますか……?」
妙案も思いつかないので、いっそのこと本人に聞いてみることにした。
「むー……許す許さないではないのだが……」
~暗黒神ちょっと悩む~
「これ」
杏子ちゃんが指さすのは『Cthulhu-MAN』。俺も読んでいたから、全32巻というなかなかのボリュームがいくつかの山に分けられて積まれている。
まさかこんな形で手放すことになるとは……さらば俺のCthulhu-MAN……。
「この聖典を我に貸せ。全て持って帰ってはママに怒ら……迷惑をかけるのでな。一度に5冊で良い」
「……へ?」
つまり杏子ちゃんの提案では、もう何度か俺の家にマンガを借りに来るという事だ。俺は嫌われてこのままサヨウナラだと思っていたので、思わぬ関係の継続に間の抜けた返事をしてしまっていた。
「どうした? まさか断るのか?」
「そんな! てっきりあげることになると思ってたからさ」
「ふん……眷属の所有物などすでに我の物であると同義よ。今さらわざわざ手元から奪うような真似はせぬ」
杏子ちゃんは落ち着いた口調で当たり前のように言う。
「それに、眷属もこの聖典が好きなのであろう? 同好の士を悲しませるなど、闇の者どもを統べんとする暗黒神の名が泣くわ」
中二病は自分よりも大きな存在を演じる病気だ。患者たちが演じる偉大なる存在なら、こんな恥ずかしいことも素直に言えてしまうのかもしれない。
同好の士……か。
「杏子ちゃん……いえ、暗黒神さま」
「なんだ? 眷属よ」
「闇よりも深きお心遣い、感謝いたします。慈悲深き暗黒神さまの
優しくしてくれてありがとう。仲間だと言ってくれてありがとう。
年齢を重ねていつの間にか言えなくなっていたそんな言葉が、懐かしい響きと共に自分の口からするすると紡がれる。
「結界を張るのも疲れる。元の話し方に戻せ」
「あはは……そうだね」
照れながら髪をくるくるする杏子ちゃんがとても可愛らしく、眩しかった。
パンツ「……お前ら時間はええんか?」
「そうだ! 杏子ちゃん、そろそろ時間が……!」
「う、うむ。そうだな!」
パンツ「まったく世話のかかる奴らやで……」
~暗黒神、帰還準備完了~
「いざ参らん!」
「隣とはいえ送っていくよ。暗いし雨も降ってるからね」
「そうか。同行を許そう」
結局制服の上は乾ききらなかったので、杏子ちゃんはTシャツとスカート姿だ。
杏子ちゃんに貸していた服は無心で洗濯機に突っ込んだ。眷属として紳士として……うん。
~アパート1階~
「ワン!」
「おー、ケルベロスよ。お前も見送ってくれるのか」
降りたところでゴン太にも挨拶をして、いよいよ杏子ちゃんとの別れの時間が近づく。
ほんの三時間程度だったが、思い返せば長かったのか短かったのか……。玄関で杏子ちゃんを見つけたのが遠い昔に感じる。
~黒川家前~
「ママ!」
家の前に居た人影を見つけて、杏子ちゃんが走り出した。
――ゴン!
「うわあ……」
数メートル離れた位置からでも分かるゲンコツに思わず声が出た。あれは痛そうだ……。
「杏子! 今何時だと思ってるの!? それに制服はどうしたの! あとその両手の荷物は何!?」
今は19時15分で、制服は乾いてなくて、両手の荷物は制服とマンガですよお母さま。
「うぎゅぅ……ごめんなさいママ」
ママと呼ばれた女性は、傘を持って立っていた俺を見つけると声をあげた。
「あら……あなたは!」
「え?」
~おっさんと杏子ママ邂逅&経緯説明~
「いやあ、まさか黒川さんだったとは……」
「ええホントに。世間って狭いわねえ」
頬に手を当てて上品に笑うのは、杏子ちゃんのお母さんである黒川さん。
いやそりゃ黒川さんなのは当たり前なんだけど、なんと俺の大学時代のアルバイトの元同僚さんだったりする。それも四年間同じようなシフトで入っていたので、バイト先では一番仲が良かった。
もう六年も前だから名前も完全に忘れてた……そういえばこの辺に住んでるって言ってたっけ。
「杏子がたくさんお世話になったみたいで……マンガまで貸してもらって」
「いえいえそんな……」
『親御さんにどう説明するのか問題』も一発で解決した。「あなたなら大丈夫!」ってお母さん……信頼してもらえるのは嬉しいけどもう少し防犯意識を……。
「ほら! 杏子もお礼を言いなさいな」
「ありがとう眷属……」
「ケンゾクって何!? お兄さんでしょう!?」
「あ、あはは……あだ名みたいなものですから」
~暗黒神の引き渡し完了~
「じゃあね、杏子ちゃん。それに黒川さんも、コレありがとうございます」
俺はお礼にと、黒川さんから夕飯のおかずを貰っていた。アルバイト時代も食べさせてもらったことがあるが、黒川さんはお料理がめちゃくちゃ上手いのでめちゃくちゃ嬉しい。
「容器はそのままゴミに出して大丈夫よ。杏子も珍しく懐いてるみたいだし、あなたが良いならまた遊んであげてね」
「ええ、雨宿りでしたらいつでも」
「おほほ……そうね、次の雨はいつになるかしら」
社交辞令を交わしながら交互にペコペコと頭を下げる。
杏子ちゃんはすっかり黙っちゃったな。家ではこれが普通なのかも。
「じゃあ俺はこれで」
「あらそう? じゃあまた機会があればね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい。ほら杏子も」
「おやすみなさい……またね」
~深夜一時。ボロアパート203号室~
「あー……疲れた」
洗濯物を干していつもより美味しい夕食を食べてやり残していた仕事を片づけて……俺は大の字でベッドに寝ていた。
八畳間は一人には広い。数年暮らしてきて初めてそんなことを思う。
ふと寝返りをうつと、見慣れた本棚に空いた五冊程度の空間が見えた。
「またね……か。よし! 次会えるまで頑張ろう!」
雨の日の来訪者に思いのほか元気をもらっていた俺は、いつか彼女と再会できる日を夢見てゆっくりと目を閉じるのだった。
~翌日。土曜日の朝~
……ンポーン
ん……。何の音だ? こんな朝早くから。
――ピンポーン
インターホン? 宅配便は今日来ないはずだし、悪質なセールスなら居留守決め込んで帰ってもらおう。
――ドンドンドン!
うおっ、ドア叩いてる!? もしかして大家さんが緊急の用事とかか!?
とにかく急いで開けねーと!
――ガチャリ
「すみません、少し寝ちゃってて……」
ってアレ? 視界に誰もいない?
「眷属!!!」
突然の声に驚いて見下げると、そこには一晩ぶりの少女の姿があった。
「眷属よ、遊びに来てやったぞ!」
「いらっしゃい」
早く叶いすぎた夢に苦笑しながら、俺は我が主――暗黒神さまへのおもてなしに頭を巡らせるのだった。
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