暗黒神の伝説~ケルベロスとの死闘~


~午後五時過ぎ。ボロアパートの203号室~



 ケルベロス。


 ギリシア神話に登場する三つの頭を持つ犬の魔物。ゼウスと死闘を繰り広げた大怪物テュポーンの子供であり、冥界の番犬を務める恐ろしいモンスターだ。



 杏子ちゃんはこの“ケルベロス”に道を阻まれたそうなんだけど、地獄の番犬は日本のボロアパートには居ないだろう。



「ええと……ケルベロスって何のことかな?」


「ケルベロスはケルベロスだ! この建物の一階におるだろう!」



 一階……? あっ。



 なんとなくケルベロスの正体は掴んだ。おそらく“ゴン太”のことだろう。



 番犬として飼われている大家さんのペットの雑種犬。やたらとデカい体で、季節を問わずヨダレと鼻水が垂れている。


 もう少しカッコいい名前もあっただろうと思ってしまうが、その野暮ったい面構えを見れば誰しもがゴン太だと納得してしまう。いわゆるブサカワなワンコだ。



 そんなゴン太は人懐っこく、誰彼構わず吠えてしまうクセがある。


 知っていれば可愛いものだし本人(本犬?)も遊びたいだけなんだけど、杏子ちゃんから見れば少し怖かったかもしれないな。



「城の鍵がないと気づき雨宿りに寄ったところで遭遇したのだ! 奴の放った咆哮を回避したは良いが……追い込まれてしまってな? 我が力をこんな場所で振るえば一帯を焼き尽くしてしまう。そこで人間らしく演技をして貴様のような者が掛かるのを待っていたというわけだ!」



 早口でたくさん喋るなあ。



 雨宿り先にいた犬にビビッて逃げたは良いけど、どうしようもなくなって誰かに助けてほしくて泣いていた。


 翻訳するとこんな感じか。



「じゃあなんでウチの前?」


「奴は危険だから……暗黒神としては見張らないといけないというか……」



 なるほど。一応のプライドがあっての距離なのね。


 しかしお隣さんじゃなくてウチかあ。両隣ともどんな人が住んでるのかは知らないけど、とりあえず俺で良かったよ。



 何にせよゴン太ケルベロスの問題を解決すれば大丈夫そうだな。



「えーっと、そのケルベロスはゴン太っていってな」



~ケルベロスの説明完了~



「……だから別に怖がらなくても大丈夫だよ。噛んだりもしないし」


「ほ、本当か……?」



 まあ信用なんねーよな。



「本当だよ。何なら今からでも見に行くかい?」


「貴様!? 眷属でありながら我を罠にかけようと言うのか!」


「違う違う。俺がゴン太と遊んでるのを見てるだけで良いから」


「むう……ならばよかろう。ただし我が少しでも危険だと判断すれば、貴様に明日はないからな!」



 口で説明するよりも見せた方が早いだろう。


 それにゴン太はずっとアパートの一階にいるし、解決しないと帰せないからな。



「よし。じゃあ準備するからちょっと待っててくれ」



~おっさん、何やら準備~



「おまたせ。じゃあ行こうか」


「う、うむ……」



 杏子ちゃんの靴はまだ濡れていたので、俺の夏用サンダルを貸した。


 服もとりあえず洗濯機に入れておいてもらったけど、19時までに乾くかなあ。



「さむい……」



 開けたドアから入ってきた外の空気に、杏子ちゃんがぼそりとこぼす。


 あー、一応春とはいえ雨降ってるし、Tシャツ短パンじゃ寒いか。



「はいこれ」



 俺は間に合わせで、ひとまずラックに掛かっていたジャージの上着を渡す。



「うむ。眷属にしては……すんすん」



 ん……何かジャージのニオイ嗅いでる? もしかして臭かったか!?



「杏子ちゃん!?」


「……けんぞくのニオイがする」


「ゴメン! 別の持ってくるから!」


「あっ、ちがう! これでいいの!」



 ……急いで着られちゃった。


 中二仲間感覚で気が緩んでたけど、思春期の女の子に無理させるのは気が病むなあ。



 気を取り直してゴン太の所に行くか……。



~おっさんとビビる暗黒神、一階に到着~



「ワンワン!!」


「ぴぃっ!?」



 俺たちを見つけたゴン太が吠え、杏子ちゃんが俺の背中に回り込む。


 二階に逃げなかったってことは一応頼られてるのかな。



 俺は手に持った袋から取り出したものをゴン太に差し出した。



「よーしよしゴン太。めざしだぞー」



 杏子ちゃんを待たせて準備したのはめざし。


 そのままあげると塩分が怖いので一度茹でてある。大家さんからエサやりして良いよって言われてるし、その辺も問題ない。



 ゴン太はオヤツをあげると普段の数倍かしこくなる。それを杏子ちゃんに見せつけてやろうという算段だ。



「よしゴン太……おすわり!」


「ワン!」



 ……ゴン太くん? それはおすわりじゃなくてお手だな。そしてキミが前足で叩いたのは俺の顔だ。


 数倍してもゼロはゼロか。



「あわわわ……」



 ――いかん、杏子ちゃんが怖がっている!


 確かに攻撃されているようにしか見えないなコレ!



 他にゴン太ができる芸は……。



「ちんちん!」


「ワン!」



 違う! それはおすわりだ! ニアミス! さっきやって!



「ちんちん!」


「ワン!」


「違う! ちんちん!」


「ワン!」


「ちんちん! ちんちん!」


「……ワン!」


「よし! ちんちんできたな! 偉いぞゴン太!」


「ヘッヘッヘッ」


「ほら、杏子ちゃん! ゴン太は安全だろ?」



「あっ、はい。そうですね」



 あれ? 中二っぽい言い回しじゃなくなってる。


 ジャージも脱いでるけど寒くない? それより視線が寒くない?



~ちんちん連呼おっさんと暗黒神とバカ犬、三人で遊ぶ~



「ふふふ……お前も我が眷属として認めてやろう。今日からお前の名はケルベロスだ」


「わふ」



 パーゲンタッツと犬のもふもふは同等か……。


 わからなくもないけどゴン太だからか負けた気がするな。



「杏子ちゃん、これで大丈夫だって分かってもらえた?」


「うむ。眷属の行いも我がためであったと目をつぶろう」



 良かった。なんだかんだ解決したらしい。



「じゃあ部屋に戻ろうか。そろそろ洗濯も終わってる頃だしさ」


「ケルベロスも我が眷属になった。貴様の部屋まで連れて行って良いか?」


「うーん……それはちょっとな。ゴン太は大家さんの飼い犬だし」


「そうか……」



 わがままじゃなく、ちゃんと許可を取ろうとするあたりが良い子だよなあ。



 でもゴン太を上げると掃除とか大変そうでな。


 それ以前に大家さんに「連れ込んだ女子中学生がゴン太を部屋に上げたいと言ってましてー」なんて言えるわけがない。



 今でも通行人が来ないかヒヤヒヤなんだから……。



「隣なんだしさ、また今度遊んであげなよ」


「そうだな。我が眷属の契りは距離程度で揺らぐものではない」


「ワン!」



 尻尾を振り回すゴン太に見送られ、俺たちは部屋に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る